矢澤 宏太(やざわ こうた、2000年8月2日 - )は、東… 矢澤 宏太(やざわ こうた、2000年8月2日 - )は、東京都町田市出身のプロ野球選手(投手、外野手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 5歳の頃から町田リトルで野球を始め、中学時代は町田シニアに所属していた。 藤嶺学園藤沢高等学校に進学し、1年夏からベンチ入り。同年秋からエースとなり、投手と外野手を兼ねる二刀流として活躍した。高校時代は神奈川大会ベスト8が最高成績で、甲子園大会出場はなし。3年夏は南神奈川大会準々決勝で横浜創学館に延長の末、敗れた。投手としては最速149km/h、打者としては高校通算32本塁打を記録した。プロ志望届を提出したが、2018年のドラフト会議での指名はなかった。
足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は… 足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務める。 小山田小3年生から「町田ライオンズ」で投手として野球を始めた。小山田中軟式野球部時代から捕手に転向した。 中学時代は小山田中軟式野球部の他、軟式野球チーム「北斗クラブ」でも正捕手を務め、3年秋には町田市少年野球連盟秋季大会中学生の部決勝にて決勝適時打をレフトに放ち優勝に貢献した。 桜美林高では2年生から「4番・捕手」として活躍し、キャプテンも務めた。2年秋には都大会で準優勝したものの甲子園への出場経験はない。 神奈川大では2年次からレギュラーとなり、4年次ではキャプテンを務めた。
荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は… 荻野 忠寛(おぎの ただひろ、1982年4月26日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(投手)、指導者。右投右打。現役時代は千葉ロッテマリーンズに所属し、リリーフとして活躍。退団後は社会人野球の日立製作所硬式野球部に所属していた。 現役時代のニックネームは、自身の背番号と、リリーフとして無失点に抑える投球から「ミスターゼロ」。 東京都町田市出身。四人兄弟の次男。小学2年生の時に野球を始める。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、2年上に加藤大輔がいた。3年秋には明治神宮大会で初戦から先発し、準決勝では青学大の高市俊と投げ合って完投、決勝でも救援登板したが降板後にサヨナラ負けで準優勝。4年時の2004年には大学選手権に出場して初戦完投勝利し、2回戦で完投も那須野巧(日大)の前に敗戦。
福王 昭仁(ふくおう あきひと、1964年1月10日 - )… 福王 昭仁(ふくおう あきひと、1964年1月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 日大三高では「三高野球部史上最高の遊撃手」と評価され、2年次の1980年からレギュラーの座を勝ちとる。同年の春季関東大会では準決勝に進むが、愛甲猛らのいた横浜高に敗退。夏の甲子園西東京大会は準々決勝で國學院久我山高に惜敗。同年の秋季東京大会は準々決勝に進むが、早稲田実の荒木大輔に完封を喫し、甲子園には出場できなかった。もの静かで温厚な性格、責任感は人一倍強く3年次の1981年には主将を任される。高校卒業後は1982年に明治大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは在学中に2度の優勝を経験。
小山 昭晴(こやま あきはる、1960年12月14日 - 2… 小山 昭晴(こやま あきはる、1960年12月14日 - 2005年11月14日)は、東京都町田市出身のプロ野球選手。1981年に昭治から昭晴に改名した。 日大高では2年次の1977年に秋季関東大会県予選で準決勝へ進むが、武相高に惜敗。 1978年のドラフト3位で横浜大洋ホエールズに入団。遠投120mの強肩で期待されたが、当時の大洋は福嶋久晃、辻恭彦など捕手層が厚く、なかなか出場機会に恵まれなかった。 1985年10月に一軍初出場、初安打を放ち先発出場も経験する。 1987年オフに石川賢との2対1の交換トレードで堀井幹夫と共にロッテオリオンズへ移籍。登録名を小山 昭吉(あきよし)に変更し、同年は袴田英利の控えながら6試合に先発マスクを被る。
田倉 雅雄(たくら まさお、1955年 - )は、東京都町田… 田倉 雅雄(たくら まさお、1955年 - )は、東京都町田市出身の日本の高校野球指導者。東海大学付属相模高等学校元保健体育科教諭。 町田市立堺中学校時代にエースとして活躍。 原貢率いる東海大相模高校に憧れ、入学。3年夏には投手として、甲子園大会に登板。 高校卒業後は東海大に進み、野球部に所属。1976年の大学選手権で日本一を経験している。 高校時代の恩師の原が東海大の監督に就任するのに伴い、東海大の投手コーチに就任。 1979年春からは24歳にして、東海大相模高校の監督に就任。1980年には自身による不祥事(後述)で夏の大会を辞退し、その後一時的に監督から退任。1984年に監督に復帰。1980年、1986年、1988年の春の県大会で優勝。
倉骨 道広(くらほね みちひろ、1952年8月14日 - )… 倉骨 道広(くらほね みちひろ、1952年8月14日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現姓・宇田川。 世田谷工業高等学校では、捕手、三番打者として1970年夏の甲子園都予選5回戦まで進むが、桜美林高に1-2で惜敗。卒業後は東京農業大学に進学。東都大学野球リーグでは二部リーグ2位が最高で、一部昇格はならなかった。 1974年に読売ジャイアンツからドラフト3位指名を受けて入団した。 一軍での出場経験はなく、1977年限りで引退した。