有薗 直輝(ありぞの なおき、2003年5月21日 - )は… 有薗 直輝(ありぞの なおき、2003年5月21日 - )は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 旭市立干潟小学校1年生の時に干潟メッツで野球を始め、千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。千葉ロッテマリーンズジュニアのチームメイトに吉野創士がおり、高校進学後もメールでの交流が続いた。旭市立第二中学校では硬式野球のクラブチームである佐倉リトルシニアに所属。チームは2年時にジャイアンツカップで優勝したが、自身はベンチ外であった。3年時からレギュラーに定着し、投手も兼任した。 千葉学芸高等学校に進学し、1年春から4番打者を務めた。投手も兼任し、2年秋は背番号1を背負った。
小沼 健太(おぬま けんた、1998年6月11日 - )は、… 小沼 健太(おぬま けんた、1998年6月11日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 旭市立飯岡小学校3年時に銚子リトルで野球を始め、主に投手を務めた。旭市立飯岡中学校では軟式野球部に所属。中学時代に選ばれた県選抜チームでは、榊原翼らとともにプレーした。 高校は千葉県立東総工業高等学校に進学。主に中継ぎとして登板した。甲子園や関東大会への出場はなく、高校3年時にプロ志望届を提出したが指名はなかった。 高校卒業後は、「1年でも早くプロに行ける」という理由でBCリーグの武蔵ヒートベアーズに入団。2年間で6勝12敗、防御率5.88の成績だった。 2019年シーズンからは、環境を変えたいという理由で移籍を決意し、新設された茨城アストロプラネッツから分配ドラフトで指名された。
相内 誠(あいうち まこと、1994年7月23日 - )は、… 相内 誠(あいうち まこと、1994年7月23日 - )は、千葉県富津市出身(柏市生まれ)の元プロ野球選手。キックボクサー。2014年から2017年の登録名は「誠」(まこと)。現在は主に格闘家として活動。 小学校4年生の時に野球を始め、富津市立天羽中学校は軟式野球部に所属。家庭の事情で中学生時代を児童養護施設で過ごした。 千葉国際高等学校(現:翔凜高等学校)時代は1年生時の夏にベンチ入り。2年生時の夏の甲子園・千葉大会の対千葉県立松戸馬橋高等学校戦では、先頭打者から9連続奪三振を記録。3年生時の春季県大会では5試合40回を投げ47奪三振、防御率0.00だった。同年の第94回全国高等学校野球選手権大会・千葉大会では2試合に救援登板し、1イニングずつを投げ無失点だったが、チームは3回戦で敗退。
杉山 翔大(すぎやま しょうた、1991年2月10日 - )… 杉山 翔大(すぎやま しょうた、1991年2月10日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 千葉県旭市立中央小学校3年時に、強豪少年野球チームとして地元では知られた「旭中央サンチャイルド」に入り、内野手として野球を始める。 旭市立第二中学校では軟式野球部に所属し、2年時に三塁手として関東大会出場。3年時は投手兼遊撃手で副将。 東総工業高等学校に進学し、捕手に転向。1年時の夏からレギュラーとなり、2年時の秋から主将を務め県ベスト4に導く。この時、打率.762の好成績を残している。3年時の夏は、東千葉大会ベスト8で成田国際高に1-2で敗れた。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、早稲田大学進学、野球部に入部する。
尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 202… 尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 2022年11月20日)は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(内野手)。 小学4年から野球を始め、飯岡中学時代に投手から内野手に転向。 銚子商業高では1976年に中堅手として夏の甲子園に出場、準々決勝に進むが桜美林高に敗れる。チームメートに1年先輩の宇野勝がいた。1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高の山口哲治に抑えられ敗退 。 卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1979年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝する。1981年の日米大学野球選手権日本代表に選出された。リーグ通算108試合出場、394打数105安打、打率.266、14本塁打、43打点。
遠藤 伸久(えんどう のぶひさ、1957年11月5日 - )… 遠藤 伸久(えんどう のぶひさ、1957年11月5日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(投手)。 市立銚子高では2年生の時、1974年の秋季関東大会県予選準々決勝で千葉商からノーヒットノーランを記録。県予選決勝に進出するが小川淳司を擁する習志野高に敗退。翌1975年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、君津高に敗れた。1年上のチームメートに石毛宏典、同期には投の二本柱であった銚子洋二(早大、銚子利夫の兄)がいた。 本格派左腕と期待され、1975年オフにドラフト外で阪神タイガースへ入団。なかなか一軍に上がれなかったが、プロ5年目に永射保、村田辰美らの投法をヒントに、フォームをオーバースローからサイドスローに改造。
土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は… 土屋 正勝(つちや まさかつ、1956年11月6日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球投手。 叔父は千葉県立銚子商業高等学校が1965年に木樽正明を擁して夏の甲子園で準優勝した際の左翼手で、その祝賀パレードを見たことが野球を始めるきっかけとなった。そのときの憧れから土屋も銚子商に進学し1973年春から4期連続で甲子園に出場を果たす。1年秋の県大会では木更津中央高の古屋英夫と投げ合うと、古屋は途中降板したが延長14回を投げて完投勝利で優勝。関東大会では準決勝で江川卓が先発した作新学院を相手に2番手で登板したが完封負け。2年春の選抜は控え投手として出場。1回戦で報徳学園に大敗するが、この試合でリリーフに立ち甲子園初登板。
石毛 宏典(いしげ ひろみち、1956年9月22日 - )は… 石毛 宏典(いしげ ひろみち、1956年9月22日 - )は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家、YouTuber。 日本における独立リーグの創設者・運営者としても知られ、IBLJを設立し、初代代表取締役を務めた。愛称は「ミスターレオ」「ハチ」。 現役時代は主に西武ライオンズで活躍し、1996年に福岡ダイエーホークスで現役引退後、同球団の二軍監督・オリックス・ブルーウェーブの監督などを経て、2004年に四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)を創設し、2009年創設の関西独立リーグ (初代)でも最高顧問を務めた。 2009年より城西国際大学客員教授。
高橋 重行(たかはし しげゆき、1945年5月16日 - 2… 高橋 重行(たかはし しげゆき、1945年5月16日 - 2010年3月1日)は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 千葉商業高校では監督に見込まれ、千葉市内に下宿していた。同期の仁礼豊と投の二本柱を組み、4番打者として1962年春季関東大会決勝に進むが、鎌倉学園の永田善一(大毎)に完封負けを喫する。鎌倉学園には竹之内雅史がいた。同年夏の甲子園千葉県予選でも準決勝に進出するが、習志野高に敗退。他の高校同期に遊撃手の鴇田忠夫、三塁手の江田昌司がいた。 夏の大会後に高校を中退し、大洋ホエールズへ入団。入団して2年間は一軍では投げられず、整理対象選手であった。1964年に別所毅彦ヘッドコーチから認められ、先発として速球と大きなカーブを武器に17勝を記録(シュートも投げたが、渡米前はおもに速球と大きなカーブで投球を組み立てていた)。
高木 晃次 は、千葉県旭市出身の元プロ野球選手(投手)。