大城 和恵(おおしろ かずえ、1967年 - )は、日本の医… 大城 和恵(おおしろ かずえ、1967年 - )は、日本の医師、医学博士。専門は循環器内科、山岳医療。日本人初のUIAA/ICAR/ISMM認定国際山岳医。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、日本大学医学部卒業後、日本大学医学部附属板橋病院第1内科に入局。2002年より北海道大野病院勤務。 2009年、北海道大野病院を退職し渡英、英国国立レスター大学留学。2010年、英国にてレスター大学山岳医療修士を取得し、日本人初のUIAA/ICAR/ISMM認定「国際山岳医」となる。ウェブサイト「山岳医療情報」を開設、山岳医療情報を配信(2018年4月に山岳医療救助機構と名称変更)。 2011年、北海道大野病院復職、山岳外来を開設。
北澤功(きたざわ いさお、1966年 - )は、日本の獣医師… 北澤功(きたざわ いさお、1966年 - )は、日本の獣医師、 著述家。 長野県長野市生まれ。1991年、酪農学園大学獣医学科卒業、長野市茶臼山動物園、長野市城山動物園に獣医師として勤務後、2010年、東京都大田区に五十三次どうぶつ病院を開院する。 動物園時代は、チンパンジー、オランウータン、レッサーパンダ、ゾウ、キリンなどの飼育・治療業務に加え、生態を考えた獣舎(日本の森、レッサーパンダ舎)を日本で初めて設計する。また、親が子育てできなかったオランウータン、チンパンジー、レッサーパンダ、ツキノワグマ、コウモリ、サンショウウオ、ムササビ、フクロウを親代わりに育てていた。 ハクバサンショウウオの飼育下で初めての繁殖に成功。
彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出… 彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出身の神経科学者、医師。アメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) 所属。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1973年に東京大学大学院から医学博士号を取得し、1978年には島津浩の指導下で前庭眼脳幹系の研究により博士号を取得した。同年から東邦大学講師、翌年からは助教授を務めた。その後は1982年までアメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) で博士研究員として研究を行った。 1983年に東邦大学の准教授に就任。1988年、生理学研究所に教授として移籍し、1993年に順天堂大学医学部第一生理学教室教授。2002年以降はアメリカ国立衛生研究所眼科研究所に戻り、感覚運動システムの研究グループリーダーを務めている。
金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)… 金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)は、日本の内科医。専門は、癌化学療法、分子生物学。医学博士。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
秋元 寿恵夫(秋元 壽惠夫、あきもと すえお、1908年3月… 秋元 寿恵夫(秋元 壽惠夫、あきもと すえお、1908年3月13日 - 1994年2月4日)は、医師、著作家。筆名室田 有。 長野県長野市生まれ。一家は旧諏訪藩士の家系。精神医学者秋元波留夫は実兄。旧制東京府立第五中学、旧制第一高等学校卒業後、東京帝国大学医学部医学科で血清学を専攻し、1938年卒業、1943年大学院博士課程修了、医学博士。同年満州国平房の関東軍防疫給水部本部(731部隊)に加わった。 戦後は東京民主医療機関連合会結成に参加。1949年、臨床検査法の確立と検査技師の教育・育成を目的とする秋元研究所(1952年より病体生理研究所)を開設。長尾研究所、神奈川保健所勤務を経て、1959年3月-1966年3月横浜市衛生研究所長、1966年4月-1984年5月病体生理研究所長、1967年1月新日本臨床検査技師学校長。
秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2… 秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2007年4月25日)は、日本の医学者・精神科医。 長野県長野市出身。一家は旧諏訪藩士の家系。3歳時に一家で上京。旧制京華中学、1925年旧制松本高等学校理科甲類を卒業、1929年東京帝国大学(後の東京大学)医学部卒業。その後北海道帝国大学(後の北海道大学)医学部助手に就任。その後、東京帝国大学医学部副手、同学部講師、旧制金沢医科大学(後の金沢大学医学部)教授を経て1958年に東京大学医学部教授に就任した。1936年医学博士(北海道大学)。論文の題は「失行症本質論 」。 長く日本の精神医学界の権威として活躍。帝銀事件に関して、平沢貞通の有罪の証拠とされた精神鑑定の結果を誤りであると指摘し注目を集めた。