戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日… 戸川 純(とがわ じゅん、1961年〈昭和36年〉3月31日 - )は、日本の女優、歌手、作詞家。東京都新宿区出身。戸川京子は妹。 ゲルニカ、ヤプーズでの音楽活動の他、ソロヴォーカリストとしても活動している。当時、ポップスで取り上げられていなかった「タブー視」された事柄を歌詞に盛り込み、女性像の表現に禁忌がないことを世の中に提示した。 東京都西大久保(当時の名称)出身。台湾バナナなどの果物を扱う貿易会社を経営する父と専業主婦の母と、3歳年下の妹・戸川京子の4人家族。1967年に新宿区立戸山小学校に入学し、小学3年生の頃に『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』を観て芸能界を志望。同時期に京子が「児童劇団に入りたい」と言い出したことから、姉妹で劇団ひまわりに入団した。
石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941… 石坂 まさを(いしざか まさを、本名:澤ノ井 龍二、1941年5月18日 - 2013年3月9日)は、日本の作詞家・作曲家。一般社団法人真世界宗教連合会元相談役。 東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。 19歳の秋、自死を考えるが、鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聴き、発奮され作詞家を志すようになる。
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月… 平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 - 2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。社団法人日本作曲家協会・常務理事、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任した。 化粧品業を営んだ平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家で国立音楽大学教授を務めた平尾貴四男は伯父。 東京市の牛込(現:東京都新宿区)「生まれ」であるが、終戦後、神奈川県の湘南エリアに移住し、藤沢市にある湘南学園で小中学時代を送る。出生名は平尾勇。幼少時にたびたび改名し、デビュー初期の芸名である「昌章」を経て、最終的には本名の通り平尾昌晃を芸名としていた。 小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズのLPを聴き衝撃を覚える。
サトウ ハチロー(1903年5月23日 - 1973年11月… サトウ ハチロー(1903年5月23日 - 1973年11月13日)は、日本の詩人、作詞家、作家。本名:佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現:早稲田中学校・高等学校)中退後、旧制立教中学(現:立教池袋中学校・高等学校)へ転入。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 「うれしいひなまつり」、「ちいさい秋みつけた」、「リンゴの唄」の作詞者として知られる。 母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩である。
大川昭彦(おおかわ あきひこ)は、日本の作詞家、音楽プロデュ… 大川昭彦(おおかわ あきひこ)は、日本の作詞家、音楽プロデューサー。日本作詩家協会 会員。 日本音楽著作権協会(JASRAC)会員。 東京都新宿区出身。14歳まで神楽坂の下町で過ごし、その後、都内杉並区へ移る。幼少期から、演歌、歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、ロック、アニメソングと幅広いジャンルの音楽を聴き、レコードを集めることが趣味となる。中学時代、稲垣潤一、杉山清貴&オメガトライブのファンになり、そのアルバムの大半の歌詞を手掛けていたおニャン子クラブ誕生前の秋元康の歌詞に感銘を受け、1980年代半ば頃から音楽活動を始める。1990年代は作曲・編曲家の入江純とロック歌手の佐門慶一のアルバムを制作する。