嘉陽 快宗(かよう やすとき、1999年7月14日 - )は… 嘉陽 快宗(かよう やすとき、1999年7月14日 - )は、沖縄県那覇市出身で、中村部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長171cm、体重168kg、最高位は東前頭16枚目(2025年5月場所 - 7月場所)。 いわゆる「花のイチイチ組」の1人。 千葉県市川市生まれ。市川市立新井小学校4年次から市川市相撲教室に通って稽古を積み、12歳からは新潟県に相撲留学して糸魚川市立能生中学校から新潟県立海洋高等学校に進学。高校卒業後は日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科に進学し、4年次(2021年度)に全日本相撲選手権大会と全国学生相撲選手権大会の両大会でベスト8の実績を残して大相撲の三段目最下位格付出の資格を獲得した。
闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日- )は、千葉県… 闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日- )は、千葉県市川市行徳出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は玉城 順(たまき じゅん)。最高位は東小結(2003年9月場所)。現役時代の体格は189cm、174kg。得意手は突き、押し。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。 父は、高砂部屋の元序二段だった高勇。長く伸びた揉み上げが特徴で、NHKの大相撲中継では「もみあげの闘牙」と評されたこともある。父の開設していた道場で柔道を習い、中学校時代は父の故郷である沖縄県で過ごした。1年先輩には阿嘉(後の元幕内・若ノ城)がいる。中学卒業後、柔道の強豪・東海大学付属相模高校に入学するも、腰を痛めて柔道の道を断念した。
小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - … 小城錦 康年(おぎにしき やすとし、1971年7月8日 - )は、千葉県市川市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小岩井 康年(こいわい やすとし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東小結(1997年7月場所)。現在は年寄・中立。身長186cm、体重138kg。父は元関脇・小城ノ花正昭、兄は元前頭・小城ノ花昭和、趣味はサッカー、スポーツ観戦、血液型はA型。 1987年3月場所初土俵、1991年11月場所新十両、1993年5月場所新入幕、2004年1月場所限りで引退した。 新入幕を果たした1993年5月場所では9勝6敗と勝ち越したものの、翌7月場所は4勝11敗と大敗して十両に陥落。再入幕の11月場所(前頭16枚目)で11勝を挙げて敢闘賞を受賞。
旭豪山 和泰(きょくごうざん かずやす、1968年9月18日… 旭豪山 和泰(きょくごうざん かずやす、1968年9月18日 - )は、千葉県市川市国分出身(出生地は東京都江東区)で大島部屋に所属した元大相撲力士。本名は木村 泰山(きむら たいざん)。最高位は東前頭9枚目。身長181cm、体重176kg。得意は突き、押し。現在は東京都江戸川区でちゃんこ屋を経営している。血液型はO型。 千葉県出身。中学時代は柔道をやっていた。大相撲に入門したきっかけは、「関取になったら学校に君の写真額が飾られるぞ。」と大島親方に口説かれたことである。実際に、母校である市川市立第一中学校の校舎の一角には、現在[いつ?]でも自身の写真額が掲げられている。 ずんぐりむっくり型で、押し相撲にはもってこいの体型であった。
小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日… 小城ノ花 昭和(おぎのはな あきかず、1967年11月18日 - )は、千葉県市川市出身(出生地は東京都港区)で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小岩井 昭和(こいわい あきかず)。最高位は東前頭2枚目(1990年5月場所・1996年3月場所)。現役時代の体格は身長188cm、体重137kg。得意手は左四つ、上手投げ。現在は年寄・出羽海。父は元関脇・小城ノ花正昭、弟は元小結・小城錦康年。 元関脇・小城ノ花(13代高崎)を実父として生まれる。実弟には元小結・小城錦がいる。千葉商大付属高校では野球部に所属しており、相撲経験はなかった。それどころか千秋楽の打ち上げで出羽海部屋に出入りする以外は相撲部屋とは接点が無く、むしろ父親は「(相撲は)お前には無理だ」「勉強しないと相撲取りにさせるぞ」と、入門には反対だった。
國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 -… 國見山 兼初(くにみやま かねはつ、1948年3月31日 - )は、千葉県市川市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は堀木 兼初(ほりき かねはつ)。176cm、110kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 少年時代から宮相撲に参加する相撲好きであった。1964年5月場所初土俵、1972年5月場所に十両昇進するも2勝13敗と大敗を喫し、翌場所に幕下陥落。十両在位はこの1場所に終わる。1975年9月場所限りで廃業。その後は、料理屋を経営した。
房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)… 房錦 勝比古(ふさにしき かつひこ、1936年(昭和11年)1月3日 - 1993年(平成5年)7月21日)は、東京府東京市(現:東京都大田区)生まれで千葉県東葛飾郡南行徳村(現:市川市相之川)出身で若松部屋(一時期、西岩部屋)に所属した大相撲力士。本名は櫻井 正勝(さくらい まさかつ)→松崎 正勝(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西関脇(1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。 小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。
稲葉嶽 光之助(いなばだけ みつのすけ、1889年11月7日… 稲葉嶽 光之助(いなばだけ みつのすけ、1889年11月7日 - 1978年5月7日)は、現在の千葉県市川市河原出身で濱風部屋、千田川(大阪相撲)に所属した力士。本名は雪吹 光之助(旧姓:及川)。身長173cm、体重94kg。東京相撲での最高位は東前頭14枚目(1916年5月場所)。 1911年2月に初土俵を踏み、1915年6月十両昇進。1916年5月に入幕したが1勝8敗1預の大負けだった。翌場所(1917年1月場所)は十両に落ち、2場所とも十両にあったが不振が続いた。場所後の巡業では出羽海部屋一行に加わったが、同年12月巡業先の埼玉県大宮で酒の席で暴行事件を起こした。一行の組長の入間川(元小結両國のち6代出羽海)は稲葉嶽をその場で破門を宣言した。
大蛇潟 大五郎(おろちがた だいごろう、1863年1月(文久… 大蛇潟 大五郎(おろちがた だいごろう、1863年1月(文久2年12月) - 1916年1月9日)は、現在の千葉県市川市鬼越出身で宮城野部屋、錦戸部屋、錦島部屋に所属した力士。本名は錦嶋 七太郎(旧姓岡田)。7代錦島。身長178cm、体重101kg。最高位は西前頭筆頭。 1885年5月に二枚目格付出で初土俵。1889年5月十両昇進した。1892年6月に新入幕、以後1907年1月に44歳で引退するまで連続で幕内に在位。また錦島部屋では二枚鑑札。引退後は親方業に専念したが、1916年に没した。享年55。 上の名前は番付上の表記揺れを考えなければ改名歴なし。下の名前は1890年5月場所まで「七五郎」、1891年1月場所から「大五郎」。
境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、1841年5月28日… 境川 浪右衛門(さかいがわ なみえもん、1841年5月28日(天保12年4月8日) - 1887年(明治20年)9月16日)は、下総国葛飾郡(現・千葉県市川市高谷)出身で境川部屋に所属した大相撲力士。第14代横綱。本名は宇田川 政吉(うだがわ せいきち(まさきち))で、のちに市川 政吉(いちかわ - )から市川 浪右衛門( - なみえもん)。 1841年に下総国葛飾郡(現:千葉県市川市)で製塩業を営む家に三男として生まれる。13歳で江戸・新川(現:東京都中央区新川)にあった酒問屋「小西屋」に奉公へ出たが、四斗樽を楽々と運ぶ政吉を見た相撲好きの主人が力士転向を熱心に勧め、境川部屋に入門、1857年11月場所で初土俵を踏んだ。