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数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月… 数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月18日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。 数山定太郎の二男として山口県下関市に生まれる。広島高等学校を卒業。1930年(昭和5年)4月、東京帝国大学法学部法律科(英法)を卒業し、同年10月高等試験行政科および司法科に合格。同大大学院に進んだのち、1932年(昭和7年)6月に台湾総督府に奉職する。文教局学務課勤務を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任した。 ついで支那に転じ、興亜院調査官廈門連絡部勤務を経て、1942年(昭和17年)11月、大使館三等書記官となった。 戦後、丸善化成監査役を務めた。
日高 第四郎(ひだか だいしろう、1896年2月16日 - … 日高 第四郎(ひだか だいしろう、1896年2月16日 - 1977年12月14日)は、日本の教育学・文教官僚。 日高秩父・リキ夫妻の四男として東京府(現:東京都)に生まれる。1922年京都帝国大学文学部哲学科卒。広島高等学校教授、第三高等学校教授、第一高等学校教授、1946年文部省学校教育局長となり、戦後の学制改革に参加。のち国立教育研究所長、1951年文部事務次官。文部事務次官時代の1952年2月、女子及び年少者の人身売買に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。同年国際基督教大学教授。1966年定年退職、学習院女子短期大学学長兼学習院副学長を務め1970年退職。日本ユネスコ国内委員、民主教育協会副会長、教育課程審議会会長などを務めた。