村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月… 村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月21日 - )は、日本の政治家。富山県魚津市長(3期)。 富山県黒部市出身。富山県立富山高等学校卒業。1980年(昭和55年)、東北大学法学部卒業。同年7月、富山県庁に入庁。2007年(平成19年)4月、地域振興課の初代課長に就任。2011年(平成23年)10月、高志の国文学館副館長に就任。2014年(平成26年)4月、生活環境文化部長に就任。 2016年(平成28年)1月15日に富山県庁を退職し、あくる1月16日に、魚津市長選挙に出馬する意向を表明した。 同年4月17日に行われた市長選挙に無所属で出馬。市内の自由民主党支部の役職や新川青年会議所理事長を務めた経験のある沢崎豊を破り、初当選した。
宮腰 光寛(みやこし みつひろ、1950年〈昭和25年〉12… 宮腰 光寛(みやこし みつひろ、1950年〈昭和25年〉12月21日 - )は、日本の政治家。 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)(第4次安倍第1次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、農林水産副大臣(第3次小泉内閣・第3次小泉改造内閣)、農林水産大臣政務官(第1次小泉内閣)、内閣府大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院農林水産委員長、衆議院議員(8期)、富山県議会議員(4期)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。 富山県黒部市生まれ(現住所は黒部市岡)。黒部市立石田小学校、黒部市立白鷹中学校、富山県立桜井高等学校卒業。
大野 久芳(おおの ひさよし、1949年〈昭和24年〉2月2… 大野 久芳(おおの ひさよし、1949年〈昭和24年〉2月27日 - )は、日本の政治家。元富山県黒部市長(1期)。 富山県黒部市出身。1967年(昭和42年)3月、富山県立桜井高等学校卒業。衣料品小売店に就職。1991年(平成3年)2月、黒部市議会議員に初当選。1995年(平成7年)に再選。 1999年(平成11年)4月、富山県議会議員に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2012年(平成24年)、副議長に就任。2016年(平成28年)、議長に就任。 2018年(平成30年)1月12日、任期満了に伴う黒部市長選挙に立候補する意向を表明した。市長選は大野のほか、元市議の川上浩、元市議の川本敏和が立候補。
森丘 覚平(もりおか かくへい、1874年〈明治7年〉5月1… 森丘 覚平(もりおか かくへい、1874年〈明治7年〉5月19日 - 1927年〈昭和2年〉12月1日)は、日本の政治家、富山県多額納税者。衆議院議員(憲政会)。富山県会議員、同議長。富山県政界元老。族籍は富山県平民。勲四等瑞宝章。 富山県下新川郡大布施村(現・黒部市)出身。先代・森丘覚平の長男。1877年、家督を相続した。慶応義塾に学び、1912年に特選。農業を営む。 明治中期から郡会議員、同副議長、次いで富山県会議員、同参事会員、議長を歴任した。1905年2月4日から1906年9月16日まで大布施村長に就任したのを経て、1912年以来衆院議員当選3回。桜庄銀行、生地銀行各取締役、魚津銀行、北陸人造肥料各監査役なども務めた。
漆間 民夫(うるま たみお、1863年7月31日(文久3年6… 漆間 民夫(うるま たみお、1863年7月31日(文久3年6月16日)- 1926年(大正15年)7月26日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。幼名・守太郎。号・履堂、千畝。生地銀行創立者。 越中国新川郡生地村(石川県新川郡生地村、下新川郡生地村、富山県下新川郡生地村、生地町を経て現黒部市生地)で、素封家、酒造業・漆間次郎右衛門の長男として生まれた。1877年(明治10年)岡田呉陽の塾に入門。1883年(明治16年)上京して明治義塾で学び馬場辰猪から薫陶を受けた。 島田孝之、田村惟昌らと自由民権運動に尽力。富山県奨学委員、生地村外4ケ村奨学委員、富山県免囚保護会評議員を務めた。
西田 収三(收三、にしだ しゅうぞう、1854年7月19日(… 西田 収三(收三、にしだ しゅうぞう、1854年7月19日(安政元年6月25日) - 1925年(大正14年)6月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 越中国新川郡舌山新村(のち富山県下新川郡若栗村→桜井町、現・黒部市)出身。漢学と英語を学ぶ。生家は地主で酒造業を営んだ。学務委員、若栗村外二十三ヶ村戸長、同村会議員、下新川郡会議員となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において富山2区から進歩党公認で立候補して当選する。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政本党公認で立候補して再選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1925年に死去した。