二代目 三遊亭 小圓楽(さんゆうてい こえんらく、1975年… 二代目 三遊亭 小圓楽(さんゆうてい こえんらく、1975年11月5日 - )は、東京都江東区出身の落語家。五代目円楽一門会所属。本名は田中 則光。出囃子は『舌出し三番叟』。 東京都江東区立東陽小学校、私立明星学園中学校、明星学園高等学校卒業。 2012年8月1日、六代目三遊亭円楽へ弟子入り、「三遊亭楽天」となる。2015年10月1日に二ツ目昇進し、同月27日に二ツ目昇進披露興行が行われる。2022年9月に師匠円楽が死去。2023年1月、弟弟子の三遊亭楽八、三遊亭楽花山と共に初代三遊亭小圓楽門下に移籍。 2026年4月、真打に昇進し「二代目三遊亭小圓楽」を襲名した。 入門前はダンサー、ダンスインストラクター、振付師として活動していたと自らを紹介しており、「ダンサー落語家」を自称している。
三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25… 三笑亭 夢三四(さんしょうてい むさし、1957年11月25日 - 1994年4月30日)は、落語芸術協会に所属していた落語家。本名∶塩谷 利次。 工学院大学工業化学科中退。 1978年12月、三笑亭夢楽に入門し三笑亭夢坊となる。1983年5月、三笑亭夢三四に改名して二ツ目昇進。 1991年9月に真打に昇進するも、わずか三年後の1994年4月30日に肺がんで死去。36歳没。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は… 桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は、東京都江東区深川出身、落語芸術協会所属の落語家。出囃子は『深川くづし(お富さん)』。本名∶松井 正夫。 1970年12月、四代目桂米丸に入門、前座名・桂麦夫を名乗る。 1976年4月、二ツ目に昇進し、桂富丸と改名。 1985年5月、桂伸乃介と共に真打に昇進。 米丸の弟子らしく、一貫して新作落語中心の高座を務めている。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭… 六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉9月15日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。 東京都立文京高等学校卒業。 1959年3月、八代目春風亭柳枝に入門。「枝女吉」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生」と改名。 1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。 1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点の大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた。
三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)… 三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)3月19日 - 2022年(令和4年)8月27日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会顧問、日本演芸家連合5代目会長、日本芸能実演家団体協議会顧問。本名は松本 龍典。出囃子は『翁千歳三番叟』。前名の三遊亭金馬としては4代目。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通、令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家であった。 子供の頃は兵隊に憧れ予科練を夢見たが、柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳のとき、寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門。
初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年… 初代雷門福助(かみなりもん ふくすけ、1901年(明治34年)10月20日 - 1986年(昭和61年)6月11日)は、落語家。本名は川井初太郎。通称「落語界のシーラカンス」。 東京の深川の芝居道具師の家に生まれた。生年月日は口伝えでは2月3日の初午の日で、それゆえに初太郎と名付けられた。 奉公に出た後は陸軍省大臣・田中義一の運転手の助手をしたり、徳川夢声の元で活動弁士の下働きなどをしていた。 1922年(22歳)頃から幇間をしていた友人の薦めで六代目雷門助六に入門して福助を名乗る。二つ目のときに師匠が名古屋に「助六興行部」を設立したので同行した。関東大震災が起こった際は東京に戻らずそのまま名古屋に住み着いた。
三代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年6月27… 三代目 古今亭 今輔(ここんてい いますけ、明治2年6月27日(1869年8月4日) - 大正13年(1924年)8月18日)は、落語家。本名:村田 政次郎。 浅草代地に住んでいたことから俗に「代地の今輔」やせっかちなエピソードが多いことから「せっかちの今輔」。 東京深川の生まれ、子供の時の1883年~1884年ころに二代目古今亭志ん生の門に入り志ん丸を名乗った。志ん丸は二代目今輔の前座名で待望されていたことが分かる。1889年3月に志ん猫と改名。 師匠志ん生死去に伴い4月に四代目三升亭小勝の門で三升亭小つね、さらに1896年1月に柳家小文吾となり1897年に柳派の出世名である三代目柳家小三治襲名。