スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
増居 翔太(ますい しょうた、2000年5月25日 - )は… 増居 翔太(ますい しょうた、2000年5月25日 - )は、滋賀県彦根市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 彦根東高校では2年夏に出場した第99回全国高等学校野球選手権大会では初戦で波佐見高校の隅田知一郎と投げ合い同校の甲子園初勝利に貢献した。3年春に出場した第90回記念選抜高等学校野球大会でも同校の選抜高校野球大会初勝利に貢献した。 高校卒業後は慶應義塾大学へ進学。3年春には最多勝を記録した。4年秋にも最多勝を記録したが、ドラフトでは指名漏れとなった。 大学卒業後は愛知県のトヨタ自動車へ入社。入社2年目の日本選手権ではチームの優勝に貢献し最高殊勲選手賞を受賞。
隅田 知一郎(すみだ ちひろ、1999年8月20日 - )は… 隅田 知一郎(すみだ ちひろ、1999年8月20日 - )は、長崎県大村市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 大村市立西大村小学校2年生のときに大村クラブで軟式野球を始め、大村市立西大村中学校軟式野球部に所属。中学時代にはエースとして活躍した。 長崎県立波佐見高等学校に進学し、1年時からベンチ入り。2年秋にエースとなったが、左肘を疲労骨折し離脱した。復帰後は背番号10でベンチ入りし、3年夏の長崎大会で優勝した。第99回全国高等学校野球選手権大会に出場し、開幕戦となった彦根東との1回戦に先発登板。8回まで4失点の粘投を見せたが、1点リードの9回裏に同点に追い付かれ、なおもピンチを招いて降板した後に救援投手が打たれ、チームはサヨナラ負けを喫した。
松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、… 松田 遼馬(まつだ りょうま、1994年2月8日 - )は、長崎県島原市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 島原市立第四小学校2年生の時から、杉谷トータスでソフトボールを始める。島原市立第一中学校で軟式野球部に所属すると、投手を務めるようになった。中学3年生の時には、硬式野球で県内屈指の強豪校である長崎県立清峰高等学校への進学を目指していた。しかし結局は、自力で甲子園での全国大会出場を実現すべく、同じ県立の波佐見高校を進学先に選択した。 波佐見高校への進学後は、1年生の夏から背番号「11」でベンチ登録。3年生春の第83回選抜高等学校野球大会で、全国大会への出場を果たした。この大会では、1回戦で横浜高校の柳裕也らとの投げ合いに制し5-1で勝利したが、2回戦で兵庫県立加古川北高に0-2で敗退。
大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は… 大平 成一(おおひら せいいち、1989年4月8日 - )は、長崎県東彼杵郡東彼杵町出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 波佐見高時代は、高校通算31本塁打を記録。[要出典] 2007年のプロ野球高校生ドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、2011年11月10日に戦力外通告を受けた。 2012年1月25日、BCリーグの信濃グランセローズに入団した。2012年には最多本塁打のタイトルを獲得し、ベストナインにも2012年と2014年の二度選ばれた。なお2011年から6年連続で12球団合同トライアウトに参加している。 2017年のシーズン終了後、信濃を退団(任意引退)した。
中野 達也(なかの たつや、1983年10月7日 - )は、… 中野 達也(なかの たつや、1983年10月7日 - )は、日本のアスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。埼玉西武ライオンズのトレーニングコーチを務めていた。JR東日本硬式野球部、TDK硬式野球部、桐蔭横浜大学硬式野球部、慶應義塾大学体育会野球部でコンディショニングコーチを務める。2021年よりゴルフ界に進出。河本力、河本結のコンディショニングも務める。 波佐見高校では2001年の第83回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の佐野日大戦に1対4で敗れた。西武入団前は三菱重工長崎硬式野球部のトレーナーサポートを務めていた。 アマチュア野球からプロへの輩出歴
石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は… 石橋 尚登(いしばし なおと、1982年4月20日 - )は、長崎県平戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。2005年の登録名は「石橋 尚至」、2006年から2007年の登録名は「石橋 尚到」(いずれも読み同じ)。 波佐見高では2年秋の九州大会でベスト8、3年夏の県大会で準優勝。無名に近い存在ではあったが、2000年のドラフト6位で広島東洋カープに入団。石橋の指名は波佐見高校出身者としては史上初であった。 高校通算打率.406、通算盗塁200以上と走攻守3拍子揃った内野手として期待され入団し、注目は高かった。ウエスタンリーグでは毎年好成績をマークし、打撃は評価が高いだけに若手の注目株として期待されたが、左膝を故障。