大西 政寛(おおにし まさひろ、1923年〈大正12年〉 -… 大西 政寛(おおにし まさひろ、1923年〈大正12年〉 - 1950年〈昭和25年〉1月18日)は、日本のヤクザ。土岡組若頭。広島県呉市広小坪出身。「悪魔のキューピー」と呼ばれた。 1923年(大正12年)、広島県賀茂郡広村小坪(現:呉市広小坪)に出生。1925年(大正14年)に父母が離婚。同年に父が死亡し、以降、祖母に育てられた。 1930年(昭和5年)に尋常小学校へ入学。1935年に祖母が死去すると、当時幼馴染と再婚していた母のもとへと引き取られた。翌1936年に尋常小学校高等科1年へ進級。同年、尋常小学校高等科の教師を文鎮で殴打し、即日退校を命じられた。退校後、義父の紹介でカシメ(鉄骨と鉄骨の接合部分を熱したボルトで締め付ける職人)の向井組の若衆となった。
関野 栄一(せきの えいいち、1923年 - 1999年4月… 関野 栄一(せきの えいいち、1923年 - 1999年4月13日)は、日本の実業家、馬主。 鉄骨工事や鉄道模型の製造・輸出などを手掛けた株式会社あかね製作所の代表取締役を務めていた。東京都八王子市出身。 1923年、東京都出身。経営者としては先述の事業のほか、としまえん(東京都練馬区)の「アフリカ館」の建設にも携わった。関野自身がアフリカへ赴き、研究を重ねて完成させたという。 1999年4月13日午後5時7分、心筋梗塞のため死去。76歳没。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は紫、赤袖、黄鋸歯形。冠名には経営していた会社名より「アカネ」を用いた。
伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6… 伊藤 正一(いとう しょういち、1923年 - 2016年6月17日)は日本の山小屋経営者、著作家。 長野県松本市出身で、町一番の料亭の長男。飛行機のエンジンなどに携わるエンジニアだったが、第二次大戦後はその資産を山に注ぎ込んだ。1945年に三俣蓮華小屋を買取ったのを皮切りに続いて水晶小屋も得ると、その後湯俣山荘、雲ノ平山荘を建設した。湯俣温泉から湯俣川沿いに三俣山荘に至る伊藤新道(1956年開通)の開削を主導。日本勤労者山岳連盟を創設。 2016年6月17日、多臓器不全のため死去。 新道は1983年に通行困難となり廃道となるも、再整備され2023年8月に復活。現在は長男・圭が三俣山荘と水晶小屋を、次男・二郎が雲ノ平山荘の経営を引き継いでおり、伊藤新道の廃道とともに40年間閉まっていた湯俣山荘も長男によって改装され2023年再オープン。
上野 晴朗(うえの はるお、1923年(大正12年) - 2… 上野 晴朗(うえの はるお、1923年(大正12年) - 2011年(平成23年)12月2日)は、日本の郷土史家・作家。山梨郷土研究会会員。 山梨県東山梨郡日下部村七日市場(現在の山梨市)に生まれる。山梨県立図書館の司書として郷土資料室に勤務し、1951年(昭和26年)には甲州文庫(現在は山梨県立博物館に移管)の受け入れに携わる。 のち、学芸員として富士博物館に勤務し、山梨県文化財審議委員や山梨県自然環境保全審議員などを歴任する。また、山梨県内の市町村が刊行する自治体史については、1962年(昭和37年)刊行の『勝沼町誌』をはじめ、後に刊行された『南部町誌』、『一宮町誌』、『御坂町誌』、『八代町誌』及び『明野村誌』などの編纂・執筆に携わる。