琴白山 俊也(ことはくさん としや、1961年6月1日 - … 琴白山 俊也(ことはくさん としや、1961年6月1日 - )は、石川県小松市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は釜野 俊也(かまの としや)。身長183cm、体重131kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東十両4枚目(1990年9月場所)。血液型はO型。 小学生時はサッカー、中学時代は野球部に所属していた。中学卒業直前に後援会の人から佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)を紹介され勧誘された。高校に進学し野球部に所属したものの、以前佐渡ヶ嶽親方の話を聞き相撲に魅力を感じていたので1ヶ月ほどで高校を中退し、佐渡ヶ嶽部屋に入門。1977年5月場所に初土俵を踏んだ(同期に陣岳がいた)。体重がなかなか増えず、三段目、幕下で長く苦労した。
大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25… 大車輪 松五郎(だいしゃりん まつごろう、1949年9月25日 - )は、石川県小松市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は小坂 芳正(おさか よしまさ)。178cm、105kg。最高位は西十両6枚目。得意技は左四つ、寄り。 農家を営む実家に生まれ、丸の内中学校2年生の時に上京して入門し、上京するにあたって両国中学校に転校した。1964年5月場所に初土俵。1973年3月場所に新十両。その場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、幕下へ陥落。幕下に陥落してからもしばらく低迷していたが、1977年3月場所に4年ぶりに十両に復帰する。復帰した場所は8勝7敗と新十両以来となる勝ち越しを決めるが、翌5月場所は3勝12敗と大きく負け越し、再度幕下へ陥落。
出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 -… 出羽ノ花 國市(でわのはな くにいち、1909年3月1日 - 1987年5月30日)は、元大相撲力士。位階は正五位。 石川県能美郡(現:石川県小松市)出身(出生地は東京都江東区)、出羽海部屋に所属した。本名は市川 國一(いちかわ くにいち)(旧姓:駒澤)。 1909年3月1日に東京府南葛飾郡大島町(現:東京都江東区大島)で肥料会社を営む家に生まれ、石川県能美郡(現:石川県小松市)で育つ。既に9歳で体重が60kgに達して怪童と話題になり、実家の得意先の世話で出羽ノ海部屋を紹介された。毎週土曜日には地元の巡査の迎えで部屋に行って関取と相撲を取らせてもらったり、出羽海によって遊びに連れて行ってもらったり、部屋に宿泊する時は豪華な文房具をお土産に貰ったりするなど可愛がられた。
小松山 与三松(こまつやま よさまつ、慶応3年12月14日(… 小松山 与三松(こまつやま よさまつ、慶応3年12月14日(1868年1月8日) - 大正6年(1917年)5月17日)は、加賀国能美郡(現在の石川県小松市)出身で八角部屋に所属した大相撲力士。本名は本田 与三松(ほんだ よさまつ、旧姓:太田)。身長175cm、体重90kg。最高位は西前頭2枚目。養女の夫は元小結鶴ヶ濱(13代玉垣)。 1889年1月幕下附出しで初土俵。1893年1月十両昇進、1893年5月入幕。粘り強い足腰を生かして吊るか打っ棄る取り口。1897年5月横綱小錦を破り、1898年5月にも小錦と預かりの相撲をとる。朝汐に強く、1896年1月、1902年1月に引分、1901年1月、1903年1月に勝利している。
若湊 祐三郎(わかみなと すけさぶろう、1861年12月6日… 若湊 祐三郎(わかみなと すけさぶろう、1861年12月6日(文久元年11月5日) - 1920年9月21日)は、石川県能美郡(現小松市)出身で始め富士ヶ根部屋、伊勢ノ海部屋を経て高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は村田 竹松(むらた たけまつ)一時期岡島姓を名乗ったことがある。最高位は関脇。現役時代の体格は169cm、90kg。得意手は突っ張り。 1888年に入幕。関脇を4場所、小結を6場所務めるなど、17年もの長きにわたり幕内上位を維持。小錦とは大相撲を展開して相撲場を札止めにする人気だった。1893年1月からは東方に回り、小錦、朝汐などと大戸平、大砲、鳳凰、荒岩などの強豪と対決した。1902年(明治35年)5月には40歳ながら当時大関であった2代目梅ヶ谷を倒す殊勲を挙げた。