宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 -… 宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。サッカーは小学校4年生の時から始め、全国少年サッカー決勝大会でベスト16に入った。
熊本県立大津高等学校:68人
宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 -… 宮崎 大志郎(みやざき だいしろう、1983年4月21日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはMF。サッカーは小学校4年生の時から始め、全国少年サッカー決勝大会でベスト16に入った。
田中 英雄(たなか ひでお、1983年3月1日 - )は、熊… 田中 英雄(たなか ひでお、1983年3月1日 - )は、熊本県下益城郡豊野町(現:宇城市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 幼少期は桑田真澄に憧れ、小学4年生の時は野球部に所属していた。サッカーを始めたのは小学5年生の時であり、サッカー部の監督を務めていた当時の担任から誘われたことがキッカケだった。鹿屋体育大学時代には、九州学生選抜としてデンソーカップサッカーの準優勝(2004年)も経験している。 2005年、ヴィッセル神戸に入団。入団1年目からコンスタントに出場機会を得てきた。2006年、スチュアート・バクスター監督に信頼されレギュラーを獲得。7得点を挙げた。
原田 拓(はらだ たく、1982年10月27日 - )は元プ… 原田 拓(はらだ たく、1982年10月27日 - )は元プロサッカー選手。ポジションはMF。 熊本県熊本市出身。地元の大津高校を卒業後、2001年に名古屋グランパスに入団。同年1stステージ第11節のコンサドーレ札幌戦(厚別)で公式戦デビューを果たした。 2004年に大分トリニータに移籍すると、当時のハン・ベルガー監督からレギュラーに抜擢され、同年1stステージ第11節の清水エスパルス戦(日本平)では公式戦初ゴールも記録した。しかし、ベルガー監督の退任後は徐々に出場機会が減り、2005年6月には出場機会を求め川崎フロンターレに期限付き移籍し、2006年から完全移籍。2007年のAFCチャンピオンズリーグでは、グループリーグ第5節のアレマ・マラン戦(等々力)、同第6節のバンコク・ユニバーシティFC戦(Royal Thai Army Stadium)で2試合連続ゴールを記録した。
大瀬良 直人(おおせら なおと、1982年4月9日 - )は… 大瀬良 直人(おおせら なおと、1982年4月9日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 大津高校3年時はキャプテンとしてチームを牽引。高校卒業後は駒澤大学に進学し、総理大臣杯3連覇やインカレ優勝など数多くのタイトルを獲得。2005年、ロッソ熊本とプロ契約。 2006年限りで現役を引退し、2007年シーズンよりロアッソ熊本トップチームコーチに就任した。 2010年より熊本のアカデミーコーチに就任したが、2015年1月14日に退任が発表された。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1981年7月11日 - )… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1981年7月11日 - )は、熊本県宇城市(旧下益城郡松橋町)出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)だが、ディフェンダーもこなす。熊本県立大津高等学校卒業。 2008年、栃木SCを指揮した柱谷幸一監督から「チームの背骨となる選手」の一人として名をあげられ、副キャプテンに指名された。 2010年-2011年には同クラブのキャプテンを務めた。2012年3月21日、現役を引退した。
中村 幸聖(なかむら こうせい、1981年4月5日 - )は… 中村 幸聖(なかむら こうせい、1981年4月5日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。
巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は… 巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現:宇城市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。 実父はロアッソ熊本持株会元理事の巻昇治、実弟は元プロサッカー選手の巻佑樹。実妹はハンドボール選手の巻加理奈。 幼い頃は色々なスポーツに触れて育ち、小学1年生からアイスホッケー、小学5年生からサッカーを続け、高校2年生まで両スポーツを両立していた。高校1年時には父親が監督を務めるアイスホッケー熊本県代表チームの選手として国体にも出場した。熊本県立大津高等学校では2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献。高校時代も本職はFWだったが、DFとしてプレーした際の評価のほうが高く、実際Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった。
山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は… 山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー。 高校在学時はユース代表に選ばれるなどチームの中心選手として活躍。高校卒業後、鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶ。同期には小笠原満男、本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準、中村祥朗といったユース代表の常連だった選手たちがいる。怪我が多く、2000年にレンタル移籍した大分トリニータ時代も含めJリーグでの出場はなかった。2002年にJFLのソニー仙台へ移籍。 2005年には地元熊本のロッソ熊本へ移籍。2009年11月17日、今シーズン限りでの現役引退を発表。 引退後は、2010年から2012年までロアッソ熊本のアカデミーコーチを務め、2013年からは同チームのトップチームコーチに就任。
櫛野 亮(くしの りょう、1979年3月3日 - )は、熊本… 櫛野 亮(くしの りょう、1979年3月3日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。 熊本県立大津高等学校3年時に第75回全国高校選手権に出場したが1回戦で茨城県の水戸商業に3-4で敗れた。 1997年にジェフユナイテッド市原に入団。入団当初は日本代表でもあった下川健一の前に出場機会に恵まれなかったが、2000年より出場機会が増加。2001年に下川が退団して以降はレギュラーに定着した。その後も正GKとしてプレーしていたが2005年8月21日の柏レイソルとの「千葉ダービー」で負傷退場。以降、立石智紀にポジションを奪われ出場機会が減少。2006年はリーグ戦での出場がなかった。
佐藤 真也(さとう しんや、1978年11月13日 - )は… 佐藤 真也(さとう しんや、1978年11月13日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはDF、MF。
福留 亮(ふくどめ りょう、1978年6月26日 - )は、… 福留 亮(ふくどめ りょう、1978年6月26日 - )は、熊本県出身のサッカー選手。ポジションはFW。
佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、… 佐藤 光治(さとう こうじ、1977年8月24日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、フットサル選手である。ポジションはディフェンダー。現在は熊本国府高等学校サッカー部の監督を務める。
藤本 敏史(ふじもと さとし、1976年6月19日 - )は… 藤本 敏史(ふじもと さとし、1976年6月19日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。現役を退いた後は熊本県の鹿本高校コーチを経て、ルーテル学院高校サッカー部でGKコーチを務めていた。
うすた 京介(うすた きょうすけ、1974年5月25日 - … うすた 京介(うすた きょうすけ、1974年5月25日 - )は、日本の漫画家。男性。愛知県生まれ、熊本県合志市育ち。熊本県立大津高等学校美術コース卒。妻は漫画家の榊健滋。 主に『週刊少年ジャンプ』でギャグ漫画を発表。代表作に『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』、『ピューと吹く!ジャガー』、『フードファイタータベル』。 1990年、『ザ★手ぬきくん対物酢御くん』で第2回GAGキング特別賞を受賞。同作品の「パート2」が『週刊少年ジャンプ』(集英社)1991年5号に掲載されてデビュー(なお、パート1はジャンプ・コミックスより刊行の短編集『チクサクコール』に掲載)。本人曰く、「白黒で描いたものが2色カラーになって掲載され、驚いた」という。
土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、… 土肥 洋一(どい よういち、1973年7月25日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 中学校1年生の時にサッカーを始めた。1992年、熊本県立大津高等学校卒業後の日本サッカーリーグが内定していたが、足の骨折により契約が流れた。 プロ選手への夢を諦めきれず、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の番組内企画「GENKI FC」(コーチはセルジオ越後)に出演。Jリーグクラブへのアピールを行い、ジャパンフットボールリーグ・日立製作所サッカー部(後の柏レイソル) との契約を果たした。 加藤竜二らとのポジション争いを経て正GKの地位を掴み、1996年にはアトランタ五輪バックアップメンバー選出や、JOMOカップ出場など活躍を見せたが、1998年以降は南雄太 や吉田宗弘の台頭を受け、ベンチ入りメンバーからも外れがちとなっていた。
山崎 慎治(やまざき しんじ、1972年1月17日 - )は… 山崎 慎治(やまざき しんじ、1972年1月17日 - )は、熊本県出身の元サッカー選手。ポジションはGK。 熊本県の大津高校卒業後、日本サッカーリーグのNKKサッカー部に入団。大津高校在学時には、バルセロナオリンピックを目指す、五輪代表候補に選ばれた経験がある。元ユース日本代表。JSLデビュー戦はルーキーイヤーの1990年10月28日対読売クラブ戦。後の武田修宏が度々メディアで語るオーバーヘッドキックを決められる。その後、1996年までセレッソ大阪に在籍。ヤンマー時代はレギュラーとしてJリーグ昇格に貢献するもJリーグでの公式戦出場はなく、ベンチ入りに留まった。現在は会社経営をし、奥さんもまた元女子リーグの選手。
坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、… 坂田 恵(さかた めぐみ、1971年10月18日 - )は、熊本県菊池郡大津町出身の元女子サッカー日本代表選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。熊本県立大津高等学校、日本体育大学卒業。 高校からサッカーを始める。日本体育大学在学中に日本女子代表へ招集され、1989年12月24日に行われた第7回AFC女子選手権ネパール戦(香港・モンコック)で初出場した。 翌1990年には日本女子サッカーリーグ・日産FCレディースに加入し、新人ながら全試合に出場した。翌年には第1回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーに選ばれたが、チーム廃部により1994年にプリマハムFCくノ一へ移籍。1995年の第7回日本女子サッカーリーグでチーム初優勝に貢献し、また第2回FIFA女子選手権(W杯)のメンバーにも選ばれた。
坂本 善三(さかもと ぜんぞう、1911年3月15日 - 1… 坂本 善三(さかもと ぜんぞう、1911年3月15日 - 1987年10月14日)は、日本の洋画家。 「グレーの画家」と呼ばれる。グレーと黒を主体にした独自の抽象画は、東洋の寡黙、沈黙の錬金術などとも評じられる。1986年のFIEST展(フランス、パリ)で、リトグラフィ「構成80」が専門家賞(Prix Professionnel)を受賞するなど、国際的にも評価が高い。 作品の収蔵は文化庁、栃木県立美術館、熊本県立美術館、福岡市美術館、北九州市立美術館、坂本善三美術館ほか。熊日社会賞、西日本文化賞、第1回長谷川仁記念賞、熊本県文化懇話会賞受賞。熊本県近代文化功労者。 熊本県阿蘇郡小国町には、坂本善三の作品など約500点を収蔵、展示する坂本善三美術館がある。