小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 197… 小野 茂樹(おの しげき、1936年12月15日 - 1970年5月7日)は、東京都渋谷区出身の歌人。 1955年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部国文学科に進学、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった石本隆一の紹介により前田夕暮系の短歌結社「地中海」に参加し、香川進に師事。1963年に大学を中退し、角川書店や河出書房新社に編集者として勤務する。 1968年に第一歌集『羊雲離散』を刊行し、翌年第13回現代歌人協会賞を受賞。瑞々しさにあふれたやわらかな相聞歌が高く評価された。また、少年期の学童疎開(9歳で長野県に集団疎開し、栄養失調状態で帰京)の経験が作品に濃厚な死の影を落としているとも評される。
角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 20… 角川 照子(かどかわ てるこ、1928年2月14日 - 2004年8月9日)は、東京府渋谷町(現東京都渋谷区)出身の俳人。1949年、角川源義と結婚する(源義は再婚)。のち一男一女をもうけるが、いずれも成人前に亡くなっている。 1949年7月26日に、長男(源義から見ると三男)・道夫を殺害し逮捕される。 1979年、源義創刊の「河」主宰に就任。1987年、『花行脚』により第11回現代俳句女流賞を受賞した。代表句に「さいはての句碑に掛け置く春ショール」(『幻戯微笑』所収)などがあり、格調と叙情を兼ね備えた句風である。 2004年8月9日、荻窪の自宅にて死去した。75歳。墓所は小平霊園。「河」主宰は源義と先妻の息子である角川春樹が継いだ。
阿部 青鞋(あべ せいあい、1914年11月7日 - 198… 阿部 青鞋(あべ せいあい、1914年11月7日 - 1989年2月5日)は、俳人。本名は麗正(よしまさ)。 現在の東京都渋谷区に生まれる。1933年高輪学園卒業。1936年、新興俳句系の「句帖」に参加。1937年渡辺白泉らの同人誌「風」に参加。「螺旋」「動線」を創刊。1940年住谷栄子と結婚。1941年8月に召集を受けるが、大陸で戦病となり11月に解除。1945年岡山県英田郡巨勢村(現・美作市)に疎開、以後33年間同地に居住した。1957年「花実」参加。1958年「俳句評論」参加。1959年受洗。1963年「瓶」(のち「壜」)創刊。「八幡船」参加。同年公務を退き林野協会牧師となる。1969年永田耕衣の初期句集『真風』を編集発行。
小林 康治(こばやし こうじ 1912年11月12日 - 1… 小林 康治(こばやし こうじ 1912年11月12日 - 1992年2月3日)は、東京出身の俳人。 渋谷生まれ。青山学院中等部卒。1938年、根岸麦寸の「燈影会」で俳句を学ぶ。1940年、「鶴」に入会し石田波郷に師事。1943年応召、1945年傷病兵として帰還。1953年、「鶴」復刊号発表の「四季貧窮」48句にて注目を浴びる。同年「鶴」同人、第1回鶴俳句賞受賞。1963年、『玄霜』にて第3回俳人協会賞受賞。1974年、「泉」を創刊・主宰。1980年、「泉」を辞し「林」を創刊・主宰。代表句「たかんなの光りて竹となりにけり」他。波郷の唱導する韻文精神を尊重し骨格のたしかな句を詠んだ。句集に『四季貧窮』『玄霜』『華髪』『叢林』『存念』『虚実』など。