武田 陸玖(たけだ りく、2005年6月6日 - )は、山形… 武田 陸玖(たけだ りく、2005年6月6日 - )は、山形県天童市出身のプロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 天童市立成生小学校で1年生の時に成生ファイヤードラゴンズで野球を始め、6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアでプレーした。天童市立第四中学校では軟式野球部に所属していた。 山形県立山形中央高等学校に進学し、1年春からベンチ入り。同年秋からエースを務め、投手の他に一塁手や外野手を務める二刀流として活躍した。2年夏の山形大会は決勝で鶴岡東に2-3で、3年夏の山形大会でも決勝に進出したが、日大山形に4-6でいずれも敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。
青木 陸(あおき りく、1997年11月11日 - )は、山… 青木 陸(あおき りく、1997年11月11日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 小学校4年生の時に成生ファイヤードラゴンズにて野球を始め、中学時代にはボーイズリーグに所属する仙台ボーイズに所属した。 山形中央高校進学後、1年生春期からベンチ入りを果たし、秋から三塁手としてレギュラーとなった。2年生の夏には第96回全国高等学校野球選手権大会に出場、チームは3回戦まで進出し、青木は本塁打も記録した。秋には捕手に転向、3年生の夏は山形大会準決勝で敗退し連続の出場はならなかったが、高校通算46本の本塁打を記録した。 2015年10月22日に行われたドラフト会議で広島東洋カープから内野手として7位指名を受け、11月5日に契約金2000万円、年俸420万円で合意、12月7日入団した。
中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、… 中野 拓夢(なかの たくむ、1996年6月28日 - )は、山形県天童市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。阪神タイガース所属。 盗塁王の歴代最高盗塁成功率タイ記録保持者。 小学4年生から軟式野球を始める。中学時代は「山形シニア」に所属。主に遊撃手を務めた。 日大山形高校入学後、1年時は控え遊撃手としてプレーするも、2年夏からは1学年上の正遊撃手・奥村展征との兼ね合いで「2番・二塁手」に定着。第95回全国高等学校野球選手権大会に出場し、山形県勢初の夏ベスト4入りに貢献。準決勝の前橋育英高校戦では髙橋光成から安打を記録したが、チームは敗れた。3年からは「3番・遊撃手」を務め、夏は県大会準決勝で酒田南高校に敗れた。
鈴木 駿也(すずき しゅんや、1991年1月19日 - )は… 鈴木 駿也(すずき しゅんや、1991年1月19日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 山形中央リトルシニア出身。天童市立第二中学校では栗原健太の後輩にあたる。東北選抜でも活躍した。 山形中央高に進学すると、1-2年夏には内野手(遊撃手)として県予選準決勝まで進んだが敗退。2年秋に投手へ転向。3年夏は県予選準々決勝で鶴岡東高に接戦の末敗退する。 2008年、同年のドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから7巡目で指名された。山形中央高の卒業生として初のプロ野球選手となった。なお、プロから指名されなかった場合は、社会人野球に進む予定だった。 2010年、7月に右肘の手術を受け復帰まで時間が必要となった。
栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、… 栗原 健太(くりはら けんた、1982年1月8日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 天童市内で焼肉店を営む家庭に生まれ、小学3年生から野球を始めエースで4番を務める。中学時代のポジションは投手だった。陸上でも3種競技(走り高跳び、100m走、砲丸投げ)で市大会を制覇している。当時の日大山形高校の渋谷良弥監督は栗原の身体能力の高さを見て大型投手としての構想を描きスカウティングした。しかし、日大山形高校入学後に打撃をやらせてみるとバットコントロール、スイングスピード共に図抜けており、フェンスオーバーを連発。内野手に転向となった。1年夏にチームの5番打者となり、秋には早くも4番打者を任せられた。
加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は… 加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。現在は北海道日本ハムファイターズの投手コーチ。 山形県立山形南高等学校から東京学芸大学教育学部へ進学。サイドスローにした3年春にリーグ最優秀防御率。1学年上のエースに大学全日本の小倉丞太郎(桐蔭学園)、また主将が同郷の庄司秀幸(母校・山形中央高を甲子園に導き、日本ハムスタッフとなる)という戦力で2位まで躍進した。 社会人の三菱ふそう川崎では1年目に都市対抗野球準決勝で先発するが2回に失点降板。その後に逆転して結果は優勝を飾る。 2002年のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズに4巡目で指名され入団。