荒虎 敬之助(あらとら けいのすけ、1844年(天保14年)… 荒虎 敬之助(あらとら けいのすけ、1844年(天保14年)1月4日(旧暦11月15日) - 1882年(明治15年)9月19日)は、武蔵国北埼玉郡(現:埼玉県加須市)出身の元大相撲力士。本名は小室 敬之助(こむろ けいのすけ)。 幼少期から相撲好きで身体も大きく、古川藩の二人の侍と喧嘩した際には相手を掴んで拍子木のように打ち合わせたと伝わる。若藤部屋に入門し、1865年2月場所で序ノ口から初土俵を踏むと1871年3月場所で新十両に昇進、1874年12月場所で新入幕を果たした。突っ張って動き回る取り口で幕内での勝率は5割前後で推移したが、精悍な容貌で人気があり、当時の力士としては珍しく読み書きができ、数理に明るかった。
柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年)… 柏戸 村右衛門(かしわど むらえもん、元文3年(1738年) - 寛政8年(1796年))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市北川辺町出身。 初代伊勢ノ海(幕内・伊勢ノ海五太夫)が開いた伊勢ノ海部屋に入門。宝暦9年(1759年)3月場所の五段目(現在の序ノ口に相当)が番付初見。大半は二段(現在の幕下に相当)の地位にあり、途中備前藩主池田家の抱えとなり、三千ノ川強右衛門を名乗ったこともある。初代没後の安永5年(1776年)1月場所に38歳にして新入幕を果たした。 安永9年(1780年)10月場所以降は既に二枚鑑札となっており、天明元年(1781年)には現役のまま勧進元をつとめる等、初代、2代伊勢ノ海(関ノ戸億右エ門)と同様、興業的手腕や事務的能力を発揮。
伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月… 伊勢ノ海 五太夫(いせのうみ ごだゆう、? - 安永3年7月9日(1774年8月15日))は、武蔵国(現在の埼玉県)出身の元大相撲力士。 現在の埼玉県加須市戸崎出身。 現役時代は初代春日山鹿右衛門の弟子、頭書は「仙台」。現役時代の事績は資料が少なく不明であるが、寛保3年(1734年)時点では東前頭11枚目、宝暦4年(1754年)時点では西前頭14枚目に在籍していることが確認できるという。 年寄となってからの伊勢ノ海が知られており、1755年に四股名をそのまま年寄名跡とし、以後、勧進元5回、差添(勧進元の補佐的地位)12回を務めていることから、江戸相撲会所(現在の日本相撲協会)内で興行的手腕のある中心的人物であったようである。