松浦 慶斗(まつうら けいと、2003年7月1日 - )は、… 松浦 慶斗(まつうら けいと、2003年7月1日 - )は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 石巻市立門脇小学校1年生の時に門小ガッツスポーツ少年団で野球を始めるが、同時期に東日本大震災で被災し、2年生の終わりに両親の故郷である北海道旭川市に転居。旭川市立新富小学校に転校すると新富野球少年団に入部する。6年生の時には、北海道日本ハムファイターズジュニアに選抜された。 旭川市立明星中学校に進学すると、旭川大雪ボーイズに所属。1年生の時に12歳以下の国際大会であるカル・リプケンワールドシリーズに日本代表として出場し世界制覇に貢献。中学3年時には札幌ドームで開催された「FIGHTERS BASEBALL CHAMPIONSHIP U-15」で優勝した。
鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 -… 鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。 向陽小学校1年時に軟式野球を始め、蛇田中学校では軟式野球部に所属。石巻選抜チームにも所属し、中継ぎやロングリリーフを務め宮城県選抜大会の優勝に貢献した。 中学卒業後は石巻西高等学校に入学。3年夏の宮城県大会4回戦で上林誠知、熊谷敬宥、馬場皐輔擁する仙台育英と対戦したが、7回コールド負け。3年間での甲子園出場経験は無し。 東北学院大学では2年秋からベンチ入りし、リーグ通算39試合に登板。18勝を挙げ、防御率は1.76の成績を残し、2年時に最優秀新人賞、3、4年時に敢闘賞を獲得した実力を持つ。
岡野 祐一郎(おかの ゆういちろう、1994年4月16日 -… 岡野 祐一郎(おかの ゆういちろう、1994年4月16日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年から野球を始め、中学校は石巻中央シニアに所属する。 高校は聖光学院に進学し、1年秋にベンチ入りを果たすも、公式戦初登板は2年秋であった。3年になると春夏連続で甲子園出場し、第84回選抜高等学校野球大会では、1回戦で鳥羽高校と対戦し、2安打完封と好投し同校の選抜初勝利に貢献する。続く2回戦では柳裕也、田原啓吾、樋口龍之介ら擁する横浜高校と対戦するも、15安打7失点と崩れて1対7で敗北する。第94回全国高等学校野球選手権大会では1回戦で前年度優勝の日大三高と対戦し9回1失点で完投勝利を収めるが、2回戦の浦和学院戦では3回9安打6失点と炎上し、チームは4対11で敗退する。
新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は… 新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。 現役時代を通じて右投右打だったが、一時は練習でスイッチヒッターに挑戦していた。 仙台育英学園高等学校では2年・3年時に連続で全国高等学校野球選手権大会出場。 1997年のドラフト会議で横浜ベイスターズ、日本ハムファイターズ、ヤクルトスワローズの3球団に2位指名され、横浜に入団。くじ引きの時、横浜・権藤博監督が当たりくじを引き当て交渉権を獲得のはずだったが、ヤクルトからくじ引きの順番が違うと抗議が出る。事務局は協議し不手際を認め、3球団もそれを了承した結果、交渉権はそのまま横浜が獲得した。
佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年… 佐藤 洋(さとう ひろし、1962年6月9日 - 2025年11月27日)は、宮城県出身のプロ野球選手(内野手)、高校野球指導者。 東北高校では、同期のエース・中条善伸らと甲子園に4回出場。2年生時の1979年春の選抜には三塁手として出場。1回戦で下関商に敗れる。同年夏の選手権も1回戦で済々黌高に大敗。 1980年春の選抜では二塁手に回り、2回戦(初戦)で松江商を降したが、準々決勝で丸亀商に惜敗。同年夏の選手権は再び三塁手に戻り、1回戦で瓊浦高のエース本西厚博を打ち崩し勝利。2回戦では後関昌彦のいた習志野高を完封で降すが、3回戦で浜松商に逆転負け。中条以外の高校同期に一塁手の安部理がいた。 卒業後は電電東北に入社。
阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017… 阿部 良男(あべ よしお、1946年5月15日 - 2017年6月29日[要出典])は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(外野手)。 宮城水産高校を卒業後、クラブチームのオール常磐(旧:常磐炭鉱)に進む。1966年の都市対抗で活躍、準々決勝に進出するが日本石油(エースは平松政次)に抑えられ敗退。チームメイトに、後にプロ入りする矢部祐一がいた。1968年のドラフト4位指名で、西鉄ライオンズへ入団。 1969年から一軍で活躍し、右翼手、中堅手として69試合に先発出場、同年のジュニアオールスターにも選出される。 1971年には開幕から一番打者として起用され、104試合に出場。 1972年には中堅手の定位置を得て、初の規定打席(打率.256)に達する。
日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )… 日下 正勝(くさか まさかつ、1944年10月17日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 東北高等学校では1961年、2年生の時に夏の甲子園に左翼手として出場。2回戦で岐阜商に敗退。高校同期に及川宣士投手、村上宏通二塁手(阪急)がいる。 1962年に大洋ホエールズへ入団。1964年にイースタンリーグの本塁打王と打点王を獲得。同年のジュニアオールスターにも出場する。翌1965年もイースタンリーグ本塁打王を再度獲得。1966年には一軍に定着し、左翼手として16試合に先発出場。その後は守備固め外野手としての出場が多かったが、次第に粘り強い打撃が評価され、左投手への代打として起用される。