杉本 一樹(すぎもと かずき、1995年7月18日 - )は… 杉本 一樹(すぎもと かずき、1995年7月18日 - )は、日本の元空手家。カデット及びジュニアの元日本代表。専門は組手。 山梨県上野原市出身。おかやま山陽高校、京都産業大学卒業。 3歳から空手を始める。中学生で日本代表選手に選出されると2010年のアジアジュニア&カデット空手道選手権大会のカデット男子個人組手52kgで優勝を果たす。翌年のアジア大会でも派遣選手として内定。2011年のアジアジュニア&カデット大会ではジュニア男子個人組手55kgで3位となる。 大学3年間で4か所(鼻骨骨折、指腱断裂、眼窩内壁骨折、前十字靭帯断裂)を怪我し、5度の手術をする。復帰戦で初出場の関西大会+75kg級優勝。
水越 千尋(みずこし ちひろ、1993年1月31日 - )は… 水越 千尋(みずこし ちひろ、1993年1月31日 - )は、山梨放送のアナウンサー。山梨県上野原市出身。山梨県立都留高等学校、早稲田大学卒業。 2015年、山梨放送に入社。同期入社はエリザベス・ハードキャッスル。2019年1月の山梨日日新聞記事で結婚したことを公表。2020年9月2日、担当ラジオ番組『はみだし しゃべくりラジオ キックス』にて妊娠7ヶ月であることを発表し、9月末から産休に入った。12月9日、予定日より6日遅れて第一子となる女の子を出産した。2021年4月に担当ラジオ番組『Bloomin'』にて復帰した。2023年3月をもって担当テレビ番組『やまなしマルシェ』を卒業し、4月より第2子出産のため産休に入った。
立川 光昭(たちかわ みつあき、1976年8月6日 - )は… 立川 光昭(たちかわ みつあき、1976年8月6日 - )は、日本の実業家。 山梨県上野原市出身。教育熱心な両親の意向で中学受験をして東京都内の私立中学校に進学、さらにサッカー選手志望から埼玉県のサッカー名門高校(どの高校か不明)に進んだものの、自営だった両親の家業が不振となったため、都立高校に転校した。しかしサッカーをするには不十分な環境だったことから高校を中退してサッカー選手を目指す。Jリーグチームと契約を結んだが(どのチームかは不明)、19歳の時に膝の負傷により引退する。チーム在籍中は練習生止まりだった。 当人のインタビューではサッカーチームを解雇された後はしばらく職がなく、偶然譲ってもらった廃棄オートバイが売れたことから、中古バイクのリサイクル販売を始め、11店舗にまで成長させたが、経営の基礎を知らないと痛感し、ヘッドハントされる形でイスラエルに本社を置くいわゆるユダヤ系商社に入社した(何という会社かは不明)。
井上 善夫(いのうえ よしお、1941年9月27日 - 20… 井上 善夫(いのうえ よしお、1941年9月27日 - 2019年12月31日)は、山梨県上野原市出身のプロ野球選手(投手)。 日大二高では2年生でエースとなり、1958年秋の東京地区大会決勝に進む。日大三高の千原陽三郎と投げ合い1-0で完封、翌1959年の春の選抜への出場を決める。選抜では、1回戦でこの大会準優勝の県岐阜商に0-9で大敗。県岐阜商には高木守道がいた。同年の夏の選手権にも出場。準々決勝に進出するが、東北高の嶺岸征男、波山次郎両投手の継投の前に2-3で惜敗。8月末からは全日本高校選抜の一員として石黒和弘、朝井茂治らとアメリカ西海岸・ハワイ遠征を果たす。秋の東京国体では決勝で平安高の藤野隆司に投げ勝ち、初優勝を飾った。
大神田 軍治(おおかんだ ぐんじ、1883年(明治16年)7… 大神田 軍治(おおかんだ ぐんじ、1883年(明治16年)7月30日 - 1943年(昭和18年)1月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 山梨県北都留郡巌村(上野原町を経て現上野原市)出身。籍文学舎で漢学を学んだ。 芝区会議員、東京市会議員、同参事会員、同議長、東京府会議員、同参事会員、帝都復興委員長などを経て、1932年(昭和7年)の第18回衆議院議員総選挙で東京1区(当時)から立憲民政党公認で立候補して初当選。同年の東京府会市部会の正副議長選挙では、三木武吉が推薦した者を押しのける形で大神田が推薦した立候補者が当選したため、三木との間で激論を繰り広げた。 1934年(昭和9年)、第2次東京市会疑獄(瓦斯疑獄・市会議長選挙買収事件・市長選挙買収事件)により東京地方裁判所で懲役1年2ヵ月・追徴金6500円の判決を、翌年の控訴審で懲役10ヵ月・追徴金3500円の判決を受け、1936年(昭和11年)の大審院判決で刑が確定。
藤田 胸太郎(ふじた きょうたろう / むねたろう、1867… 藤田 胸太郎(ふじた きょうたろう / むねたろう、1867年4月4日(慶應3年2月30日)- 1927年(昭和2年)2月21日)は、明治後期から昭和初期の実業家・政治家。衆議院議員、山梨県会議長、山梨県北都留郡上野原町長。 甲斐国都留郡松留村(山梨県北都留郡巌村、上野原町を経て現上野原市松留)で、藤田重兵衛の四男として生まれる。 1903年(明治36年)山梨県会議員に選出され3期在任し、同参事会員も務め、1911年(明治44年)県会議長に就任した。その後、上野原町を務めた。 1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙で山梨県第5区から立憲政友会所属で出馬して当選。中央線電化促進などに尽力したが、議員在任中の1927年2月、甲府の旅館で急逝し、衆議院議員に1期在任した。