佐田 弘治郎(さだ こうじろう、1875年 - 1952年7… 佐田 弘治郎(さだ こうじろう、1875年 - 1952年7月13日)は、日本のジャーナリスト、調査研究員(リサーチャー)。南満洲鉄道調査課長を務め、中国を始めとする東アジア地域に加え、ロシアやソ連、ドイツなどの欧州地域の調査活動を行った。 1875年(明治8年)生まれ。 1897年(明治30年)、立教専修学校(現・立教大学)卒業。 その後、南満洲鉄道に入社。満鉄調査課に所属し、調査課長を務める。 1927年(昭和2年)には、『東部内外蒙古調査報告』を取りまとめたが、これは満鉄調査団として、調査地域における「牧畜、農業、工業及地質等の経済事情並運有交通、行政財政、宗教教育、人情風俗、気象衛生等に関する諸事情を明らかにし以て日支の共存共栄、蒙古の開発、対蒙貿易促進其の他に資せんとする目的を以て」調査に臨むという意図で行われたものであった。
森 喜平(もり きへい、1875年〈明治8年〉- 1969年… 森 喜平(もり きへい、1875年〈明治8年〉- 1969年〈昭和44年〉2月22日)は、日本の政治家。息子は根上町長を務めた森茂喜。内閣総理大臣を務めた森喜朗の祖父である。 石川県能美郡根上村(のち根上町、現在の能美市)に江戸時代、庄屋を務めた旧家に生まれる。幼少時から俊才の誉れ高く、周囲から一目置かれる存在であった。 1917年、推挙されてに根上村長に就任。1934年には根上町の町制施行にともない町長に就任した。途中4ヶ月間を除き、28年間にわたって村政、町政を預かり、村民(町民)の生活水準向上に大きく貢献した。また、その影響力は村内(町内)にとどまらず、石川県政の重鎮として長く影響力を保持した。
大関 久五郎(旧字体: 大關 久五郞、おおせき きゅうごろう… 大関 久五郎(旧字体: 大關 久五郞、おおせき きゅうごろう、おおぜき ひさごろう、おおぜき きゅうごろう、1875年 - 1918年11月10日)は、日本の地理学者。 氷河地形研究のファイターと呼ばれ、その研究成果を『地学雑誌』『地質学雑誌』などに次々と発表した。 1875年、青森県三戸郡館村(八戸市)に生まれる。三戸郡売市小学校と、同校の初等科・高等科を経て、青森県師範学校(現・弘前大学)に入学し、22歳で卒業。青森県三戸郡湊尋常小学校訓導となる。翌年、高等師範学校(のち東京高等師範学校)に入学し、三宅米吉・矢津昌永らの指導を受け、1901年に本科地理歴史部を卒業する。高等師範学校助教諭兼訓導に任ぜられ、附属中学校の地理科の教官となった。
加藤 景雲(かとう けいうん、1875年 - 1943年)は… 加藤 景雲(かとう けいうん、1875年 - 1943年)は、明治時代から昭和時代初期に活躍した彫刻家である。高村光雲の弟子であり、木彫の鬼才と言われた。岡倉天心を会頭とした日本彫刻会を立ち上げた6人の初期メンバーの一人である。近代彫刻の発展に尽力した。 1875年(明治8年)5月9日、宮大工 加藤惣太郎の次男として、島根県安来市荒島町に生まれる。本名は喜次郎。小学校を卒業すると家業の宮大工を習い、建築彫刻、寺社彫刻を学ぶ。 18歳の時八幡町の欄間に龍を彫って評判を取る。 1895年(明治28年)米原雲海の勧めで上京し、高村光雲のもとで5年間修行する。光雲塾における木彫手本の模写は常に満点であったと伝えられる。