スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
湯田 哲生(ゆだ てつお、1974年5月11日 - )は、兵… 湯田 哲生(ゆだ てつお、1974年5月11日 - )は、兵庫県姫路市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、GK。 大分工業高校を卒業後、ウルグアイの名門、CAペニャロールでプレーした実績を持つ。思い切って前に飛び出すプレーと、左右両足での正確なフィードが持ち味。現役を引退後は指導者へ転身。2008年には、ドイツ・ブンデスリーガ、TSV1860ミュンヘンでGKコーチを経験している 。
小椋 伸二(おぐら しんじ、1962年1月19日 - )は、… 小椋 伸二(おぐら しんじ、1962年1月19日 - )は、大分県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 大分工業高校3年時の1979年に高校総体で準優勝。 東海大学を経て、1984年に日本サッカーリーグ (JSL) 2部のトヨタ自動車工業サッカー部に加入。JSL1部では1987-88シーズン、1990-91シーズン、1991-92シーズンと3シーズンにわたってプレーし、通算58試合に出場し4得点6アシストを記録した。また、1985年の天皇杯では初戦の国士舘大学戦で2得点をあげるなど4試合に出場しベスト4進出に貢献。1991年のコニカカップでは優勝、1992年のゼロックス・チャンピオンズ・カップでは準優勝を経験したが、両大会とも交代出場という形で決勝戦のピッチに立っている。
山口 悟(やまぐち さとし、1959年8月1日 - )は、日… 山口 悟(やまぐち さとし、1959年8月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはGK。 大分県立大分工業高等学校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。卒業後の1978年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部へ入部すると、日本ユース代表に選出され、1979年の1979 FIFAワールドユース選手権日本大会のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。 日本代表としては、川淵三郎監督が若手選手を積極的に採用する方針もあって1981年2月の東南アジア遠征で招集され、同月19日のシンガポール戦で代表デビューを飾った。 しかしながら所属する三菱重工では、同じポジションに当時の日本代表正GKである田口光久が在籍していた為、ポジション獲得には至らず、田口が現役を引退した1984年には背番号1を与えられたが、三菱養和SC出身の園部晃久とのポジション争いに敗れ、ポジションを獲得することは出来なかった。