スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
堀江 圭功(ほりえ よしのり、1995年5月10日 - )は… 堀江 圭功(ほりえ よしのり、1995年5月10日 - )は、日本の男性総合格闘家。長崎県佐世保市出身。ALLIANCE所属。マネージメントはINFY Entertainment。 小学校2年生の時から剛柔流空手を始めた。佐世保実業高校時代は部活動で極真空手を学び、3年生の夏に部活動を引退してからは佐世保市のシスイ柔術でブラジリアン柔術を習った。高校卒業後は総合格闘家になるために上京し、ALLIANCEに入門した。 2016年10月2日、PANCRASE 281で楳原嵩を相手にプロデビュー戦を行い、3-0の判定勝ち。 2017年5月28日、PANCRASE 287のネオブラッド・トーナメントフェザー級1回戦で手塚勇太と対戦し、1Rにスタンドパンチ連打でTKO勝ち。
川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )… 川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、プロ野球コーチ。右投右打。 佐世保市立戸尾小学校では1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に軟式野球を始め、「1番・三塁手」として活躍した。 佐世保実業高校では遊撃手、二塁手として活躍し、4季連続九州大会に出場した。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。 九州国際大学法学部法律学科に進学した。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で首位打者となった。4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。
水町 浩(みずまち ひろし、1980年2月16日 - )は、… 水町 浩(みずまち ひろし、1980年2月16日 - )は、日本の男性キックボクサー。長崎県出身。士魂村上塾所属。 マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟第4代スーパーライト級、第17代ウェルター級、初代WMAF世界ウェルター級王者。第3代RISEライト級王者。 佐世保実業高等学校を卒業。1999年1月31日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟でプロデビュー。 2002年9月28日、山木ジム&東金ジム主催「SPIRIT」のMA日本ライト級王者決定戦に出場。水町は2位にランクされており、木村允(同級1位)と対戦。5R判定2-0で破れ、王座獲得にはいたらなかった。点差は1点・2点と僅差だった。
村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )… 村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)、プロ野球コーチ。 現役時代は読売ジャイアンツ(巨人)でプレーした。引退後は同球団のスコアラー、コーチを務めているほか、2016年より野球日本代表のバッテリーコーチを務めている。 佐世保実業高等学校時代は、4番主将としてチームを率い、1992年の甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。背番号は92。同姓の村田真一がいたため、スコアボード等の表記は「村田善」となる。 1995年、一軍に初昇格。オフに背番号を56に変更した。 1996年、フレッシュオールスターゲーム出場。 1998年オフに背番号を12に変更した。
吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、… 吉田 直喜(よしだ なおき、1967年6月14日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高ではエースとして甲子園に2回出場。1年秋は九州大会決勝で都城高の田口竜二と投げ合って敗退。2年1984年春の選抜では、1回戦で湯上谷宏らのいた星稜高を完封するが、続く2回戦で明徳高に惜敗。夏の県大会はベスト4。2年秋は九州大会準々決勝で東筑高・桧山泰浩と投げ合うが敗退。翌1985年夏の選手権は、県大会で骨折したため決勝以降は登板できず、1回戦で立教高に敗退。 高校卒業後は、青山学院大に進学。東都大学野球リーグでは、1年生の1986年春季リーグ開幕戦から登板。3年時の1988年秋季リーグでは長谷川寿(本田技研)とバッテリーを組み8勝1敗を記録。
大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )… 大坪 幸夫(おおつぼ ゆきお、1961年12月22日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 佐世保実業高から、1979年オフにドラフト外で南海ホークスに入団。 高い制球力が武器で、1984年には二軍戦でノーヒットノーランを達成している。 スリークォーターから、スライダー、カーブを武器とした。 1989年オフに退団し、1991年にマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に在籍したのち現役引退。 現在は会社員の傍ら、福岡陸上競技会所属まどかランニングクラブ代表委員。