スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
前田 悟(まえた さとる、1997年3月6日 - )は、日本… 前田 悟(まえた さとる、1997年3月6日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。山形県出身。B.LEAGUEの京都ハンナリーズ所属。 山形南高校時代に年代別日本代表を経験。 その後、青山学院大学に進み、4年時に富山グラウジーズの特別指定選手となる。 卒業後、富山と正式選手契約。2019-20シーズンの開幕戦では途中出場ながら3Pシュート4本を含む22得点を記録。その後もコンスタントに出場を重ね2019年10月23日のシーホース三河戦で初スタメン。三河戦以降はスタメンに定着した。新人離れした勝負強さを発揮し、特に2019年12月28日のレバンガ北海道戦では3Pシュートのバスケットカウントを獲得するなどして勝利に貢献。
阿部 龍星(あべ りゅうせい、1995年〈平成7年〉9月19… 阿部 龍星(あべ りゅうせい、1995年〈平成7年〉9月19日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。山形県出身。ポジションはポイントガード兼シューティングガード。B2リーグ・山形ワイヴァンズ所属。 山形県で生まれる。山形県立山形南高等学校、中央大学を経て、2018年からは北関東地域リーグに所属する横河電機ワイルドブルーでプレー、3x3チームのTACHIKAWA DICEにも所属している。 2021年10月に横浜ビー・コルセアーズに入団。 2021-22シーズンは、15試合に出場(0先発)、1試合平均で3.2分出場、0.6得点、0.4アシスト、0.1スティールを記録した。シーズン終了後の2022年5月に契約満了と退団が発表された。
柏倉 哲平(かしわぐら てっぺい、1995年1月20日 - … 柏倉 哲平(かしわぐら てっぺい、1995年1月20日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。B.LEAGUEのベルテックス静岡所属。 山形南高校から青山学院大学に進み、アースフレンズ東京Zと特別指定選手契約。卒業後にプロ契約。 2020年オフ、新潟アルビレックスBBに移籍。 2021年オフ、滋賀レイクスターズに移籍。キャプテンに指名された。 2024年6月、川崎ブレイブサンダースに移籍。 2025年6月、ベルテックス静岡に移籍。
多田 竜也(ただ たつや、1992年〈平成4年〉7月6日 -… 多田 竜也(ただ たつや、1992年〈平成4年〉7月6日 - )は、山形県の理学療法士、県庁職員、TBS『SASUKE』の有力選手で、SASUKE新世代より若い世代の実力者を総称する「森本世代」の1人。 7歳の頃に偶然テレビで観た『SASUKE』に魅了され、芸能人でもスポーツ選手でもない一般人が出場していることに感動を抱き、SASUKEの真似事をするようになった。山辺町立山辺中学校では陸上競技部に所属し、'07年の全中陸上に400mリレーの選手として出場。SASUKEには出場可能になった14歳の時に初出場し、1stステージの最終エリア・ロープクライムまで到達した。山形県立山形南高等学校に進学後も陸上競技を続け、'10年の全国高校総体に400mリレーで出場。
タツキ・マイアミ(本名及び旧芸名:髙橋 竜基、1991年12… タツキ・マイアミ(本名及び旧芸名:髙橋 竜基、1991年12月2日 - )は、日本のお笑い芸人、筋肉タレント、元プロレスラー。山形県寒河江市出身。 芸人としてはグレープカンパニーに所属し、2021年5月31日まで吉村和彬とお笑いコンビ「あがすけ」として活動していた。 プロレスラーとしてはココ夏三郎(ココなつさぶろう)の名前で活動していた。 2012年、山形南高校の同級生である吉村和彬と「あがすけ」を結成。 事務所ライブをはじめ、単独ではVシネマに出演していたが、芸人とは思えぬ筋肉量から、日清シスコ「ココナッツサブレ」発売50周年を記念したキャンペーンキャラクター「ココ夏三郎」の中の人に就任決定。
佐藤 正成(さとう まさなり、1991年7月23日 - )は… 佐藤 正成(さとう まさなり、1991年7月23日 - )は、山形県出身の元男子バスケットボール選手。最終所属はSHONAN SEASIDE.EXE。 1991年、山形県出身。 2007年4月、山形県立山形南高等学校入学。 2010年4月、東海大学へ入学。2012年全日本大学バスケットボール選手権優勝・2013年関東大学バスケットボールリーグ戦および全日本大学バスケットボール選手権優勝などの成績を残す。 2014年、NBDL時代のアースフレンズ東京Zに所属。NBDL2014-2015ルーキーオブザイヤーを受賞。 Bリーグ初年度の2016年6月11日、パスラボ山形ワイヴァンズと新規選手契約を締結。
山田 要平(やまだ ようへい、1988年10月9日 - )は… 山田 要平(やまだ ようへい、1988年10月9日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 山形県南陽市出身。10歳の頃、スポーツ少年団にバレーボールしかなかったことを理由にバレーボールを始める。 山形南高等学校、順天堂大学を経て、大分三好ヴァイセアドラーに入団。 2015年、FC東京に移籍。大分三好同期入団の橘裕也も2シーズン前にFC東京に移籍している。 2020-21シーズン、2021年3月21日の堺ブレイザーズ戦でVリーグ通算230試合出場を達成し、Vリーグ栄誉賞を受賞した。 2021-22シーズン終了をもってFC東京を退団。移籍希望をしていたが、現役は続行せず、V3所属の千葉ZELVAのコーチに就任した。
林部 智史(はやしべ さとし、1988年5月7日 - )は、… 林部 智史(はやしべ さとし、1988年5月7日 - )は、日本のカラオケ番組優勝者、歌手。山形県新庄市出身。所属レーベルはavex trax。 山形県新庄市生まれ、山形市育ち。 バスケットボールの強豪校を目指したものの失敗、1浪の末に山形県立山形南高等学校に進学する[要出典]。 高校卒業後、母親の薦めもあり鶴岡市荘内看護専門学校に入学。患者の死などに直面して心のバランスを崩し、通学が困難になり中退、引きこもり生活を送る[要出典]。姉からの助言もあり一人旅を始め、住み込みのアルバイトをしながら日本一周をする生活に入る。 北海道礼文島のホテルで働いていた時に同僚に「その歌声で歌手を目指さないのはおかしい」と言われたこともあり、22歳でESPミュージカルアカデミーボーカルコースに入学。
佐藤 悠太(さとう ゆうた、1988年5月3日 - )は、日… 佐藤 悠太(さとう ゆうた、1988年5月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの調教師。山形県上山市出身。父は元上山競馬場調教師で現金沢競馬場調教師の佐藤茂、祖父は上山競馬場元調教師の佐藤英一。 幼少期から父の厩舎があった上山競馬場で毎週レースを観る生活をしており小学生4年生頃から調教師を志す。 山形県立山形南高等学校を卒業後、日本獣医生命科学大学に進学し動物栄養学を専攻する。大学卒業後はノーザンファームに就職し、2012年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。競馬学校卒業後アイルランドに渡りトレイシー・コリンズ調教師の元で3カ月間競馬を学んだ。 帰国後の2013年9月から大学の先輩でもある栗東の田中章博厩舎に所属する。
緒方 太郎(おがた たろう、1986年[要出典]8月10日 … 緒方 太郎(おがた たろう、1986年[要出典]8月10日 - )は、フリーアナウンサー(ニュースキャスター)。元福島中央テレビのアナウンサー、記者。Yahoo!ニュース編集部の編集者。 山形県天童市出身。山形県立山形南高等学校、横浜市立大学卒業[要出典]。
斯波 正樹(しば まさき、1986年(昭和61年)4月26日… 斯波 正樹(しば まさき、1986年(昭和61年)4月26日 - )は、日本のスノーボード選手。 2018年平昌オリンピックでは男子パラレル大回転に出場しし、2009年、2011年、2013年、2015年、2017年、2019年のスノーボード世界選手権にも出場した。 日本の武家のひとつで、室町幕府将軍足利氏の有力一門、斯波氏の末裔。 山形県山形市出身。小学2年生まで、東京都府中市で育つ。祖父母が営んでいたレンタルスキー店を父が継ぐため、小学校3年の春(1995年)に山形に引っ越す。 中学校2年生の冬に初めてイタリアでのISFジュニア世界選手権に出場し優勝。世界一になる。。2002年(平成14年)に山形県立山形南高等学校に入学しスキー部に入部。
佐藤 稔浩(さとう としひろ、1980年1月28日 - )は… 佐藤 稔浩(さとう としひろ、1980年1月28日 - )は、山形県出身の元バスケットボール選手。日立サンロッカーズに所属していた。 山形南高校から青山学院大学に進み、インカレ初優勝に貢献。 卒業後、日立に入社。2012年引退。背番号「20」はサンロッカーズの永久欠番。
渡邊岳已(わたなべ たけみ 1980年 - )は自主制作映画… 渡邊岳已(わたなべ たけみ 1980年 - )は自主制作映画監督、脚本家。株式会社カック元代表取締役。 作風はストーリー性に重心を置おいた叙情的な作品が多い。しかしその中でもアクションやコメディーなど多種多様のフォーマットを駆使し、作品によって評価が分かれる。多種多様の人生観、ノスタルジーや郷愁感を誘う穏やかななストーリー展開など決して派手ではない表現の中に現代社会における癒し、心の拠り所を再現する。 1980年山形県山形市生まれ。番組制作会社の経営者だった父の影響を強く受け中学時代から映像に興味を持つ。だが当時はまだ高価であった8mmフィルム、HI8などの映像カメラには手が出せずにスチル写真を学び始める。
松田 利仁亜(まつだ りにあ、1979年5月30日 - )は… 松田 利仁亜(まつだ りにあ、1979年5月30日 - )は、NHKのアナウンサー。 山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、早稲田大学卒業後、2002年4月に入局。 アナウンサーになるきっかけは、1998年の長野オリンピックと2000年のシドニーオリンピックがきっかけだった。
加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は… 加藤 武治(かとう たけはる、1978年3月24日 - )は、山形県天童市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球指導者。現在は北海道日本ハムファイターズの投手コーチ。 山形県立山形南高等学校から東京学芸大学教育学部へ進学。サイドスローにした3年春にリーグ最優秀防御率。1学年上のエースに大学全日本の小倉丞太郎(桐蔭学園)、また主将が同郷の庄司秀幸(母校・山形中央高を甲子園に導き、日本ハムスタッフとなる)という戦力で2位まで躍進した。 社会人の三菱ふそう川崎では1年目に都市対抗野球準決勝で先発するが2回に失点降板。その後に逆転して結果は優勝を飾る。 2002年のプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズに4巡目で指名され入団。
大石 真弘(おおいし まさひろ、1973年7月7日 - )は… 大石 真弘(おおいし まさひろ、1973年7月7日 - )は、元NHKの職員で、元アナウンサー。
古池 雄(こいけ たけし、1972年1月12日 - )は、青… 古池 雄(こいけ たけし、1972年1月12日 - )は、青森放送(RAB)報道部の社員で元アナウンサー。山形県山形市出身。身長189cm。 山形県立山形南高校を経て東北学院大学卒業後、1994年4月に入社(同期は松尾志織)。2009年4月には報道部に異動。 両親も元アナウンサー。父の古池常泰は地元にある山形放送(YBC)の元アナウンサー。2003年の定年退職後も同局のラジオ・テレビに登場していた。母の古池一子も山形放送、山形テレビ(YTS)の元アナウンサーで退職後は主に結婚式の司会を担当している。 2004年8月に看護師の女性と結婚した。現在娘が二人いる。 口癖は「幸せな家庭をつくる」好きな言葉は「風になりたい」。
奥山 貴宏(おくやま たかひろ、1971年11月5日 - 2… 奥山 貴宏(おくやま たかひろ、1971年11月5日 - 2005年4月17日)は、日本の作家、フリーライター。山形県出身。ロックバンド、ACIDMANのボーカル&ギター大木伸夫の義兄。音楽、映像、パソコンなどのジャンルを得意とする。趣味はバイク。 宮城県仙台市に生まれ、小学校から高校までを山形県で過ごす。2浪して日本大学芸術学部入学。卒業後、ワールドフォトプレス、MdN、リットーミュージックで編集の仕事に従事。2001年にフリーランスとなる。 風邪をこじらせたと思い病院に行くが、肺がんと診断され、2003年2月「余命2年」と宣告される。そして彼は自身のホームページの日記に「助かりたい、死にたくない」といったものを出来るだけ排除した、かつてないスタイルの闘病記をつづりはじめる。
松田 礼人(まつだ あやと、1969年(昭和44年)7月9日… 松田 礼人(まつだ あやと、1969年(昭和44年)7月9日 - )は、日本の映画監督、テレビ演出家。TBSスパークルエンタテインメント本部ドラマ映画部。 山形県上山市出身。山形県立山形南高等学校、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1993年木下プロダクション(2003年ドリマックステレビジョンに商号変更。2019年TBSスパークルに吸収合併)に入社し、飯島敏弘、山田高道に師事。 初監督作品「オンナゴコロ」で脚本をつとめる。
斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月… 斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月30日 - )は、日本の政治家。山形県寒河江市長(1期)。 上山市生まれ。1985年、山形県立山形南高等学校卒業。1989年、新潟大学法学部卒業。同年、山形県職員となる。2018年、病院事業局県立病院課副主幹、2020年、庄内総合支庁総務課連携支援室長、2022年、環境エネルギー部みどり自然課長を歴任し、2023年4月、寒河江市副市長となった。2024年11月1日、副市長を退任。 同年の寒河江市長選挙に無所属で立候補して、いずれも新人の元市議会議長と元農水省職員の2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:32,952人 最終投票率:55.55%(前回比:-pts) 2025年1月20日に市長に就任した。
菅野 淳(かんの あつし、1965年7月18日 - )は、山… 菅野 淳(かんの あつし、1965年7月18日 - )は、山形県出身のサッカー指導者(フィジカルコーチ)。日本サッカー協会公認A級コーチ。
滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )… 滝口 光則(たきぐち みつのり、1961年11月2日 - )は、山形県山形市出身の元プロ野球選手(投手)。 山形南高では、エースとして1979年夏の甲子園県予選準決勝に進むが日大山形高に敗退。 1979年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。 プロ6年目の1985年に一軍初登板を果たし、1986年にはカーブとチェンジアップを武器にウエスタンリーグで11勝6敗の最多勝を獲得。 1988年10月に鍋屋道桜と共に高代延博との2対1の交換トレードで日本ハムファイターズに移籍。移籍後は一軍登板できないまま、1989年限りで現役を引退。 現在は、山形在住の会社員。また少年野球山形中央リトルシニアクラブの監督でもある。
吉村 和文(よしむら かずふみ、1960年(昭和35年)1月… 吉村 和文(よしむら かずふみ、1960年(昭和35年)1月25日 - )は、日本の実業家。ダイバーシティメディア、ムービーオン、東北ケーブルテレビネットワークなど複数の企業で経営者を務めている。 山形市長や山形県議会議員を歴任した吉村和夫の長男として山形県山形市に生まれる。 政治家である父の背中を見て育ったため、いつの日か自分も政界入りしたいとの存念を抱いてきた。 1990年(平成2年)、父は雪辱を期すため山形市長選に再出馬するも、金澤忠雄に惜敗する。父を支援する為に2度にわたってサラリーマンを辞め、秘書として奔走していた吉村にとって、現実はあまりにも厳しく意気消沈するが、気を取り直し政治ではなくメディアによって山形を変えようと思い立ち、同志を募り県内企業500社に日参し50社から200万円ずつ出資を得て、1992年(平成4年)資本金1億円でケーブルテレビ山形を設立。
小柴 大造(こしば だいぞう、1956年9月18日 - )は… 小柴 大造(こしば だいぞう、1956年9月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、編曲家、プロデューサー。山形県出身。山形県立山形南高等学校卒業。 1978年、第1回東芝シンガーソングライターコンテストで「さよならのバラード」が最優秀賞を獲得。同曲が地元山形放送で10週間トップを記録し、同局の『大造のスタンバイ・ミー』ラジオパーソナリティに就任。 1979年に「小柴大造&エレファント」を結成。同年12月21日に山形県県民会館大ホールで開催されたコンサートでは、プロデビュー前にもかかわらず、初の満席を記録した。 1980年5月5日に、東芝EMIから5枚同時シングルリリースというデビューを果たす(昭和55年5月5日と5枚シングルで、5が5つとなる)。
照井 健(てるい たけし、1956年1月11日 - )は、フ… 照井 健(てるい たけし、1956年1月11日 - )は、フリーアナウンサー。IBC岩手放送に所属していた元アナウンサー。 岩手県花巻市生まれ。クラブ活動は中学・高校・大学と10年間テニス部だった。山形県立山形南高等学校を経て、中央大学卒業後、1978年4月にIBC入社。ラジオ『爆発ワイドラジオ新鮮組』『ワイドステーション』パーソナリティ、テレビ『ニュースエコー』メインキャスター、『じゃじゃじゃTV』司会などを歴任した。一時期体調を崩してデスク業務に専念するが、完治以降は再びテレビ・ラジオに多く出演した。 自身が担当する番組では、下ネタやオヤジギャグを飛ばす軽い面も見られるが、2011年3月11日の東日本大震災発生時は、余震でスタジオが度々大きく揺れる中、地震発生直後から16時までの1時間余り、単独で津波への警戒呼びかけや被害状況の報道を行った。
岩月 謙司(いわつき けんじ、1955年2月8日 - )は、… 岩月 謙司(いわつき けんじ、1955年2月8日 - )は、日本の生物学者、理学博士、元香川大学教授。専門は動物生理・行動学。著作業としては社会心理学、対人関係学。実質的には愛着理論を叩き台にした恋愛や親子関係に関する著書が多い。 山形県村山市に生まれる。1973年、山形県立山形南高等学校卒業。1978年に早稲田大学教育学部理学科生物学専修を卒業した後、1983年、筑波大学大学院博士課程生物化学研究科修了 (専門は生物物理化学)。筑波大学 理学博士 論文の題は「Physiological Studies on the Light-Induced Motile Responses in Paramecium(原生動物ゾウリムシ(Paramecium)における光反応の生理学的研究)」。
吉田 敏明(よしだ としあき、1954年10月2日 - )は… 吉田 敏明(よしだ としあき、1954年10月2日 - )は、日本のバレーボール指導者。元アメリカ女子代表監督。 山形県山形市出身。山形六中時代にバレーボールを始め、全国制覇(6人制)。 山形南高校、順天堂大学を経て、筑波大学大学院でコーチ学を学ぶ。 修士課程終了後の1979年に渡米。アリー・セリンジャー監督の元、アメリカ女子代表アシスタントコーチを務める。 帰国後の1982年、日立の監督に就任。日本リーグで優勝。その後、1983年4月から東京学芸大学の助教授に就任し、その傍ら女子バレー部監督を務める。 1998年に渡米し、再びアメリカ女子代表コーチに就任。 シドニーオリンピック後、日本人として初めてとなるアメリカ女子代表監督に就任。
高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日… 高橋 節(たかはし たかし、1950年2月3日 - )は、日本の地方公務員。山形県副知事や、山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、モンテディオ山形代表取締役社長等を務めた。 山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校を経て、1972年山形大学人文学部卒業、山形県入庁。財政課に長く勤務し、2001年に東京事務所長就任。2004年農林水産部長。2006年庄内総合支庁長。2008年健康福祉部長。2009年退職。 同年から副知事及び公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会副理事長を務め、東日本大震災への対応などにあたった。2012年から公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会理事長も兼務した。2013年退任。
山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月1… 山本 信治(やまもと しんじ、1947年(昭和22年)7月17日 - )は、日本の政治家。元山形県天童市長(4期)。 山形県立山形南高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、日本大学経済学部経済学科卒業。同年4月、株式会社ダスキンに入社。1972年(昭和47年)4月、株式会社山本製作所に入社。1979年(昭和54年)4月、株式会社山本産業に入社。 2008年(平成20年)11月、遠藤登天童市長が健康上の理由により12月25日付で辞職することを発表。12月21日に行われた天童市長選挙に無所属(自民党・公明党推薦)で出馬。海鋒孝志県議との一騎討ちを制し初当選(山本:17,544票、海鋒:16,323票)。
会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 201… 会田 豊彦(あいだ とよひこ、1937年4月1日 - 2012年3月23日)は、山形県出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。 山形南高校では、1954年秋季東北大会県予選決勝に進むが米沢商に敗れる。翌1955年夏の甲子園予選東北大会に進出、しかし1回戦で福島商に敗退。卒業後は日本大学へ進学した。東都大学野球リーグでは在学中、3度優勝を果たす。1年生時の1956年秋季リーグでは、打率.351で首位打者を獲得し優勝に貢献。リーグ通算91試合出場、321打数86安打、打率.268、0本塁打、46打点。ベストナイン(三塁手)2回。大学同期に高木時夫捕手、黒木基康、笹木士朗(日本鋼管)両外野手らがいた。 1960年に中日ドラゴンズに入団。
村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる… 村川 透(むらかわ とおる、本名:高橋 透(たかはし とおる)、旧姓:村川、1937年(昭和12年)3月22日 - )は、日本の映画監督・音楽家。別名:山形 透。山形県村山市出身。山形県立山形南高等学校、福島大学経済学部卒業。実父は教員・国文学研究者で『俳人一具全集』などの編集を手掛けた村川幹太郎。長兄は指揮者の村川千秋。姪はヴァイオリニストの村川千尋。 村山郡館林藩領内の里正の血筋であり、江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたる。福島大学卒業後の1959年、日活に入社し上野日活劇場の営業部で辣腕を振るうも方向性の不一致から同年に退社し、翌年に演出部へ復職し助監督となる。社内では舛田利雄、中平康、西河克己、森永健次郎、社外では貞永方久、森谷司郎らの助監督を務め、特に日米合同スタッフによる戦争大作『トラ・トラ・トラ!』では、日本側演出部総チーフ(ノンクレジット)として現場を取り仕切った。
相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月2… 相澤 嘉久治(あいざわ かくじ、1934年(昭和9年)4月22日- )は、日本の劇作家、放送作家。放送作家名は山形三吉。 山形県東村山郡山辺町出身。山形県立山形南高等学校卒、早稲田大学第一文学部中退。 劇団中央芸術劇場を経て1959年、東京芸術座結成に参加。1969年に同劇団退団。以後フリーの劇作家、放送作家として活動した後、1976年に出身地の山形県に帰郷。創刊した総合芸術誌月刊『場』が廃刊となったのを機に、マスコミの集中独占の排除を訴える運動を始める。山形県下の山形新聞・山形放送(YBC)によるマスコミ独占状況に批判的な立場から、「マスコミの集中排除運動」の機関誌としての月刊『V』を創刊。 相澤が発行人をつとめた『うぃずY』は、1987年に「NTT全国タウン誌フェスティバル」(現在終了)で大賞を受賞した。
村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日… 村川 千秋(むらかわ ちあき、1933年(昭和8年)1月1日 - 2025年(令和7年)6月25日)は、山形県村山市出身の男性オーケストラ指揮者。江戸前期に活躍した俳人・村川素英の子孫にあたり、弟は映画監督の村川透。娘はヴァイオリニストの村川千尋。 山形県立山形南高等学校、東京芸術大学音楽学部器楽科を卒業後、同大学音楽学部作曲科に入学、作曲を池内友次郎に師事、同大学作曲科卒業。 1963年にアメリカ合衆国へ渡航し、インディアナ大学大学院で理論科助手として勤める。かたわら指揮を専攻。マスター・オブ・ミュージックを授けられる。さらにニューヨークにてレオポルド・ストコフスキーのもとで研鑽を積む。 1966年に帰国。
鈴木 実(すずき みのる、1932年7月16日 - )は、日… 鈴木 実(すずき みのる、1932年7月16日 - )は、日本の児童文学作家、教育者。山形童話の会代表、羽陽学園短期大学非常勤講師。 山形県山形市出身。山形二中(現・山形県立山形南高等学校)の文芸部では芳賀秀次郎から教えを受ける。 早稲田大学第一政治経済学部および山形大学教育学部卒業。早大在学中に早大童話会に参加。古田足日らと交流を持つようになり、1953年に古田とともに県内文学界の中心で活動していた須藤克三を訪ね、地域の児童文学を盛んにするために山形童話の会を創立。同士とともに、「もんぺの子」を創刊した。「もんぺの子」は戦前、山形で綴り方教育を普及させた国分一太郎が学級文集として出していた「もんぺ」「もんぺの弟」にちなんだもの。
會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2… 會田 雄亮(あいだ ゆうすけ、1931年11月12日 - 2015年10月28日)は、日本の陶芸家。造園系彫刻家・環境デザイン造形作家。東北芸術工科大学名誉教授。環境造形や、練り込み(練り上げ)の工芸作品で知られる。1979年にはネッスル日本(現:ネスレ日本)の『ネスカフェゴールドブレンド』のイメージキャラクターに当たる「違いのわかる男」に起用された。このCMは山梨県南都留郡忍野村にある忍野窯でも流されている。 1931年(昭和6年)、東京都に生まれる。戦時中に山形へ疎開し山形県立山形第二中学校(現・山形県立山形南高等学校)に在籍。東京都立江北高等学校を経て1956年(昭和31年)千葉大学園芸学部旧造園学科卒業(都市計画系研究室出身)。
芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の… 芳賀 徹(はが とおる、1931年5月9日 - )は、日本の文学研究者、比較文学者。国際日本文化研究センター・東京大学名誉教授、京都造形芸術大学名誉学長。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1… 佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。
佐藤 優(さとう ゆう、11月25日 - )は、山形テレビ … 佐藤 優(さとう ゆう、11月25日 - )は、山形テレビ (YTS) の元アナウンサー。 山形県山形市出身。日大山形中学校、山形南高校を経て、早稲田大学卒業。 2003年12月、ANNアナウンサー賞(高校野球実況部門)奨励賞受賞。 2006年12月1日、ANNアナウンサー賞(高校野球実況部門)優秀賞受賞。受賞試合は、第88回全国高等学校野球選手権大会準々決勝日本大学山形高等学校対早稲田実業学校戦。授賞理由は、山形は野球実況の機会に恵まれないが、そんな中、これ程のレベルに上達したのは、日々の研鑽によるものであるから。