新井 唯斗(あらい ゆいと、2007年11月11日 - )は… 新井 唯斗(あらい ゆいと、2007年11月11日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 小学校2年生から硬式野球を始め、柳瀬小(新座リトル)→柳瀬中(東京神宮シニア)と進む。高校では1年生の夏から中堅手(外野)として公式戦に出場。2年生の冬、チーム事情により遊撃手(ショート)へコンバート。春には遊撃としての守備もこなす。 2025年度のドラフト会議にて、埼玉西武ライオンズから育成ドラフト1位で指名された。
相澤 白虎(あいざわ はくと、2004年5月28日 - )は… 相澤 白虎(あいざわ はくと、2004年5月28日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(外野手・育成選手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小学校6年時には、埼玉西武ライオンズジュニアに選ばれ、中学時代は新座ボーイズでプレーし、日本代表にも選ばれた。その後、桐蔭学園高等学校に進学し、1年時から活躍。主将も務めた。3年夏の神奈川県大会では、右中間を破るランニング本塁打も記録している。 2022年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成ドラフト5巡目で指名を受けた。11月10日に支度金290万円、年俸360万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は008。
羽田 慎之介(はだ しんのすけ、2003年12月25日 - … 羽田 慎之介(はだ しんのすけ、2003年12月25日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 荒幡小学校2年から荒幡ライオンズで野球を始め、小学校6年生の泉ホワイトイーグルス在籍時に埼玉西武ライオンズジュニアチーム入りを果たした。山口中学校時代に東練馬シニアでG杯準優勝。 八王子学園八王子高等学校では1年からベンチ入り。2年の秋季大会中に左肘の骨膜炎を発症、その年の冬をほぼ体力トレーニングに当て、2021年3月より投球を再開した。3年生の春季大会は「20球以内、変化球も制限」という条件で登板、149km/hを記録した。 3年の夏は左肘の骨髄浮腫によりマウンドに立つことなく終わる。
櫻井 周斗(さくらい しゅうと、1999年6月25日 - )… 櫻井 周斗(さくらい しゅうと、1999年6月25日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。CPBLの台鋼ホークス所属。 2人の実兄の影響で、所沢リトルライオンズで軟式野球をスタート。当初は投手一本で、チーム内に同級生が居なかったことから、小学4年時に所沢ニュータウンヤンキースへ移った。小学校6年時のNPB12球団ジュニアトーナメントで、東京ヤクルトスワローズのジュニアチームのメンバーに選ばれたが、左肘を故障したため実際には出場しなかった。 東中学校への入学と同時に、新座シニアに入団。途中で左肘を再び故障したため、野手に転向する。3年時に参加したリトルシニア関東選抜では、投手としての素質に目を付けた関東選抜監督(海老名リトルシニア監督)の方針で、投手として東京ドームの日本リトルシニア全国選抜野球大会に出場。
山口 千沙季(やまぐち ちさき、1999年5月20日 - )… 山口 千沙季(やまぐち ちさき、1999年5月20日 - )は、埼玉県所沢市出身の元女子プロ野球選手(投手)、野球指導者、監督。 兄の影響で幼稚園の頃には将来野球選手になりたいと思っていた。小学2年時に所沢リトルリーグに所属し、中学時代はソフトボール部に所属、開志学園高等学校へ進学する(開志学園高初の女子プロ野球選手)。2018年、育成チームのレイアに入団し育成期間を1年で終える。 2019年埼玉アストライアへ移籍し、同年11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。 2020年1月には、三原遥とともに名鉄西部交通初のアスリート社員として入社した。2月16日には、東海NEXUSの初代メンバーとして活動することが発表されたが、同年をもって退団。
山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、… 山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 実父は元プロ野球選手の山崎章弘。 所沢市立北小学校の2年生の時に「新所沢ライノーズ」で、投手として野球をスタート。向陽中学校時代には、「所沢中央シニア」で投手や一塁手を経験した。なお、中学3年の時の冬に脳腫瘍が判明したが、手術を経て克服している(詳細後述)。 日大三高への進学後には、1年の秋に一塁手としてベンチ入りを果たすと、2年の春からレギュラーに定着。第91回全国選手権大会では、「5番・一塁手」として2試合にスタメンで出場したが、通算打率は.143(7打数1安打)にとどまった。
松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )… 松比良 平太(まつひら へいた、1980年7月13日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(捕手)。 習志野市立習志野高等学校(同級生に玉田圭司・吉野智行ら)から、1998年のドラフト7位で大阪近鉄バファローズに指名され入団。 一軍での試合出場がないまま、4年目の2002年オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。 引退後の2003年からは近鉄でブルペン捕手を務めていたが、2004年限りで球団が消滅。 翌2005年、新規参入を果たした東北楽天ゴールデンイーグルスに入り、2014年までブルペン捕手を務めた。その間、2008年には北京オリンピック野球日本代表のチームスタッフも務めた。 2015年から二軍用具係に異動となり、2016年からは二軍マネージャーを務めた。
渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は… 渡邉 恒樹(わたなべ こうき、1978年5月17日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ時代の登録名は「渡辺 恒樹」(読み同じ)だった。2013年よりヤクルトの打撃投手を務める。 幼稚園の時に熱烈な読売ジャイアンツファンだった父親の影響で野球(キャッチボール)を始める。所沢市立若松小学校2年生では少年野球チーム「若松サンダズ」に入団し、所沢市立中央中学校では市の運営する硬式中学野球クラブ「所沢ボーイズ」に入部して2番手投手となる。卒業後は相洋高等学校に進学し、投手として3年春に県大会で準優勝を果たす。東京農業大学では、4年秋に東都大学リーグ2部で優勝し、最優秀投手賞。
杉本 友(すぎもと ゆう、1973年6月19日 - )は、埼… 杉本 友(すぎもと ゆう、1973年6月19日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年の時に野球を始める。中学時代は捕手、埼玉県立川越高等学校では一塁手だった。卒業後は高校野球の監督を目指すために一浪し、筑波大学第三学群基礎工学類に入学。変換工学を専攻したという経歴を持つ。3年次からエースとなり首都大学リーグの大東文化大学戦でノーヒットノーランを達成し、脚光を浴びる。4年秋にはエースとしてリーグ戦優勝に貢献し、明治神宮野球大会に出場。初戦で完投するも延長サヨナラ負け。大学時代のニックネームは、「首都リーグのドクターK」。大学通算18勝11敗、246奪三振、防御率2.42、最優秀投手2回、ベストナイン1回。
斉藤 貢(さいとう みつぐ、1970年4月26日 - )は、… 斉藤 貢(さいとう みつぐ、1970年4月26日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。1996年の登録名は「ミツグ」。 所沢商業高校卒業後、明治大学に進学するも半年で中退。警備員等約20種類のアルバイトを経てプリンスホテルに入社。1992年の日本選手権では初戦先発で勝利、2回戦では先発・武藤潤一郎の後に3回無失点を抑えて逆転勝利を呼び込むなど準優勝に貢献。1994年の東京スポニチ大会で優秀選手、同年の都市対抗野球には東芝府中の補強選手としてベスト8に貢献。同年秋の日本選手権では初戦から2試合連続完投勝利して、準々決勝では9回途中から登板したが逆転サヨナラ負け。1994年のプロ野球ドラフト会議にて福岡ダイエーホークスから2位指名され入団した。
芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は… 芝草 宇宙(しばくさ ひろし、1969年8月18日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者、野球指導者。現在は帝京長岡高等学校の野球部監督。 帝京高校で高校野球大会に通算3回出場。3年時の1987年は、春夏の甲子園に共にエースとして出場。春の59回大会は、前年の秋の成績が芳しくなかったこともあってそれほど注目されていなかったが、2回戦で優勝候補の一角で、近畿大会王者の京都西を完封。準々決勝で野村弘、橋本清、立浪和義、片岡篤史らを擁するPL学園高校に延長11回、2-3でサヨナラ負け、2試合連続で好投したことで、一躍注目を浴びることとなった。夏の第69回選手権大会では2回戦・対東北高校戦でノーヒットノーランを達成(選手権大会史上20人目)するなど、3試合連続完封して準決勝に進出したが春夏連覇したPL学園に打ち込まれ、5-12で再び敗れた。
串原 泰夫(くしはら やすお、1963年4月13日 - )は… 串原 泰夫(くしはら やすお、1963年4月13日 - )は、埼玉県所沢市出身の元プロ野球選手(投手)。 所沢商業高では3年夏の埼玉県大会で準々決勝まで進出するも古川慎一がいた春日部工業に敗れた。 1981年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから4位指名を受け入団。 1984年と1985年はアメリカ1Aのサンノゼ・ビーズに野球留学した。プロ5年目の1986年に1試合のみ一軍登板を果たすが、以降は一軍での登板はなく1989年限りで現役を引退。 引退後は西武園ゆうえんちに勤務している。
越阪部 豊(おさかべ ゆたか、1950年11月1日 - )は… 越阪部 豊(おさかべ ゆたか、1950年11月1日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。 豊岡高では、1968年夏の埼玉県予選で大宮工業高に4-3で敗れたが、飯能高との練習試合では1安打の完封勝ちを記録したことのある長身速球投手。 1968年にテスト入団で合格し、ドラフト外でサンケイアトムズに入団する。しかし、一軍公式戦に出場がないまま1969年に1シーズン限りで現役を引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。