稲田 浩司(いなだ こうじ、1964年3月14日 - )は、… 稲田 浩司(いなだ こうじ、1964年3月14日 - )は、日本の漫画家。男性。東京都荒川区日暮里出身。 主に集英社の『週刊少年ジャンプ』、『月刊少年ジャンプ』(現在は月刊少年ジャンプの後継誌の『ジャンプSQ』)で執筆している。代表作は漫画原作者の三条陸とのコンビによる『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』、『冒険王ビィト』。 1985年、「ルージュ・マジック」でデビュー。1987年、「クソッタレだぜェ!!」(『週刊少年ジャンプ』52号掲載)で本誌デビュー。1989年45号より『週刊少年ジャンプ』にて「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」(原作:三条陸、監修:堀井雄二)を連載、1996年52号で終了。
いまい かおる(1951年9月22日 - )は、日本の漫画家… いまい かおる(1951年9月22日 - )は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。出身校は第二瑞光小学校。女性。本名は今井薫。兄弟は、兄、弟。 もともと漫画を描くことが大好きな少女で、漫画好きの兄愛読書の「少年サンデー」「少年マガジン」などを見ているうちに漫画が好きになった。「物心ついたときから、女の子やお姫さまのいたずら描きをしていました。小学校入学時には、生活の一部になっていました。ノート、本の余白なんかに描きましたね」 中学生時代より、鈴木光明が主催し顧問をしていた漫画同人誌に参加をしていた。高校卒業後三越の紳士靴売り場に就職し、その在職中に新人発掘用単行本に採用掲載された「アニキの初恋」が漫画家としてのデビュー作となった。
楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1… 楠 勝平(くすのき しょうへい、1944年1月17日 - 1974年3月15日)は、日本の漫画家。東京都荒川区出身。本名:酒井 勝宏。 市井の人々の哀歓を描き、わずか30歳で夭折した劇画作家として知られる。代表作に『おせん』『彩雪に舞う…』がある。 東京都荒川区で、看板の書き文字職人の家に生まれた。中学生の頃から同級生の雨森豪、平野あきらと漫画を描き始める。1957年、近所の貸本屋で長井勝一を紹介され三洋社に出入りするようになる。渡辺美千太郎の元でアシスタントとして修行した後、1960年『剣豪画集』(三洋社)より「必殺奥義」で貸本漫画デビュー。『忍法秘話』(三洋社)や『群狼』(第一プロ)といった貸本短編誌に執筆し、辰巳ヨシヒロらと交友を持つ。
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきや… ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年〈昭和18年〉4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の漫画家。 1943年、東京都の日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は腕のいい朝鮮人の造花職人だった。第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開した。10歳のとき父親が事業に失敗し足利市へ転居。極貧生活を経験する。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した。 高校への進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京し、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。
一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2… 一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2020年11月27日)は、日本の漫画家。本名:寺田 国治(てらだ くにはる)。 東京都荒川区出身。敗戦を疎開先の福島県石川町で迎える。絵物語作家、岡友彦(歌川大雅)の弟子を経て、1956年に『なぞのからくり屋敷』(「てらだくにじ」名義)でデビュー。 1960年代から1970年代にかけて、多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけており、特にピー・プロダクションの作品の大半を漫画化している。中でも『スペクトルマン』への思い入れは強く、1999年に角川書店から復刻された単行本に加筆を施したり、2006年には後日談を発表したりしている。 2005年、『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
浅沼 ひろゆき(あさぬま ひろゆき)は、日本の漫画家。 東京… 浅沼 ひろゆき(あさぬま ひろゆき)は、日本の漫画家。 東京都荒川区東尾久に生まれ、西尾久で育つ。小学生のころから漫画を描くことが好きだった浅沼だが、高校を中退し、千代田工科芸術専門学校漫画科に入学した時には「夢よりも現実を考える年齢」であったため、「漫画家になれるとは本気で思ってなかった」。サラリーマンになりたくないと考えた浅沼は、ホストクラブの面接を受ける。しかし面接で衣服を自分で揃えるよう言われ、金がなかった浅沼は、賞金を目当てに4コマ漫画新人賞に応募した。その応募作「少年とニワトリ」で第7回谷岡ヤスジ賞で大賞を受賞。その後仕事の注文が殺到したため、ホストクラブではなくプロの漫画家として活動する。