スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
池内 比呂子(いけうち ひろこ、1959年4月2日 - )は… 池内 比呂子(いけうち ひろこ、1959年4月2日 - )は、日本の実業家。テノ. ホールディングス創業者・代表取締役社長。女性初の九州経済連合会理事。 長崎県大村市出身。長崎県立大村高等学校を経て、九州女子短期大学卒業。1981年ジャーディン・マセソン入社。1996年弁当屋の花村咲を開業。1999年ドゥイット設立。2002年グレース福岡に改組。2005年テノ・コーポレーションに社名を変更。保育事業を展開し、2009年には首都圏に進出を開始。2013年女性初の九州経済連合会理事に就任。2015年テノ. ホールディングス設立。2016年テノ. サポート設立。2018年東京証券取引所マザーズ及び福岡証券取引所Q-Boardに上場。
杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は… 杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。公益社団法人日本経済研究センター代表理事参与、株式会社日本経済新聞社参与。 株式会社日本経済新聞社代表取締役社長、株式会社日本経済新聞社代表取締役会長、日本記者クラブ理事長、公益社団法人日本経済研究センター会長などを歴任。2006年に株式会社日本経済新聞東京本社編集局にデジタル編集本部を設立し、2010年に発足した日経電子版のプロジェクトを開始させた立役者となった。
服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1… 服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1999年11月29日)は、日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁。 服部岱三・芳枝夫妻の長男として1918年(大正7年)三重県三重郡三重村(現:四日市市)に生まれる。幼少時は父の海外転勤に従いロンドンで7年間、上海で3年間を過ごした。長崎県の旧制大村中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。卒業後台湾銀行に入行したがすぐ海軍予備学生となり、海軍大尉としてラバウルで終戦を迎え、そのまま現地で日本人戦犯の弁護人も務めた。 47年復員後日本銀行に入行。1950年フルブライト基金によりミネソタ大学大学院にて留学し財政、金融を学ぶ。
今里 広記 (いまざと ひろき、1908年(明治40年)11… 今里 広記 (いまざと ひろき、1908年(明治40年)11月27日 - 1985年(昭和60年)5月30日)は、日本の実業家、財界人。長崎県出身。広範な交友と人脈から、財界におけるまとめ役として「財界官房長官」「財界幹事長」の異名を取った。建築家の今里隆は養子である。 受章・受勲等 :1970年(昭和45年)4月 藍綬褒章、1979年(昭和54年)11月 勲一等瑞宝章(現・瑞宝大綬章)、1985年(昭和60年)5月30日没後追贈 位階正三位、勲一等旭日大綬章(現・旭日大綬章) 長崎県東彼杵郡波佐見町宿郷に父友二郎、母加世の三男として生まれる。父は1772年より続く造り酒屋番頭の傍ら、地元で波佐見銀行(統合合併ののち現・株式会社十八親和銀行)を経営していた。
今里 準太郎(凖太郎、いまざと じゅんたろう、1886年(明… 今里 準太郎(凖太郎、いまざと じゅんたろう、1886年(明治19年)11月15日 - 1976年(昭和51年)12月28日)は、明治末から昭和期の右翼活動家、実業家、政治家。衆議院議員。 長崎県東彼杵郡萱瀬村(現大村市)で、今里和平の三男として生まれ、1907年(明治40年)6月、家督を相続した。大村中学校(現長崎県立大村高等学校)を経て、1907年、早稲田大学大学部政治経済学科を卒業した。兵役に就き陸軍三等主計となる。 北海道に渡り小樽新聞の記者となる。養狐業、鉄工機械商・今里商会の経営などを行い、その後、樺太で木材売買業を営み成功した。 1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙に長崎県第3区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
濱田 彪(はまだ ひょう、1871年1月9日(明治3年11月… 濱田 彪(はまだ ひょう、1871年1月9日(明治3年11月19日) - 1938年(昭和13年)11月7日)は、日本の技術者、実業家。第3代三菱造船(現三菱重工業)会長を務めた。 長崎県東彼杵郡福重村野田郷(現大村市野田町)で、初代村長一瀬信造の次男として生まれた。大村中学校(現長崎県立大村高等学校)卒業後、1891年東京工業学校(現東京工業大学)機械科卒業、三菱合資入社。長崎造船所で「常陸丸」の受注にあたるなどし、同所機械工場支配人を経て、1898年三菱造船所電気主任技師。三菱造船所副長を経て、1917年三菱造船長崎造船所所長。1920年三菱造船常務取締役。1925年三菱造船会長。1931年蔵前工業会理事長。