島袋 奈美恵(しまぶくろ なみえ、1998年6月10日 - … 島袋 奈美恵(しまぶくろ なみえ、1998年6月10日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の女子サッカー選手。サンフレッチェ広島レジーナ所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 父は沖縄出身で母は日本人とペルー人のハーフ。名前は安室奈美恵から付けられた。小学3年生のとき、兄の影響でサッカーを始め、伊勢崎SFCに入団。 前橋育英高等学校ではインターハイで活躍し、U-18日本女子代表候補にも選出された。 2017年、INAC神戸レオネッサに加入。前橋育英高校から女子プロサッカー選手が誕生するのは平成21年の女子サッカー部創部以来初めて。 2021年、サンフレッチェ広島レジーナへ完全移籍した。
志村 駿太( しむら しゅんた、1997年4月26日 - )… 志村 駿太( しむら しゅんた、1997年4月26日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 群馬U-18からのトップチーム昇格は、2008年の木下伸二、2012年の栗田裕太に続く3人目となる。 2016年、ザスパクサツ群馬U-18での両足の精度、技術力を評価されてアマチュア契約でのトップチーム昇格が決まった。この年の公式戦出場は1試合に留まる。 2017年もアマチュア契約の継続が発表された。同年8月18日に佐藤遵樹、早坂龍之介と共に選手の強化・育成において、公式戦での実戦経験を積むために群馬に復帰することを前提としてtonan前橋へ移籍する事を発表。
吉澤 正悟(よしざわ しょうご、1986年7月26日 - )… 吉澤 正悟(よしざわ しょうご、1986年7月26日 - )は、群馬県出身の元サッカー選手。ポジションは、FW。 2007年終了後にアルビレックス新潟より戦力外となり、一度はSリーグのチームに移籍が決まったが破談となり、FC岐阜の下部チームに当たるFC岐阜SECONDへ移籍。2009年はJFL・アルテ高崎に所属し、2010年から関西サッカーリーグ1部・AS.ラランジャ京都へ移籍。AS.ラランジャ京都退団後はそのまま関西に残り、会社勤めをしている。
大谷 圭志(おおたに けいし、1983年4月17日 - )は… 大谷 圭志(おおたに けいし、1983年4月17日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元サッカー選手。ポジションは主に守備的ミッドフィールダー。 元サッカー選手の大谷昌司は双子の兄である。元U-18(18歳以下)日本代表。 小学校3年生の時にサッカーを始める。 1999年に前橋育英高等学校へ進学。3年時には同期に兄・大谷昌司や相川進也、浅川智、岡本勇輝、佐田聡太郎、里見仁義、須田剛史、坪内秀介のいるチームで主将に就いた。同年度の全国高校選手権本大会直前に左膝前十字靭帯断裂という重傷を負ったが 手術を延期してベンチ入りし、チームを鼓舞した。 2002年に高校を卒業し、Jリーグ・FC東京に入団。長期のリハビリを経て同年11月に練習に合流した。
大谷 昌司(おおたに まさし、1983年4月17日 - )は… 大谷 昌司(おおたに まさし、1983年4月17日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 双子の弟の大谷圭志は元サッカー選手である。(2006年に現役引退。)
須田 剛史(すだ たけし、1983年4月14日 - )は日本… 須田 剛史(すだ たけし、1983年4月14日 - )は日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 前橋FC、前橋育英高等学校出身。高校時代は佐田聡太郎らとともに活躍、高校1年時に平成13年度全国高等学校総合体育大会出場、第56回国民体育大会群馬県国体選抜、第80回全国高等学校サッカー選手権大会に出場しベスト4進出した。 2002年高校卒業後、サンフレッチェ広島に入団する。プロ同期入団は、佐田、茂木弘人、西村英樹。Jリーグでの出場機会はなく、その後本人の希望で2年で引退し青山学院大学へ進学する。 大学を卒業後は映画配給会社に勤務し、2009年から毎日コムネット社員として働いた後、2016年からは日本サッカー協会に所属している。
柳澤 宏太(やなぎさわ こうた、1982年4月8日 - )は… 柳澤 宏太(やなぎさわ こうた、1982年4月8日 - )は、群馬県伊勢崎市出身のプロサッカー選手。サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(センターバック)。現在は高校教師。
大島 秀夫(おおしま ひでお、1980年3月7日 - )は、… 大島 秀夫(おおしま ひでお、1980年3月7日 - )は、群馬県伊勢崎市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 1998年に前橋育英高校から横浜フリューゲルスに入団。当時のレシャック監督の抜擢により、開幕戦にスタメン出場するなど順調な滑り出しを果たした。しかし、クラブが横浜マリノスに吸収合併されたため、同期入団である遠藤保仁や辻本茂輝らとともに京都パープルサンガへ移籍した。京都では思い通りの活躍が出来ず、2000年のシーズンオフに京都からゼロ円提示を受けて事実上の戦力外になる。しかし、2001年に移籍したモンテディオ山形ではレギュラーに定着し、2004年には22得点を挙げ、川崎フロンターレの我那覇和樹と並びJ2の日本人得点王(得点ランク2位タイ)となった。