浅野 貴博(あさの たかひろ、1978年〈昭和53年〉4月5… 浅野 貴博(あさの たかひろ、1978年〈昭和53年〉4月5日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の北海道議会議員(3期)。 衆議院議員(1期)、新党大地代表代行、新党大地・真民主幹事長代行などを歴任。北海道留萌市在住。 1978年(昭和53年)4月5日、北海道釧路市で酪農家の子として誕生。北海道釧路湖陵高等学校を経て、関西外国語大学国際言語学部卒業後、神戸大学大学院国際協力研究科へ進み、国際協力研究課程を専攻。 2003年(平成15年)に出身地の政治家である鈴木宗男の事務所スタッフとなった後、鈴木の秘書となる。2009年(平成21年)8月30日の第45回衆議院議員総選挙で、新党大地公認候補として比例代表北海道ブロック名簿3位で出馬するが落選。
蝦名 大也(えびな ひろや、1959年(昭和34年)1月4日… 蝦名 大也(えびな ひろや、1959年(昭和34年)1月4日 - 2026年(令和8年)1月7日)は、日本の政治家。北海道釧路市長(4期)、北海道議会議員、釧路市議会議員を歴任した。 北海道釧路市出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業。青山学院大学在学中から衆議院議員中川一郎の議員会館事務所に来てアルバイトをし、その後秘書となる。1983年、青山学院大学経済学部を中退する。その後中川の筆頭秘書であった鈴木宗男釧路事務所長となる。自民党所属の釧路市議会議員を2期務めた。 1999年(平成11年)、北海道議会議員選挙に釧路市選挙区(定数4)から無所属・自民党推薦で立候補。無所属新人の小畑保則を219票の僅差でかわし初当選した。
神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日… 神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日本の政治家。元北見市長(旧北見市2期・新北見市1期の通算3期)。北海道釧路市出身。 衆議院北海道第12区(宗谷・網走管内)の武部勤衆院議員と関係が深く、事実上自民党の支援を受けている。 自民党会派を与党として市政を運営していたが、市役所移転等が絡む駅周辺地区の基本計画議案が否決されたことに伴い、「市民の信任を問う」として、2008年11月13日付で北見市長を辞職。市長選は民主党・新党大地推薦の小谷毎彦と一騎討ちとなり、衆院選の前哨戦の代理戦争と報道された。12月21日即日開票により落選。北見市長としての在任期間は旧北見市・新北見市の通算で3期約9年半であった。
綿貫 健輔 (、1946年6月13日 - )は、日本の政治家… 綿貫 健輔 (、1946年6月13日 - )は、日本の政治家。元・釧路市長(2期)。 北海道釧路市出身。1969年早稲田大学法学部卒。同年帰郷し、(株)綿貫商店に入り、後に代表取締役となる。1977年釧路市議に初当選し、2期務める。1983年自民党北海道議になり、4期務める。1996年釧路市長鰐淵俊之の衆院選立候補による、釧路市長選挙に立候補し、当選する。2000年に再選する。2002年、釧路市に隣接する釧路町の町長選において、釧路市の助役などが釧路市との合併を公約にした候補を支援したとして公職選挙法違反で逮捕された。綿貫も「トップとしての責任」という理由で11月に市議会議長に辞表を提出したが、その直後に逮捕された。
鰐淵 俊之 (わにぶち としゆき、1936年11月1日 - … 鰐淵 俊之 (わにぶち としゆき、1936年11月1日 - 2005年3月28日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)、元釧路市長(5期)。
菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27… 菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、参議院副議長、北海道・沖縄開発政務次官(細川内閣)、旭川市議会議員などを務めた。 北海道釧路市出身。北海道第三師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 小学校教諭、旭川市議会議員などを経て、1979年北海道教職員組合中央執行委員長。1983年の参院選に北海道選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。2001年に引退するまで3期18年務めた。 1993年、細川内閣にて、北海道・沖縄開発政務次官を務める。 1996年、民主党結党に参加。
岡田 利春(おかだ としはる、1925年5月28日 - 20… 岡田 利春(おかだ としはる、1925年5月28日 - 2014年10月11日)は、日本の政治家。日本社会党所属。元社会党副委員長。 北海道音別町(現釧路市)出身。雄別の尺別炭鉱に生まれた。釧路工業学校(現北海道釧路工業高等学校)採鉱科卒業後、1942年に太平洋炭鉱に入社。同社労働組合委員長、道炭労委員長を務め、1960年の第29回衆議院議員総選挙に旧北海道5区から立候補し当選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で落選し政界引退するまでに当選9回。土井たか子が委員長に就任した86年から90年まで副委員長を務めた。1995年、勲一等瑞宝章受章。 本来の支持基盤であった炭鉱産業が衰退した後も、漁業関連票に食い込むことで強力な地盤を有していた。