若東龍 秀史 (わかとうりゅう ひでふみ、1978年7月27… 若東龍 秀史 (わかとうりゅう ひでふみ、1978年7月27日 - )は,、茨城県筑西市(旧真壁郡関城町)出身で松ヶ根部屋に所属した元大相撲力士。本名は野寺 秀史(のでら ひでふみ)。身長177cm、体重156kg。趣味は読書。最高位は西十両3枚目(2001年5月場所)。得意技は突き、押し。 野寺農機商会・新日本交通の二男で、幼い頃から相撲を始めて小学校4年生から3年連続で全国大会に出場しており、中学校3年生の頃には相撲界への入門を決意していた。相撲の他には柔道を習っており、筑西市立関城西小学校3~4年生まで「ムテキンズ」で野球を経験した後に柔道を習い始め、筑西市立関城中学校に入学してからは2年生まで柔道部に所属した。
関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は… 関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は、茨城県真壁郡関城町(現在の筑西市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は栗原 勉(くりはら つとむ)。186cm、106kg。最高位は東十両11枚目。得意技は右四つ、寄り、吊り。 中学校で柔道を始め、父親の知人が伊勢ヶ濱部屋の後援会に入っていた縁で入門した。1975年3月場所に初土俵。出世は早い方ではなかったが、怪力を活かした右四つからの投げや吊りといった豪快な相撲で着実に番付を上げて行き、1983年11月場所に十両昇進。この場所は4勝11敗と負け越して1場所で幕下に陥落。十両はこの1場所のみであった。その後も幕下上位で相撲を取り続けたが、1990年5月場所限りで廃業。
上ヶ汐 福治郎(あげしお ふくじろう、1881年3月5日 -… 上ヶ汐 福治郎(あげしお ふくじろう、1881年3月5日 - 1935年6月12日)は、現在の茨城県筑西市下館地区出身で若藤部屋、伊勢ノ海部屋、友綱部屋に所属した力士。本名は渡辺 福次郎(わたなべ ふくじろう)。8代若藤。身長171cm、体重は79kg。最高位は西前頭3枚目。得意技は右四つ、上手投げ、掬い投げ。 1899年5月場所序ノ口。その後応召されて、日露戦争に従軍。復帰後、1907年5月場所に十両昇進。1909年1月場所に入幕を果たす。二枚鑑札となっていたが、1913年5月場所限り引退。年寄・若藤として巡業の先乗りに手腕を発揮し、理事も務めたが、弟子の沖ツ海福雄の急死に気落ちし、部屋を復活させようとした矢先の1935年6月12日、胃癌で死去。
狭布里 錦太夫(きょうのさと きんだゆう、1859年7月11… 狭布里 錦太夫(きょうのさと きんだゆう、1859年7月11日(安政6年6月12日) - 1926年6月28日)は、現在の茨城県筑西市(旧真壁郡)出身で伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は関 喜市(旧姓本橋)。170cm、81kg。最高位は東前頭3枚目。 1883年1月初土俵、1890年5月十両昇進。四股名の狭布里錦太夫とは、部屋の先輩である柏戸宗五郎 (1810年生)が若い時分に名乗っていたもの。1896年1月に入幕。翌5月にこの場所横綱に昇進した小錦を破り金星を獲得。幕内を連続17場所務め、44歳まで幕内に在位したが、1904年5月に十両に陥落。1905年1月に廃業した。 海老ノ海→狭布里錦太夫 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。