スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
水久保 漱至(みずくぼ そうし、1999年3月1日 - )は… 水久保 漱至(みずくぼ そうし、1999年3月1日 - )は、日本の陸上選手。専門は短距離走。 2023年世界陸上競技選手権大会の4×100mリレーの日本代表に選出された(出場はなし)。2024年8月に出場した富士北麗ワールドトライアルの200mで20秒14で優勝し、2025年世界陸上競技選手権大会の参加標準記録を突破し出場権を獲得した。 宮崎県宮崎市出身。宮崎市立大淀中学校、宮崎県立宮崎工業高等学校、城西大学卒。宮崎県スポ協所属。第一酒造勤務。
竹内 柊平(たけうち しゅうへい、1997年12月9日 - … 竹内 柊平(たけうち しゅうへい、1997年12月9日 - )は、ラグビーユニオンの選手。ジャパンラグビーリーグワンの東京サントリーサンゴリアスに所属している。 宮崎県出身。小学校6年生から中学校3年生まで、宮崎ラグビースクールに在席。 2016年、宮﨑工業高校卒業後、九州共立大学に入学。 2019年、九州共立大学ラグビー部の主将に就任した。 2020年、NTTコミュニケーションズシャイニングアークスに加入。 2022年1月8日に行われたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE第1節コベルコ神戸スティーラーズ戦にて途中出場で公式戦初出場を果たした。 同年6月18日に行われたリポビタンDチャレンジカップ2022ウルグアイ戦にて途中出場で日本代表初キャップを獲得した。
浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は… 浜田 智博(はまだ ともひろ、1992年10月1日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 「チーム内に(濱田達郎と)浜田が2人いる」という事で、「九州の浜田」という理由から、現役時代のニックネームは「ハマ九(ハマキュウ)」だった。 宮崎工業高等学校では3年の選抜大会で甲子園に出場。1回戦では前橋工業を相手に2安打完封勝利。2回戦では広陵高等学校の有原航平と投げ合い、0-1でサヨナラ負けを喫した。 九州産業大学に進学後、3年春の九州工業大学戦で無安打無得点試合を達成。4年春の全日本大学野球選手権大会ではベスト8入りし、秋には明治神宮野球大会にも出場した。大学通算24勝8敗。
相馬 卓弥(そうま たくや、1991年〈平成3年〉7月5日 … 相馬 卓弥(そうま たくや、1991年〈平成3年〉7月5日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。宮崎県出身。ポジションはシューティングガード/スモールフォワード。 本郷中学校、宮崎工業高校を経て2010年4月、天理大学に進学。4年生時の2013年関西学生バスケットボールリーグ戦で優勝し、最優秀選手賞を受賞。関西選抜にも選出されている。[要出典] 2014年1月、bjリーグのアーリーエントリー制度により大阪エヴェッサと契約。2014-15シーズン、リーグ新人賞を受賞した。 2024年12月、福島ファイヤーボンズと契約したことが発表された。 2025年7月、バンビシャス奈良と契約したことが発表された。
浜崎 勇矢(はまさき ゆうや、1987年11月30日 - )… 浜崎 勇矢(はまさき ゆうや、1987年11月30日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。バレーボール指導者。 大宮中学1年からバレーボールを始める。宮崎工業高校を卒業後、2006年に、V・プレミアリーグ(当時の1部リーグ)に在籍する豊田合成トレフェルサへ入団。2009年に、同じくV・プレミアリーグに在籍する大分三好ヴァイセアドラーへ移籍した。 2013年5月、大分三好を退団し、同年9月にV・チャレンジリーグ(当時の2部リーグ)に在籍するつくばユナイテッドSun GAIAに移籍した。2015年5月を以てつくばユナイテッドSun GAIAを退団し、2015年6月、大分三好ヴァイセアドラー(当時V・チャレンジリーグ所属)に復帰した。
甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、… 甲斐 祐之(かい ひろゆき、1978年7月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 宮崎県宮崎市出身。母・(旧姓)脇田代喜美は世界選手権で銀メダルを獲得し、モントリオールオリンピックに出場した元ユニチカのバスケットボール選手。父も弟もバレーボール選手。 宮崎市立高岡中学校入学後、母の影響もあり当初はバスケットをやるつもりだったが、バレー部の先生に誘われてバレーボールを始める。中学3年時にさわやか杯宮崎県選抜に選ばれている。高校は地元バレーの強豪・宮崎県立宮崎工業高等学校へ進学、1年からレギュラーに抜擢され、全日本ユースやジュニアに選ばれている。 1997年、筑波大学へ進学。 2000年に新日鐵(現堺ブレイザーズ)に入部。
小渕 健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 - … 小渕 健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 - )は、宮崎県宮崎市出身のミュージシャン・シンガーソングライター・作詞家・作曲家。コブクロのメンバーであり、ボーカル・ギターを担当している。愛称は「コビィ」・「主任」・「こぶちん」など。血液型O型。身長168cm。既婚。 コブクロの楽曲の大半を作詞・作曲しており、特にシングルやアルバムに収録された楽曲のうち黒田が作詞・作曲した12曲(2018年現在)を除く全ての曲において、小渕が作詞・作曲に関わっている(「桜」など共作も幾つか存在するが、大半が小渕の単独作品)。 ギターは小学校5年の時に始めた。きっかけは、ユニコーン(当時)のギタリスト奥田民生に憧れたこと。
水筑 優文(みずき まさふみ、1974年8月1日 - )は、… 水筑 優文(みずき まさふみ、1974年8月1日 - )は、宮崎県出身の元サッカー選手。ポジションはDF。
月岡 利明(つきおか としあき、1971年11月14日 - … 月岡 利明(つきおか としあき、1971年11月14日 - )は、宮崎県出身 の元サッカー選手(DF)、指導者(JFA 公認A級コーチ)。 宮崎県立宮崎工業高等学校卒業。1990年、マツダSC(のちのサンフレッチェ広島)に入団。同期に片野坂知宏、吉本祐一、永田隆二ら。トップチームに登録されず、2軍であるマツダSC東洋でプレーした。1992年にはサンフレッチェ広島の選手としてJリーグカップに選手登録されている。 Jリーグ開幕後はサンフレッチェ広島とプロ契約を結ばず引退し、下部組織コーチとして活躍。槙野智章、森重真人、左山晋平、平繁龍一らはジュニアユース監督時代の教え子。当時FWだった槙野と森重をDF・MFにそれぞれコンバートしたのは月岡である。
丸小野 仁之(まるおの ひとし、1971年10月27日 - … 丸小野 仁之(まるおの ひとし、1971年10月27日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門は混成競技。熊本県出身。熊本県~鹿児島県~宮崎県立宮崎工業高等学校、福岡大学卒業。大学時代の21歳のときに十種競技を始めた。日本選手権で1998年と2000年に2度の優勝、アジア陸上競技選手権大会で1995年と2000年に2度の優勝をしている。現在は高校の教員をしている。 各種目最高記録100m11.01走幅跳7m81砲丸投14m46走高跳2m11400m50.23110mH14.68円盤投42m75棒高跳4m85やり投66m361500m4.39.07400mH52.6
高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - … 高本 詞史(たかもと のりふみ、1967年12月31日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会A級ライセンスを所有している。現役時代のポジションはDF。 福岡大学を卒業後、東芝サッカー部に入団。東芝在籍中の1991年6月にキリンカップサッカーの日本代表にも選出された。 1993年に名古屋グランパスエイトへ移籍し、開幕節にも出場した。1994年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍して1996年に現役を引退した。 1997年、京都のジュニアコーチに就任。以降はジュニア監督やアカデミーセンターセンター長などアカデミーの職を歴任し、2014年には京都の育成部チーフスカウト兼強化部スカウトを務めた。
日高 政光(ひだか まさみつ、1960年10月19日 - 2… 日高 政光(ひだか まさみつ、1960年10月19日 - 2022年3月9日)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督。宮崎県出身。 宮崎工業高校建築科、九州産業大学工学部建築学科を卒業後、建築業界の不況のため上京する。学生時代の頃から、図面を見れば建物の外見を描けたと後に述懐しており、こうした技能は自身が絵コンテ・演出として参加した『熱血最強ゴウザウラー』(1993年)での、校舎がロボットへと変形するシーンなどでも活かされる格好となった。 映画『クラッシャージョウ』、『うる星やつら オンリー・ユー』の影響でアニメーターを志望しており、当初はスタジオコスモスに入社しアニメーションの制作進行を担当、この時期には『タオタオ絵本館 世界動物ばなし』(1983年)などを手がけている。
ミッキー大野(ミッキーおおの、本名:大野 徳行、1955年1… ミッキー大野(ミッキーおおの、本名:大野 徳行、1955年10月9日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。 宮崎市のフォークバー『フォークビレッジ』オーナー。 宮崎県北諸県郡高城町生まれ。宮崎市田野町で育つ。宮崎市立田野中学校、宮崎県立宮崎工業高等学校を経て、駒澤大学を卒業。 ジャンルはフォークソング、フォークロック、カントリー、ニューミュージック。自ら作詞・作曲を手がけ、ボーカル、ギター、ハーモニカを担当。アルバムとして、『夢、独り追い続け』、『Country Taste』、『便り俺元気(ベスト版)』、『遠い憧憬(あこがれ)』。シングルとして、『ニシタチRainy Blues』、『みやざきのお酒の唄』、『ふるさとの山』がある。
村上 悦雄(むらかみ えつお、1950年4月10日 - )は… 村上 悦雄(むらかみ えつお、1950年4月10日 - )は、宮崎県東諸県郡綾町出身の元プロ野球選手(投手)。 宮崎工業高校から高島屋製作所を経て、1971年にドラフト外で南海ホークスへ入団。高島屋製作所では軟式をやっており、エースだった。 入団2年目の1973年にオーバースローからサイドスローにモデルチェンジ。カーブ、スライダーに沈む球を織り交ぜて、高低にうまく投げ分ける投球が持ち味。球は速い。 1978年に現役を引退し、マネージャー兼打撃投手として南海に残った。 ニックネームの由来は不明だが、水島新司作の「あぶさん」では主に、南海時代のエピソードに登場するシーンが多く、「村上(えんきょう)」と本名の部分にニックネームがルビで振られている。
小松 輝清(こまつ てるきよ、1941年7月23日 - )は… 小松 輝清(こまつ てるきよ、1941年7月23日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 宮崎大淀高等学校から1960年に阪急ブレーブスへ入団。1964年に引退。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、… 菊地 武和(きくち たけかず、1938年4月2日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 宮崎大淀高校から1957年に広島カープへ入団。1958年に退団。
大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018… 大戸 雄記(おおと ゆうき、1930年4月1日 - 2018年6月4日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手。 宮崎大淀高校から鹿児島鉄道管理局を経て、1954年に南海ホークスへ入団。 南海では代走、守備固め要員として試合途中からの出場がほとんどで、1955年は111試合出場で110試合、1956年は97試合全て途中出場という記録だった。 1957年に引退。引退後は鹿児島鉄道管理局に指導者として復帰し、NHK鹿児島放送局の野球解説者としても活動した。
鹿島 透(かしま とおる、1896年(明治29年)12月2日… 鹿島 透(かしま とおる、1896年(明治29年)12月2日 ‐ 1980年(昭和55年)1月24日) は、大正末から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。 宮崎県児湯郡上穂北村穂北(西都町を経て現西都市穂北)で、鹿島栄三郎の三男として生まれた。1923年(大正12年)東京高等工業学校(現東京工業大学)附設工業教員養成所を卒業した。 宮崎県、大阪市の小学校訓導、宮崎県立宮崎工業学校(現宮崎県立宮崎工業高等学校)長兼教諭、青年学校視学委員、宮崎県教育会長、同県建設業協会長、国土計画審議会委員、上代日向研究所委員、日本教育会宮崎県副支部長、宮崎県教育委員長などを務めた。 1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
阿萬 亜里沙(あまん ありさ)は、日本の元陸上競技選手で、1… 阿萬 亜里沙(あまん ありさ)は、日本の元陸上競技選手で、100mの元日本記録保持者(11秒73)でもある。身長150cm。宮崎県日南市出身。 日南市で生まれるが、その後宮崎市に移った。小学生時代は喘息持ちながらも、運動会の徒競走では常に一番だった。中学に入ると新体操をやってみたいと思っていたものの、足の速さを買われて陸上部に入部した。3年の時にはジュニアオリンピックで優勝を果たした。 宮崎工業高校に進むと、コーチである藤井晃治の指導の下、1年の全国高等学校総合体育大会陸上競技大会(インターハイ)では準決勝で敗れたが、秋になると100mで11秒台を出すようになった。2年のインターハイ[いつ?]100mでは予選、準決勝で11秒台を連発すると、決勝でも当時の日本記録である11秒73を記録して優勝を成し遂げた。