滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 19… 滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 1992年12月13日)は、日本の教育者、教育学者。 秋田県湯沢市生まれ。生家は旧士族で父親は道太郎。両親ともに教師。教員準備場から秋田師範学校に進んだ。父の指導を受け自由律俳句に親しみ、俳号は三千夫。万葉研究家境田四郎教諭のもと、文学教育の重要性に目覚め、専攻科を卒業。秋田師範付属小学校の訓導時代の1930年『北方教育』を創刊し、生活綴方運動を展開し「東京綴方の会」に参加。1932年上京し成蹊学園訓導となり、日本大学卒業。また教育科学研究会言語教育部会に参加。戦後、1946年児童雑誌『銀河』創刊に参加、1957年成蹊学園教育研究所長、1966年東京成徳短期大学教授、東京教育大学教授として国語教育、児童文化を研究。
栗林 元二郎(くりばやし もとじろう、1896年 - 197… 栗林 元二郎(くりばやし もとじろう、1896年 - 1977年)は、北海道の農業教育者。農業専門学校『八紘学園(はっこうがくえん)』の創設者。 1896年、秋田県雄勝郡川連村の農家に生まれる。1919年、22歳のとき、80人ほどの北海道移住団の団長を引き受ける。移住先は、十勝支庁芽室町上美生である。200haほどの土地の開墾に成功する。北海道庁により功労賞が授与される。 1924年、北海道庁の移民招致係の嘱託となる。北海道移住の宣伝映画を、制作費1800円で製作する中心人物となる。 農業教育の必要性を感じ、独学で教員資格を入手し、札幌の日本殖民学校農学科の主任講師となる。講師として経験を積むうち、農業専門学校の創立を考えはじめる。
千葉 命吉(ちば めいきち、1887年3月26日 - 195… 千葉 命吉(ちば めいきち、1887年3月26日 - 1959年12月29日)は明治 - 昭和時代の教育研究者、教育者。奈良女高師付属小学校訓導などをへて、大正9年(1920年)広島師範付属小学校の主事(現在の校長と同等)となる。大正10年(1921年)八大教育主張講演会で子供の独創性を重視する「一切衝動皆満足論」を発表。大正11年(1922年)ドイツに留学、独創学を研究。昭和3年(1928年)大日本独創学会を設立した。著作に「独創主義教育価値論」「独創教育学」など。 千葉命吉の創造教育論というのは1919年1月の『創造教育の理論及実際』でではじめて提唱された。その独創的理論が評価され大正9年(1920年)に小学校校長に抜擢された。
大山 幸太郎(おおやま こうたろう、1873年6月8日 - … 大山 幸太郎(おおやま こうたろう、1873年6月8日 - 1967年7月28日)は、日本の教育者、哲学者。 秋田県弁天村(現在の湯沢市)出身。1895年に秋田県尋常師範学校を卒業し、横堀尋常高等小学校訓導となる。横堀小学校時代に全国初の父兄会を開いている。その後上京し、巣鴨の東福寺で4年間独学し、この間に新井奥邃と出逢った。 1914年から文部省に勤務し、1915年からドイツに9年間留学した。 帰国後に母校の秋田師範学校で哲学を講義した。 「真人」の語を造り、没後に教え子たちにより真人学会が結成された。