初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)… 初代大谷 桂三(おおたに けいぞう、1950年(昭和25年)6月11日 – )は、歌舞伎役者。屋号は十字屋。定紋は巴の二重丸。本名は井上 敬三(いのうえ けいぞう)。東京銀座生まれ。青山学院高等部卒業。兄は六代目尾上松助、甥は二代目尾上松也、姪は春本由香(新派)、長男は大谷龍生。 新派の春本泰男の三男として生まれる。母は女流清元節の清元延はる寿、上の兄は六代目尾上松助、二番目の兄は清元節三味線方の清元邦寿。 昭和31年 (1956年) 1月、新橋演舞場『雨乞妻』の倅与太郎で初舞台を踏む。その後二代目尾上松緑の部屋子となり、昭和34年 (1959年) 2月、初代尾上松也を襲名した。十一代目市川團十郎襲名披露「鏡獅子」に後の九代目市川團蔵と共に胡蝶を舞う、名子役であった。
二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、191… 二代目 市村 吉五郎(にだいめ いちむら よしごろう、1918年1月18日 - 2010年2月17日)は、歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根割り橘、替え紋は渦巻。公家役を得意とした。 1918年(大正7年)1月18日、十二代目片岡仁左衛門の次男として生まれる。 1922年(大正11年)12月天満八千代座『三日月次郎吉』の三太で本名の片岡義直の名で初舞台。 1940年(昭和15年)十五代目市村羽左衛門の養子となる。 1941年(昭和16年)1月歌舞伎座『鞍馬山だんまり』の牛若丸で二代目市村又三郎を襲名し名題昇進。 1946年(昭和21年)3月、父、十二代目片岡仁左衛門が下男に殺される(片岡仁左衛門一家殺害事件)。
十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年… 十一代目 市川 團十郎(いちかわ だんじゅうろう、1909年(明治42年)1月6日 - 1965年(昭和40年)11月10日)は、日本の歌舞伎役者。本名は堀越 治雄(ほりこし はるお)。位階は従四位。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。俳名は五粒。 海老蔵時代、「花の海老さま」として空前のブームを巻き起こした美貌で知られ、品格ある風姿、華のある芸風、高低問わずよく響く美声などを売り物とした、戦後歌舞伎を代表する花形役者の一人。 東京府東京市日本橋区(現中央区日本橋)に、七代目松本幸四郎の長男として生まれる。誕生時の本名は藤間治雄。次弟の順次郎は後に八代目松本幸四郎を、末弟の豊は後に二代目尾上松緑を襲名して、いずれも戦後昭和の東京大歌舞伎の屋台骨を支える名優に成長した。
十三代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1903年(… 十三代目 片岡 仁左衛門(かたおか にざえもん、1903年(明治36年)12月15日 - 1994年(平成6年)3月26日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は松嶋屋、定紋は七ツ割丸に二引。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名は片岡 千代之助(かたおか ちよのすけ)。 昭和後期の歌舞伎界を支えた立役の名優。最晩年は完全に盲目だったにもかかわらず、立役として舞台活動を続けた。 子に五代目片岡我當、日本舞踊家花柳寿々、二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門、新劇女優片岡静香らがいる。 温厚篤実な性格で屈折したところがなく、高貴な役どころがぴたりとはまった。由良助役者としても知られたが、七段目では、豪遊ぶりがいかにも自然で、卑屈な部分を見せることがなかった。
四代目 河原崎 長十郎(かわらさき ちょうじゅうろう、190… 四代目 河原崎 長十郎(かわらさき ちょうじゅうろう、1902年12月13日 - 1981年9月22日)は、東京の歌舞伎役者。本名、河原崎虎之助(かわらさき とらのすけ)。屋号は山崎屋。定紋は角違いに二つ巴、家紋は河原崎座櫓紋。 劇団前進座(1931年創設)の創設メンバーの一人で、後に幹事長(座頭)となる。“長十郎”とは元来、河原崎座の座元(劇場経営者)の跡継ぎである若太夫の名跡で、九代目市川團十郎(“劇聖”と称された明治の名優)も名乗ったことがある。 「演劇のデパート」の異名をとる前進座にあって、さまざまなジャンルの演劇作品に出演した。歌舞伎では『勧進帳』の弁慶、『鳴神』の鳴神上人、『元禄忠臣蔵・御浜御殿』の徳川綱豊卿、『め組の喧嘩』の四つ車大八などが当たり役であった。
三代目 市川 左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、189… 三代目 市川 左團次(さんだいめ いちかわ さだんじ、1898年(明治31年)8月26日 - 1969年(昭和44年)10月3日)は、大正から昭和中期の歌舞伎役者。屋号は高島屋、定紋は三升に左、替紋は松皮菱に鬼蔦だが、通常は替紋の方を使用した。俳号に新車。本名は荒川 清(あらかわ きよし)。東京府出身。 初代市川左團次から二代目市川左團次と相伝された男性的な力強い芸風とは大きく異なり、江戸っ子で門弟から芸一筋で出世し門閥の養子として大名跡を襲名した三代目は、様々な役割を器用にこなしながらあくまでも脇に徹する手堅さを持ち、苦労に裏打ちされた存在感のある独特の風があった。戦後歌舞伎を盛りたてた名優の一人である。
三代目 市川 莚升(いちかわ えんしょう、1894年(明治2… 三代目 市川 莚升(いちかわ えんしょう、1894年(明治27年)9月29日 - 1947年(昭和22年)5月10日)は、明治・大正・昭和時代の歌舞伎役者。屋号は高島屋。本名は高橋 道之助(たかはし みちのすけ)。 東京新富町生まれ。初代市川左團次の次男。長男の二代目市川左團次の異母弟。1898年(明治31年)二代目市川ぼたんとして初舞台をふみ、1915年(大正4年)に三代目市川莚升を襲名した。実兄二代目市川左團次につき、脇役を務め、女形の義兄二代目市川松蔦と共に、二代目左團次の演劇革新運動を援けた。当たり役は「太功記」十段目の十次郎、「吃又」の修理之助など。 近年、書籍、インターネットなどで、二代目市川左團次を初代市川左團次の一人息子とし、三代目市川莚升を初代左團次の養子とする記録が多々散見されるが、高橋家の戸籍原簿に拠れば、これは全くの誤謬である。
三代目 尾上 多賀之丞(さんだいめ おのえ たがのじょう、1… 三代目 尾上 多賀之丞(さんだいめ おのえ たがのじょう、1889年(明治22年)9月21日 - 1978年(昭和53年)6月20日)は、歌舞伎役者。位階は正五位。 戦前戦後にかけて活躍した。本名は樋口 鬼三郎。俳名は梅華。屋号は音羽屋。 東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。叔父は歌舞伎役者四代目淺尾工左衛門。役者としての初舞台は明治25年(1892年)8月、市川鬼三郎の名前で東京赤坂福禄座『恋初緑鈴木主水』。明治32年(1899年)頃、一時、木挽町にいた鏑木清方に入門、日本画を習得している。明治44年(1911年)9月、明治座での『四千両小判梅葉』の子分助六他で五代目市川鬼丸(いちかわ きがん)を襲名し名題昇進を果たす。
八代目 市川 團蔵(いちかわ だんぞう、1882年(明治15… 八代目 市川 團蔵(いちかわ だんぞう、1882年(明治15年)5月15日 - 1966年(昭和41年)6月4日)は歌舞伎役者。本名、市川銀蔵。屋号は三河屋。俳名に寿猿、三猿、市紅。東京生まれ。七代目市川團蔵の次男。 実母のはつが早くに家を出て他家に嫁いだため母親を知らずに育つ。父親の七代團蔵は芸の修業に厳しく、息子がうまくできないと冬でも庭の木に縛り付けて頭から水をかけることもあったという。1885年(明治18年)、本名の市川銀蔵の名で初舞台。芸修業のため小学校3年生までで退学する。1896年(明治29年)市川茂々太郎を襲名。主として子供芝居に活躍。1908年(明治41年)歌舞伎座『御存鈴ヶ森』の白井権八で、四代目市川九蔵を襲名。
尾上 幸三郎(おのえ こうさぶろう、1882年1月11日 -… 尾上 幸三郎(おのえ こうさぶろう、1882年1月11日 - 1947年1月4日)は、歌舞伎役者。本名:鈴木 僖重(すずき きじゅう) 1882年(明治15年)1月11日鈴木喜右エ門(江戸時代から有名な日本橋・料亭小倉亭~[江戸時代:本所小梅小倉庵]どちらも震災大火のため焼落)の長男として東京市京橋区中橋和泉町1番地に生まれる(現在の中央区築地2丁目)。六代目尾上菊五郎を師匠とし、尾上家の舞台では番頭もしていた。舞台では玉乗りを得意としていた。 幼い頃から歌舞伎座が身近にあったことから歌舞伎の世界に憧れる。当時銀座にあった料亭三浦(現在「新三浦」とし築地に移転)にて菊五郎と話し合い、菊五郎の元で歌舞伎を演じたい僖重と、番頭を欲しがっていた菊五郎の希望が合致し、菊五郎の初めての付き人になった。
二代目 河原崎 権十郎(かわらざき ごんじゅうろう、1880… 二代目 河原崎 権十郎(かわらざき ごんじゅうろう、1880年(明治13年)8月6日 - 1955年(昭和30年)1月11日)は、歌舞伎役者。本名は長谷 幸太郎。屋号は山崎屋。俳名に紫扇。 東京・日本橋の芝居茶屋の子として生まれる。九代目市川團十郎門人となり、明治18年(1885年)市川薫の名で新富座の『菅原伝授手習鑑・寺子屋』の菅秀才で初舞台。その後十一代目片岡仁左衛門門人となり下阪。明治38年(1905年)大阪弁天座で二代目市川権三郎を襲名する。 大阪での修業ののち帰京、大正8年(1919年)4月歌舞伎座で師匠の九代目團十郎の前名をおそって二代目河原崎権十郎を襲名。浅草の宮戸座、常盤座などの小芝居で活躍、『源平布引滝・実盛物語』の実盛や『神明恵和合取組』(め組の喧嘩)の辰五郎など、十五代目市村羽左衛門の当たり役を好んで演じ、しかも容貌や芸風までもが似ていたので「浅草の羽左衛門」と呼ばれ人気があった。