スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
永尾 亜子(ながお あこ、1993年12月7日 - )は、元… 永尾 亜子(ながお あこ、1993年12月7日 - )は、元フジテレビのアナウンサー。 長崎県南松浦郡新上五島町(五島列島)出身。長崎県立上五島高等学校、長崎大学環境科学部卒業。 高校在学中は放送部に所属し、高校2年で「第32回九州高校放送コンテスト・アナウンス部門」優良賞、高校3年で「第58回NHK杯全国高校放送コンテスト・アナウンス部門」全国第4位の優秀賞、となる。大学在学時に、「長崎大学ミスコンテスト2014」に出場したが未冠で、テレビ朝日アスクアナウンススクールへ通う。 2016年4月、フジテレビ入社。同期入社は上中勇樹、鈴木唯、堤礼実、藤井弘輝らがいる。2018年にフジテレビ女性アナウンサー18人のユニット「お台場ワンガン娘‘18」でメインボーカルを務める。
浩子クレメニア(ひろこくれめにあ、1992年3月27日 - … 浩子クレメニア(ひろこくれめにあ、1992年3月27日 - )は、日本の女性歌手、シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。 長崎県新上五島町出身。父日本人、母はスペイン系フィリピン人のクォーター。 2013年CandyBoxのメンバーとして音楽活動開始、卒業後、 2018年シンガーソングライターとして活動スタート。 フィリピンのスラム街でも歌を届けた。 その後、長崎県、福岡県を中心に、コンサート、テレビCM出演や、コマーシャルソングを担当。 2019年 TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』全日本ラジオ新番組選手権2019 にて『浩子クレメニアの聴いてクレメニア!!』第5位獲得 その後、上五島観光物産大使に就任。
田端 健児(たばた けんじ、1974年9月24日 - )は、… 田端 健児(たばた けんじ、1974年9月24日 - )は、日本の陸上競技選手。元長崎県立長崎工業高等学校保健体育科教諭。専門は400m。1996年アトランタオリンピック・2000年シドニーオリンピック日本代表。愛知県生まれ、長崎県育ち。日本大学卒業。 長崎県新上五島町(旧有川町)出身。長崎県立上五島高等学校3年時に初めてインターハイに出場、日本大学に入学。大学の先輩である小松隆志(三段跳日本チャンピオン)・森長正樹(シドニーオリンピック走幅跳代表・バンコクアジア大会金メダリスト)らにもまれ、日本のトップ選手に成長する。 大学卒業後はミズノに入社。1996年、アトランタオリンピック代表に選ばれ、マイルリレー予選に出場。
浦 進悟(うら しんご、1950年9月29日 - )は、日本… 浦 進悟(うら しんご、1950年9月29日 - )は、日本の建築技術者。 大林組代表取締役副社長執行役員。日本ファシリティマネジメント協会役員。 長崎県立上五島高等学校から日本大学理工学部建築学科に進学する。1973年に卒業して、大林組に入社した。 2002年に、第3回日本免震構造協会賞を受賞した。 2004年1月に東京建築事業部統括部長となる。以後、執行役員東京建築事業部副事業部長(2007年8月)、常務執行役員東京本店建築事業部副事業部長(2010年4月)、専務執行役員東京本店建築事業部長(2012年4月)、東京本店長(2015年4月)を経て、2017年6月に代表取締役副社長執行役員に就任した[要出典]。
山崎 泉(やまざき いずみ、1942年10月8日 - )は、… 山崎 泉(やまざき いずみ、1942年10月8日 - )は、日本の政治家。元民主党衆議院議員(1期)。 長崎県南松浦郡出身。1961年上五島高校卒。民間会社勤務を経て、1966年郵便局に務める。全逓に入り、1990年全逓長崎地区本部委員長と県評センター副議長に就任。1993年の総選挙に日本社会党から旧長崎2区で当選。1期務めた。その後社会民主党を経て1996年に民主党に参加する。同年の総選挙で長崎4区から立候補したが落選。1998年西岡武夫の長崎県知事選挙に伴う補欠選挙に長崎1区から立候補したが落選した。
佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 … 佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。 南松浦郡有川町(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で船大工を営む家に生まれる。子どもの頃から材木を運んだり、カンナをかけたりして体を作っていた。幼少期に大の相撲好きだった父親から、郷土の英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされ、土地相撲に連れて行かれる内に相撲に憧れを抱き、角界入りを希望するが母親からは猛反対された。長崎県立上五島高等学校に進学後は相撲部に所属し、3年生で長崎県大会に参加を勧誘されて一度は辞退したものの、強引な説得に根負けして補欠選手として出場するが、いざ対戦してみるとほとんど負けなかったことから自信が付き、角界入りを強く望むようになった。