出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は… 出井 敏博(いでい としひろ、1997年4月29日 - )は、栃木県小山市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 小学校3年生より野球を始め、5年生から投手を務めるようになる。小中学校時代はエースとして活躍し、進学した埼玉栄高校でも、1年生秋からエースナンバーを背負った。高校卒業後は神奈川大学に進学。しかし、硬式野球部では周りの選手のレベルの高さに圧倒され、野球を辞めようと何度も考えるようになった。それでも踏みとどまり、主にリリーフでの起用で大学時代を過ごした。 2019年10月17日に行われたドラフト会議において埼玉西武ライオンズから育成ドラフト1位で指名され、11月21日に支度金350万円、年俸400万円にて入団合意した。
飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は… 飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手、内野手)。栃木県小山市出身。
髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )… 髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、栃木県小山市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークスコーチ。 小山市立大谷東小学校では2年生時に1歳上の兄とともに雨ケ谷学童に所属して軟式野球を始め、三塁手だった。小山市立大谷中学校でも軟式野球部に所属し三塁を守った。 小山北桜高校へ進学すると強肩を買われて捕手に転向。投手だった兄と兄弟バッテリーを組んだ。甲子園への出場はなかったが、2年春に同校最高成績となる県大会ベスト4に進出するなどチームを牽引した。 高校卒後はプロ野球選手を目指し、富士重工業に進んだ。1年目は原因不明の左膝痛に悩まされ、後に腰痛も併発し、公式戦に1試合も出場しないまま2年目の12月に退社。
髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )… 髙谷 裕亮(たかや ひろあき、1981年11月13日 - )は、栃木県小山市出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
大橋 康延(おおはし やすのぶ、1955年10月8日 - )… 大橋 康延(おおはし やすのぶ、1955年10月8日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 小山二中時代はアンダースローの好投手であり、小山中の江川卓と投げ合ったこともある。江川が地元の小山高へ進むという噂から作新学院高へ進学するが、結局は同期入学となる。その後は江川の控え投手として登板機会は限られたが第45回選抜高校野球大会の小倉南高戦で2イニング登板した。これは江川が監督に進言したことによるという。 1973年ドラフト会議で 大洋ホエールズから2位指名を受け入団。 180cmという体格に恵まれながら、元々肥満体質のため腰周りに肉がつき過ぎて体のキレが悪く生きた球がいかなかった。
河内 忠吾(かわち ただみち、1930年12月24日 - 1… 河内 忠吾(かわち ただみち、1930年12月24日 - 1991年1月29日)は、栃木県小山市出身のプロ野球選手(投手→三塁手)、野球監督。
田名網 英二(たなあみ えいじ、1924年7月30日 ‐ 1… 田名網 英二(たなあみ えいじ、1924年7月30日 ‐ 1988年10月13日)は、栃木県出身のプロ野球選手、高校野球指導者。 1924年に小山市で生まれる。栃木県立栃木商業高等学校、法政大学、いすゞ自動車でプレーし、1950年に西日本パイレーツに入団。二塁手または遊撃手としてプレーし、26盗塁を記録するも、同年チームが解散し、田名網も肋骨骨折の影響で僅か1年で現役を引退した。 引退後の1953年に山梨県立甲府工業高等学校の監督に就任。25年間で春2回、夏3回本大会に出場。特に1966年の第48回全国高等学校野球選手権大会では深沢修一や西村公一らを率いて県勢初のベスト8に進出した。1985年に教え子でもある原初也に同校の監督業を譲り、勇退。