石塚 裕惺(いしづか ゆうせい、2006年4月6日 - )は… 石塚 裕惺(いしづか ゆうせい、2006年4月6日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 幼稚園年長時からクラブチームの勝田ハニーズで野球を始め、八千代市立村上東小学校6年生時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。八千代市立村上東中学校在学時は硬式野球のクラブチームである佐倉シニアでプレーし、全国大会に出場した。 花咲徳栄高等学校に進学し、1年秋から三塁手のレギュラーに定着。2年春から遊撃手を務めた。3年夏の第106回全国高等学校野球選手権大会に出場し、新潟産業大附との初戦で1安打を記録したが、試合は敗れた。その後行われたBFA U-18アジア選手権大会の日本代表に選出され、4番打者を務めた。
村山 亮介(むらやま りょうすけ、2003年11月12日 -… 村山 亮介(むらやま りょうすけ、2003年11月12日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校時代は軟式野球チームの新木戸ヤングミヤコシに所属。八千代市立高津中学校時代は硬式野球(リトルシニア)の千葉西リトルシニアに所属。3年時の8月には、千葉県中学硬式野球大会『マリーンズカップ2018』決勝戦(千葉マリンスタジアム)に「7番・捕手」として出場し、左中間に適時二塁打を放ち優勝に貢献した。 千葉県立幕張総合高等学校では2年夏から4番を務め、3年春からは正捕手を務めた。高校通算38本塁打。2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、地元の千葉ロッテマリーンズから育成ドラフト4位で指名を受け、11月15日に支度金300万円、年俸230万円(推定)で契約を結んだ。
清宮 虎多朗(せいみや こたろう、2000年5月26日 - … 清宮 虎多朗(せいみや こたろう、2000年5月26日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(投手、育成選手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 幼稚園の年長(6歳)時に野球を始める。中学校2年の時に全国大会に出場。 八千代松陰高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年秋からは背番号1を付けてエースを務めた。中学時代は軟式で最速125km/hだったが、食事や初動負荷トレーニングに打ち込むと、2年の春先までには最速143km/hまでに急成長し、注目を集めるようになった。3年時(2018年)の第100回全国高等学校野球選手権記念大会では、大会の1か月前に指のマメがつぶれ登板機会がほとんどなく、西千葉大会2回戦で敗退。
芦田 丈飛(あしだ たけと、2000年2月9日 - )は、千… 芦田 丈飛(あしだ たけと、2000年2月9日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。オリックス・バファローズ所属。 八千代市立大和田西小学校2年生のときに野球を始め、八千代市立大和田中学校を経て、千葉英和高校へ進学。2年秋に芦田が故障し、控え内野手であった山﨑凪が投手に転向したが、3年夏にはエースの座を奪い返した。甲子園出場経験はなし。 国士舘大学へ進学し、1年時から登板機会を得たが、2年夏に疲労骨折で右肘を手術。公式戦に復帰できたのは4年時であり、プロや強豪チームからは声がかからず、社会人野球のオールフロンティアに入社した。 NPBを目指してオールフロンティアを入社1年で退社し、2022年度のBCリーグ特別合格選手として埼玉武蔵ヒートベアーズに入団した。
池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は… 池田 来翔(いけだ らいと、1999年12月11日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 八千代市立八千代台小学校1年の時に北東タイガースで野球を始めた。6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、NPB12球団ジュニアトーナメントにも出場した。八千代市立八千代中学校時代は東都京葉ボーイズに所属し、主に遊撃手を守った。 習志野市立習志野高等学校では2年秋から三塁手のレギュラーを獲得。3年夏の千葉県大会は、準決勝の検見川戦で先頭打者本塁打を放つなど打率.455と活躍し、チームは決勝に進出したが、山下輝擁する木更津総合に3-4で敗れ、甲子園に出場することはできなかった。
金久保 優斗(かなくぼ ゆうと、1999年11月4日 - )… 金久保 優斗(かなくぼ ゆうと、1999年11月4日 - )は、千葉県八千代市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。現在はキウム・ヒーローズ所属。 八千代台小学校では1年生から北東タイガースで野球を始める。八千代市立八千代台西中学校時代は佐倉リトルシニアに所属。部活は卓球部に所属していた。3年夏にエースとして全国大会とジャイアンツカップで優勝した。 東海大市原望洋高校に進学後、1年秋からベンチ入り。2年夏は佐倉シニア時代からの1学年先輩である島孝明との二枚看板で活躍。2回戦の芝浦工大柏高校戦では5回参考ながらノーヒットノーランを記録した。しかし、準々決勝で木更津総合高校の早川隆久と投げ合い、7回途中1失点と好投するも0-1で敗れ、ベスト8。
重田 倫明(しげた ともあき、1996年5月30日 - )は… 重田 倫明(しげた ともあき、1996年5月30日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 八千代市立村上東中学校の在学中に、校内の軟式野球部へ所属。中学校野球部3年次には主将を務め、チームを牽引した。3年時の夏の大会は主にポジションはセカンドだった。八千代市大会優勝、千葉県大会優勝、関東大会準優勝、全国大会出場を果たした。千葉県大会の決勝戦、対昭和中は先発投手として登板した。千葉英和高等学校への進学を機に、硬式野球へ転向した。 千葉英和高校では1年時の夏から公式戦に登板したものの、甲子園球場での全国大会とは無縁であった。このときバッテリーとして捕手を務めていたのが、後に演歌歌手となった新浜レオンである。
加藤 博人(かとう ひろと、1969年4月29日 - )は、… 加藤 博人(かとう ひろと、1969年4月29日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、監督。 高校時代はエースではなかったが2年秋の県大会で優勝し、関東大会では初戦で中込伸(甲府工)に完投されて惜敗する。無名の存在であったが独特のカーブがヤクルトスワローズスカウトの安田猛の目に留まり、1987年オフにヤクルトの入団テストを受験。当時直球の球速は130キロ台であったが、監督の関根潤三ら首脳陣の目に留まり合格し、同年にドラフト外で入団。 1988年は二軍で鍛えられた。 1989年のユマキャンプに打撃投手的な役割で連れていったところ、広澤克実・池山隆寛ら主力打者がカーブを空振りしたことから一軍に抜擢。
中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )… 中山 孝一(なかやま こういち、1948年8月12日 - )は、千葉県八千代市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工商では3年次の1966年、夏の甲子園千葉大会で東金商をノーヒットノーランに抑え、続く東邦大付も7回コールドながらノーヒットノーランで降す。その後も2試合連続で完封勝利、習志野戦で失点するも41回連続無失点記録を達成。続く東関東大会準決勝で竜ヶ崎一高に敗退し、甲子園出場はならなかった。同年の一次ドラフト6位で阪神タイガースに指名されるも入団せず、卒業後の1967年にサッポロビールへ入社。1969年の都市対抗に出場し、同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。 入団後は速球投手として期待され、1年目の1970年から先発として起用されるが、同年は1勝に終わる。