スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
武冨 豊(たけとみ ゆたか、1954年2月16日 - )は佐… 武冨 豊(たけとみ ゆたか、1954年2月16日 - )は佐賀県出身の元陸上競技選手、現指導者。 佐賀県立多久工業高等学校時代に全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)5000mに出場。予選会となる北九州総体で4位に入賞して全国大会出場を決めたが、そのときの優勝は喜多秀喜、2位は宗茂、3位は宗猛と上位入賞者は全て後のオリンピック代表(ただし喜多は幻の1980年モスクワオリンピックのみの代表)だった。 1972年に神戸製鋼所に入社。喜多秀喜らとともに陸上部の中心選手となる。 1978年にボストンマラソンで9位入賞、1979年に別府大分毎日マラソンで1位と0.3秒差の2位。翌1980年に同マラソンで優勝。
天ノ山 靜雄(あまのやま しずお、1953年12月28日(戸… 天ノ山 靜雄(あまのやま しずお、1953年12月28日(戸籍上は1954年1月1日) - 1997年9月17日)は、佐賀県小城郡多久村(現在の多久市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は尾形 靜雄(おがた しずお)。身長191cm、体重179kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1980年7月場所、1982年5月場所)。 多久市立西渓中学校で柔道を始めたが、既に身長が184cm、体重が100kgに達していたので、相撲部から強引な形で多久市大会や佐賀県大会に出場させられて優勝はしたが、人に廻し姿を見せるのが嫌だったことと強引に相撲を取らせた周囲への反発から余計に相撲が嫌いになった。
加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 20… 加藤 博一(かとう ひろかず、1951年10月9日 - 2008年1月21日)は、佐賀県多久市(旧・小城郡)出身のプロ野球選手(外野手、右投両打)、野球解説者、タレント。 多久工業高時代は足の速さを買われ、地元の駅伝大会に陸上部の助っ人として出場した事がある。打撃練習時には隣接する多久警察署(現在の小城警察署多久幹部派出所)に打球が何度も飛んでいったためにネットが増設され、通称「加藤ネット」といわれた。高校の2年後輩に、マラソン選手で現在は天満屋陸上競技部監督を務める武冨豊や、大相撲幕内力士の天ノ山静雄がいた。 国士舘大学や社会人野球チームからも勧誘されていたが、1969年に西鉄ライオンズへドラフト外で入団。