坂口 茂(さかぐち しげる、1957年(昭和32年)2月25… 坂口 茂(さかぐち しげる、1957年(昭和32年)2月25日 - )は、日本の政治家。石川県輪島市長(2期)。 石川県輪島市出身。1980年徳島大学工学部建設工学科卒。建設会社勤務を経て、1982年旧輪島市役所に入庁。都市整備課長、企画課長、交流政策部長などを歴任した。2013年輪島市副市長に就任。2022年3月、輪島市長選挙に立候補し、元市職員を破って初当選した。2026年3月、輪島市長選挙に立候補し、無投票当選。
梶 文秋(かじ ふみあき、1948年〈昭和23年〉11月4日… 梶 文秋(かじ ふみあき、1948年〈昭和23年〉11月4日 - )は、日本の政治家。石川県輪島市長(4期)、旧輪島市長(2期)、旧輪島市議会議員(2期)を歴任。 石川県鳳至郡輪島町鳳至町(現・輪島市鳳至町)生まれ。1967年3月、石川県立輪島高等学校卒業。民間会社を経て、1971年4月に輪島市役所に採用される。 1991年4月、輪島市議会議員に初当選。1995年、市議に再選。 1998年4月、旧輪島市長に初当選。2002年、再選。 2006年2月1日、旧輪島市と鳳珠郡門前町が合併し、新輪島市が誕生。これに伴って3月19日に行われた市長選に当選。2010年、再選。2014年、無投票により3選。 2018年3月、自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市職員の林平成人を67票差で破り4選(梶:8,389票、林平:8,322票)。
北村 茂男(きたむら しげお、1945年(昭和20年)11月… 北村 茂男(きたむら しげお、1945年(昭和20年)11月8日 ‐ )は、日本の政治家。 環境副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院議員(4期)、衆議院農林水産委員長、第73代石川県議会議長、石川県議会議員(7期)を歴任した。藍綬褒章受章(地方自治功労)。 石川県輪島市出身。石川県立輪島高等学校を経て明治大学経営学部卒業[要出典]。 旧石川2区選出の衆議院議員稲村左近四郎の秘書を経て、29歳の時に石川県議会議員選挙に自由民主党から出馬し初当選。自民党石川県支部連合会会長や幹事長、政調会長、総務会長を歴任した。また県議会運営委員長、石川県議会最大会派「拓政会」の会長を務めた[要出典]。
土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1… 土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1日 - 1967年(昭和42年)6月26日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鳳至郡剱地村(門前町剱地を経て現輪島市門前町剱地)で、土井太郎、ユウ夫妻の三男として生まれる。1915年(大正4年)小学校を卒業し足尾銅山で働く。1919年(大正8年)に上京して芝浦製作所(現東芝)に入社し電気工として務め、友愛会芝浦支部に加わり、1920年の芝浦争議に参加して解雇された。1922年(大正11年)日本労働学校を卒業した。 1925年(大正14年)日本労働総同盟(総同盟)調査部員、1928年(昭和3年)から総同盟調査委員に就任し、1940年(昭和15年)の組織解散まで各地の労働争議を指導した。
大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10… 大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10月1日 - 1979年(昭和54年)9月25日)は日本の政治家。石川県会議員(3期) 1899年10月鳳至郡櫛比村に生まれた。1914年3月櫛比尋常高等小学校高等科を卒業後、1915年1月輪島区裁判所門前出張所所属になり、1919年1月金沢地方裁判所所属の司法書士となった。1925年5月櫛比村会議員選挙に当選。1931年9月立憲民政党に属して石川県会議員選挙に当選、1935年再選され参事会員に選任されていた。1941年11月には副議長となった。副議長には1946年までつとめ県会議員としては1947年までその任にあたった。この間、1941年6月より門前町長として町政をとり1942年10月からは門前花業会長でもあった。
板谷 勘右衛門(いたや かんえもん 1875年9月4日 - … 板谷 勘右衛門(いたや かんえもん 1875年9月4日 - 1941年5月1日)は日本の政治家。 1875年地元の地主である板谷助右衛門の長男として生まれる。新潟商業学校を卒業後農業に従事していたが、1913年剱地村会議員選挙に出馬し当選、さらに鳳至郡会議員、1919年には立憲政友会に属して石川県会議員に当選。その後長らく剱地村長をつとめたのち、長年地方自治に尽くした功績で1939年8月1日紺綬褒章を受章した。1941年5月1日に76歳で死去。きく夫人との間に3男2女がある。 『石川県議会史 第2巻』1968年
百萬 梅治(ひゃくまん うめじ、1858年(安政5年)2月 … 百萬 梅治(ひゃくまん うめじ、1858年(安政5年)2月 - 1896年(明治29年)3月9日)は日本の政治家。衆議院議員(2期) 1858年(安政5年)2月に百萬九右衛門の長男として生まれる。幼名は梅乃助と称し18歳のときに改名した。百萬家は地元の旧家で、梅治は22代目であった。時国小学校を卒業後、輪島師範学校に入り1878年に卒業し東小学校訓導に就任した。1880年(明治13年)4月に金沢へ出て河波有道に漢学を学び1882年に帰郷した。帰郷した後、数々の地元の公職に就き、1885年1月6日に県会議員補欠員に当選した。その後、1886年9月、1889年1月、1891年10月にそれぞれ再選された。
小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 19… 小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 1900年(明治33年)12月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 1843年(天保14年)8月 能登国鳳至郡清水村の藤九郎の次男に生まれる。父は加賀藩の寺社奉行であった。小間は藩校に学び漢学を修め、藩から山廻役を命ぜられていた。廃藩後は養蚕業を営み、製糸工場を経営した。その一方で戸長を務めのちに門前小学校で訓導や珠洲郡書記も務めた。1879年県会議員選挙に鳳至郡選挙区から出馬し当選、以後当選を重ねる。1883年2月には盈進社発起の北陸道有志大懇談会に参加し、1884年の県会では河瀬貫一郎に反対の立場をとったが同志少なく主導権を握ることはできなかった。