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玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月1… 玉 朝南(オク・チョナム、朝鮮語: 옥조남、1918年2月16日 - 1997年7月26日)は、大韓民国の教授、実業家、政治家。第6代韓国国会議員。 平安南道順川生まれ、ソウルまたは慶尚南道統営出身。平壌公立中学校、山口高等学校文科、東京帝国大学法律学科卒。株式会社朝鮮ポンプ製作所重役、新興大学校・慶熙大学校法科大学教授、漢陽大学校政経大学講師、国家再建最高会議交逓委員会諮問委員、高等考試委員、民主共和党京畿第13区党委員長・国会対策委員、民主共和党所属の第6代国会議員を務めた。 1997年7月26日、持病によりソウル大病院で死去。享年79。
谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 -… 谷 光次(たに みつじ、1907年〈明治40年〉2月2日 - 2002年〈平成14年〉11月30日)は、日本の政治家。弁護士。鳴門市長。京都帝国大学法学部法科卒業。徳島県鳴門市出身。 板野郡撫養町(現在の鳴門市)で生まれた。父は撫養町長を務めた谷伊七郎。旧制山口高等学校を経て、1931年(昭和6年)に京都帝国大学法学部法科卒業。 大学卒業後、京都市と徳島市で弁護士として務め、徳島市選管委員長、徳島県出納長、徳島県弁護士会会長を経て1959年(昭和34年)に鳴門市長に初当選。その後、28年間、7期に渡り鳴門市長を務めた。1978年(昭和53年)には、西ドイツ政府からドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章が贈られた。
佐野 広(廣、さの ひろし、1904年(明治37年)9月28… 佐野 広(廣、さの ひろし、1904年(明治37年)9月28日 - 1980年(昭和55年)1月19日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員。旧姓は永井。 島根県大原郡春殖村(大東町を経て現雲南市)で、永井伊太郎の三男として生まれる。1925年(大正14年)弁護士佐野正雄の養子となった。旧制山口高等学校を経て、1932年(昭和7年)京都帝国大学法学部法律学科を卒業した。 1933年(昭和8年)出雲電気に入社。その後、代議士櫻内幸雄の秘書となる。戦後、中国電力島根支店次長、同東京支社長を歴任。その他、島根県農村電化協会会長、同体育協会理事長、日本バレーボール協会参与、ラジオ山陰(現山陰放送)相談役、民主党島根支部連幹事長、自由民主党島根支部連会長などを務めた。
牧野 良三(まきの りょうぞう、1885年(明治18年)5月… 牧野 良三(まきの りょうぞう、1885年(明治18年)5月26日 - 1961年(昭和36年)6月1日)は、日本の政治家。 岐阜県大野郡高山町上向町(現・高山市)に旅館主・牧野伊平の三男として生まれた。斐太中学、旧制山口高等学校(旧旧山高)を経て東京帝国大学法科大学に進学し、卒業後、官界・法曹界を経て政界に入った。総選挙に通算12回立候補し、10回当選した。 戦前は立憲政友会に所属した。政友会内にあっては自由主義の立場に立ち、1939年(昭和14年)の政友会の分裂に際しては自由主義的な正統派(総裁・久原房之助)に所属し、翌1940年(昭和15年)に反軍演説による斎藤隆夫除名問題に際しても同じ政友会正統派所属の芦田均や宮脇長吉らとともに斎藤除名に対し反対票を投じた(反対票は7票のみ)。
斎藤 直橘(さいとう なおきつ / なおき、1883年(明治… 斎藤 直橘(さいとう なおきつ / なおき、1883年(明治16年)5月18日 - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の政治家、内務官僚。衆議院議員、福井県知事、福井市長。 宮城県出身。斎藤忠治郎の三男として生まれる。山口高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、内務省に入り警視庁見習となる。以後、徳島県理事官、福井県理事官、大阪府理事官、茨城県警察部長、奈良県書記官・内務部長、富山県書記官・内務部長などを歴任。 1930年8月、福井県知事に就任。1931年12月18日まで在任して休職し、同月24日に依願免本官となり退官した。
百済 文輔(くだら ぶんすけ / ふみすけ、1883年〈明治… 百済 文輔(くだら ぶんすけ / ふみすけ、1883年〈明治16年〉4月21日 - 1952年〈昭和27年〉8月4日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選県知事、川崎市長、小倉市長。 山口県厚狭郡高千帆村(現山陽小野田市)出身。神職百済忠敬の息子として生まれる。山口高等学校を卒業。1908年、京都帝国大学法科大学政経学科を卒業。内務省に入省し山梨県属となる。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1911年3月、山梨県東山梨郡長に就任。1913年、関東都督府参事官となる。以後、大阪府事務官、三重県警察部長、群馬県内務部長、愛媛県内務部長、東京府産業部長、同書記官・内務部長、北海道庁内務部長など歴任。
豊田 勝蔵(とよだ / とよた かつぞう、1882年(明治1… 豊田 勝蔵(とよだ / とよた かつぞう、1882年(明治15年)12月27日 - 1939年(昭和14年)11月23日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選福井県知事、樺太庁長官、台湾総督府内務局長、萩市長を歴任。 山口県阿武郡萩町細工町(現萩市細工町)出身。豊田三蔵の長男。旧制山口高等学校を経て、1908年東京帝国大学法科大学法律学科卒業。内務省に入省し、埼玉県属となる。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、鹿児島県事務官、同理事官、秋田県警察部長、静岡県警察部長、台湾総督府警務官、台北高等商業学校長兼総督府参事官などを歴任。 1924年7月、福井県知事就任。郡役所廃止後に備えた吏員講習所の設置、県営印刷所の設置、自作農創設の新政策の実施などを推進した。
雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、… 雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、1880年(明治13年)7月16日 - 1956年(昭和31年)8月3日)は、明治末から昭和前期の農業技術者、政治家、実業家。衆議院議員、山口県豊浦郡豊東村長。 山口県豊浦郡上保木村(豊東村上保木、菊川町を経て現下関市菊川町大字上保木)で、雑賀敬二郎の息子として生まれる。山口高等学校を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学農科大学を卒業した。1908年(明治41)12月、一年志願兵として入営し、1911年(明治44年)4月、陸軍歩兵少尉に任じられ、のち歩兵中尉に昇進。 島根県農業技師に任官。熊本県農業技師に転じ、同県農商課長、熊本県農会幹事、同県産牛馬組合連合会副組長、同県茶業組合連合会顧問、熊本商業会議所特別議員、大日本産業組合熊本支部理事、大日本蚕糸業組合熊本支会商議員、同県実業団体連合会顧問などを務めた。
島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18… 島田 俊雄(しまだ としお、1877年〈明治10年〉6月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月21日)は、日本の政治家。 政界入りする前は地方自治の現場にいて地方自治の研究をした数少ない人物であり、政界に入ってからは衆議院議員選挙に9回当選し、農林大臣・衆議院議長等を務めた。雄弁家としても知られた。 島根県江津市出身。旧制山口高等学校卒業。1900年(明治33年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、雑誌『明美王道』及び『実業時論』両誌の編集者となる。1903年(明治36年)、東京市吏員に転じ、教育課長・勧業課長を歴任。1905年(明治38年)、中国雲南省法制学堂講師となる。1907年(明治40年)、帰国。
三浦 倫吉(みうら りんきち、1873年(明治6年)2月21… 三浦 倫吉(みうら りんきち、1873年(明治6年)2月21日 - 1916年(大正5年)8月7日)は、衆議院議員(立憲同志会)、弁護士。 島根県那賀郡浜田町(浜田市)出身。山口高等学校を経て、1901年(明治34年)に東京帝国大学法科大学英法科を卒業した。卒業後は司法官となり、岡山区裁判所判事、京都区裁判所兼地方裁判所判事を歴任した。1904年(明治37年)に退官した後は、京都市で弁護士・弁理士・破産管財人として活動した。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。