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河井 案里(かわい あんり、1973年〈昭和48年〉9月23… 河井 案里(かわい あんり、1973年〈昭和48年〉9月23日 - )は、日本の政治家。 広島県議会議員(4期)を経て、2019年に参議院議員に初当選したが、2021年に当選無効となった(河井夫妻選挙違反事件)。旧姓は前田。夫は元衆議院議員で元法務大臣の河井克行。 宮崎県延岡市出身。建築家の父と声楽家の母の次女として生まれた。 父は東京で働いていたが、多忙により吐血して故郷の宮崎に移り、設計事務所を開いた。バブル期は羽振りがよく、案里を同行して海外各地へ社員旅行を繰り返した。バブル経済の崩壊などによって徐々に事務所経営が厳しくなる。しかし宮崎には市庁舎や病院など数々の建築作品が残されている。 4歳のときに宮崎市へ移住。
福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年〈昭和30年〉12月… 福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年〈昭和30年〉12月24日 - )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(5期)、社会民主党党首(第3・6代)、同参議院議員会長。宮崎県延岡市出身。神奈川県在住。内縁の夫に海渡雄一を持つ。 内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当・少子化対策担当・男女共同参画担当)、参議院行政監視委員長、社会民主党副党首、同幹事長(第4代)、学習院女子大学客員教授などを歴任した。 宮崎県延岡市出身。宮崎大学教育学部附属中学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1987年弁護士登録をし、第二東京弁護士会に所属する。その後、人権を重視する弁護士あるいはフェミニズム論の論客として、テレビ朝日『朝まで生テレビ!』、読売テレビ『ウェークアップ!』をはじめとしたテレビの政治討論番組などに出演した。
上原 公子(うえはら ひろこ、1949年(昭和24年)5月3… 上原 公子(うえはら ひろこ、1949年(昭和24年)5月3日 - )は、日本の政治家。元東京都国立市長(2期)、元国立市議会議員、元東京・生活者ネットワーク代表。東京都初の女性首長である。 宮崎県宮崎市生まれ。旧姓は布施。宮崎大学教育学部附属中学校を経て、1965年4月に宮崎県立宮崎大宮高等学校に入学。3年前に宮崎市内に宮崎県立宮崎南高等学校が新設されたことを受け、大宮高校は受験戦争を勝ち抜くため、成績上位者のリストを学内に掲示した。生徒会の役員だった上原は「なぜ成績の優秀者を生徒に周知させる必要があるのか。学校生活は何のためにあるのか」と生徒たちに問題提起し、話し合いをした。それとともに九州各地の高校を訪れ、生徒会のあり方も研究した。
長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月2… 長友 貞藏(ながとも ていぞう、1930年(昭和5年)5月28日 - 1994年(平成6年)5月3日)は、日本の政治家、官僚。宮崎市長。 宮崎県宮崎郡住吉村(現・宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、宮崎大学農学部農学科卒業。1953年農林省にキャリア技官として入省。農林経済局金融課課長補佐から1971年宮崎市に出向。経済部長、総務部長を経て、1976年から1978年まで助役を務めた。 1979年から宮崎県議会議員(自由民主党)を務めるも任期途中で辞職し、1982年宮崎市長選挙に出馬し当選。1994年3期目の途中で健康上の理由で引退し、長友の任期中一貫して助役であった坂本昭三が実質的な後継者として市長選に臨んだが、津村重光に敗れた。
中馬 馨(ちゅうま かおる、1904年(明治37年)11月2… 中馬 馨(ちゅうま かおる、1904年(明治37年)11月20日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、日本の政治家。大阪市長(1963年 - 1971年)。元衆議院議員の中馬弘毅は長男。 1904年11月20日宮崎県児湯郡三納村(現:西都市)に中馬重顕の長男として出生。1916年宮崎県立宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)入学。1920年攻玉社中学校(現:攻玉社中学校・高等学校)に編入し、1922年卒業。 1926年第一早稲田大学高等学院卒業。1929年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。大阪市役所に奉職。若い頃から關一ら歴代市長の側近にあって市政の枢要に触れる。市民局長、総務局長を経て、1948年に助役となり、大阪市立大学の開設、ジェーン台風被災者の救援活動に尽力した。
森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日… 森 由己雄(もり ゆきお、1892年(明治25年)9月24日 ‐ 1955年(昭和30年)8月6日) は、大正から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員、宮崎県西諸県郡小林町長。由巳雄と表記される場合がある。 宮崎県西諸県郡小林村(小林町を経て現小林市)で、森長興の長男として生まれた。旧制宮崎中学校(現:宮崎県立宮崎大宮高等学校)、第七高等学校造士館を経て、1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 司法官試補に任官し東京地方裁判所で勤務。1921年(大正10年)弁護士を開業した。宮崎市会議員、宮崎県会議員、小林町長に在任。その他、小林町農会長、同農業会長なども務めた。 1936(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区から立憲政友会公認で立候補したが落選。
平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月… 平島 敏夫(ひらしま としお、1891年(明治24年)11月4日 - 1982年(昭和57年)2月14日)は、日本の政治家、弁護士、教育者。衆議院議員(1期)、参議院議員(3期、自由民主党)、南満洲鉄道副総裁、2代目大東文化大学学長。 宮崎県児湯郡高鍋村(現高鍋町)出身。平島重綱の長男。幼少時より秀才の誉れが高く、高鍋学校(現宮崎県立高鍋高等学校)、宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)から学校推薦で第一高等学校に進学。1918年(大正7年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)卒。内務属、長崎県理事官、南満洲鉄道秘書役、同参事、台湾総督府秘書官兼事務官などを務め、弁護士を経て司法大臣秘書官となる。
田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 19… 田中 長茂(たなか ながしげ、1891年6月11日 - 1969年9月14日)は、日本の農林官僚、政治家。宮崎県知事を1期務めた。 宮崎県南那珂郡福島町(現・串間市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第五高等学校、東京帝国大学法学部・農学部卒。1921年(大正10年)農商務省に入省。戦前は革新官僚として、産業組合の創立や農地改革(当時は実現せず)などに携わり、水産局長、山林局長を経て退官。 1951年(昭和26年)4月1日、第2回宮崎県知事選挙に出馬。吉見房見共に法廷得票数に達せず、決選投票。同年5月18日、宮崎県知事選決選投票で当選、宮崎県知事となる。 1953年(昭和28年)に郵政省は宮崎県に新しい民放局の周波数を割り当てたがものの、当初地元では民放設立の動きが全くなく、鹿児島県の南日本放送がこの機会を利用し宮崎市に中継局をつくろうと運動を始めていた。
二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1… 二見 甚郷(ふたみ じんごう、1888年10月16日 - 1968年11月17日)は、日本の政治家、外交官。宮崎県知事(公選第3代)。宮崎市長(第9代)。衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)。 宮崎県東諸県郡高岡町(現宮崎市)出身。宮崎県立宮崎中学校、第七高等学校造士館(現在の鹿児島大学)を経て、1915年東京帝国大学法学部政治学科卒。同年外交官及領事官試験に合格し外務省に入省、1923年退官。1928年に衆議院議員に当選。1933年には在郷軍人の国家主義団体である明倫会を結成し宣伝部長に就任。1941年駐タイ公使を経て、1945年宮崎市長となる。1947年の公選制となっての最初の県知事選では、得票数1位となるも法定得票数に届かず、安中忠雄との決選投票となるが、投票直前に公職追放された。
竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2… 竹下 豊次(たけした とよじ、1887年(明治20年)2月2日 – 1978年(昭和53年)4月25日)は、大正から昭和期の官僚、政治家。貴族院多額納税者議員、参議院議員(緑風会)。 宮崎県南那珂郡西方村(福島村大字西方、福島町を経て現串間市)出身。1904年(明治37年)旧制宮崎県立宮崎中学校(現 宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1907年(明治40年)旧制第七高等学校造士館卒業。1911年(明治44年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、大学院に学んだ。1912年(大正元年)高等試験行政科に合格し、翌年に福岡県属警部となった。以後、同県警視、製鉄所副参事、同参事、農商務省工場監督官、同書記官・工場課長を歴任した。
長峰 与一(ながみね よいち、1874年1月8日 - 193… 長峰 与一(ながみね よいち、1874年1月8日 - 1931年4月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 現在の宮崎県宮崎市で生まれた。1894年(明治27年)宮崎県尋常中学校(現 宮崎県立宮崎大宮高等学校)を第1回生として卒業。旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科を中退し、アメリカのテキサスに留学し農業を学ぶ。その後、中国に渡り、天津に在留し、肥料製造及び販売業に従事し、その傍ら倉庫業を経営し、天津商工銀行取締役となる。また、天津居留民団行政委員会議員、同議長、天津日本人商業会議所評議員を歴任する。 1917年(大正6年)第13回衆議院議員総選挙において宮崎県区から立憲政友会公認で立候補して初当選した。