スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は… 浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 「チーム内に(濱田達郎と)浜田が2人いる」という事で、「九州の浜田」という理由から、現役時代のニックネームは「ハマ九(ハマキュウ)」だった。 宮崎工業高等学校では3年の選抜大会で甲子園に出場。1回戦では前橋工業を相手に2安打完封勝利。2回戦では広陵高等学校の有原航平と投げ合い、0-1でサヨナラ負けを喫した。 九州産業大学に進学後、3年春の九州工業大学戦で無安打無得点試合を達成。4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8入りし、秋には明治神宮野球大会にも出場した。大学通算24勝8敗。
村上 悦雄(むらかみ えつお、1950年4月10日 - )は… 村上 悦雄(むらかみ えつお、1950年4月10日 - )は、宮崎県東諸県郡綾町出身の元プロ野球選手(投手)。 宮崎工業高校から高島屋製作所を経て、1971年にドラフト外で南海ホークスへ入団。高島屋製作所では軟式をやっており、エースだった。 入団2年目の1973年にオーバースローからサイドスローにモデルチェンジ。カーブ、スライダーに沈む球を織り交ぜて、高低にうまく投げ分ける投球が持ち味。球は速い。 1978年に現役を引退し、マネージャー兼打撃投手として南海に残った。 ニックネームの由来は不明だが、水島新司作の「あぶさん」では主に、南海時代のエピソードに登場するシーンが多く、「村上(えんきょう)」と本名の部分にニックネームがルビで振られている。
小松 輝清(こまつ てるきよ、1941年7月23日 - )は… 小松 輝清(こまつ てるきよ、1941年7月23日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 宮崎大淀高等学校から1960年に阪急ブレーブスへ入団。1964年に引退。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、… 菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 宮崎大淀高校から1957年に広島カープへ入団。1958年に退団。
大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018… 大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018年6月4日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手。 宮崎大淀高校から鹿児島鉄道管理局を経て、1954年に南海ホークスへ入団。 南海では代走、守備固め要員として試合途中からの出場がほとんどで、1955年は111試合出場で110試合、1956年は97試合全て途中出場という記録だった。 1957年に引退。引退後は鹿児島鉄道管理局に指導者として復帰し、NHK鹿児島放送局の野球解説者としても活動した。