岡田 浩樹(おかだ ひろき、1962年 - )は、日本の文化… 岡田 浩樹(おかだ ひろき、1962年 - )は、日本の文化人類学者。学位は、博士(文学)(総合研究大学院大学)。神戸大学教授。東アジア、特に韓国・朝鮮半島の研究調査から、近代化、グローバル化における社会・文化の再編成の問題、特に移民、移住者、社会の多文化化の問題、地方地域社会の変容の問題にとりくみ、日本、ベトナム、ブラジルへフィールドを広げている。さらには宇宙開発(先端科学技術)と社会・文化の問題(宇宙人類学)についても業績を残している。岐阜県高山市生まれ。 1962年岐阜県高山市生まれ、1980年に岐阜県立斐太高等学校卒業、1986年に金沢大学文学部(文化人類学)を卒業し、1991年に広島大学大学院博士前期課程社会科学研究科を修了した。
村尾 信尚(むらお のぶたか、1955年〈昭和30年〉10月… 村尾 信尚(むらお のぶたか、1955年〈昭和30年〉10月1日 - )は、日本の経済学者、関西学院大学教授、シナネンホールディングス取締役、ジャパン・プラットフォーム顧問。 元財務官僚で、大蔵省主計局総務課課長補佐、三重県総務局長、大蔵省主計局主計官、日本テレビ『NEWS ZERO』メインキャスター等を歴任。 岐阜県高山市出身。実父は郵政省技官を経て、妻の実家に養子入りし、高山で製材業を営んでいた。岐阜県立斐太高等学校を経て、1978年3月に一橋大学経済学部卒業。大学ではスキー部に所属。 1978年4月に大蔵省に入省。同期入省に真砂靖(財務事務次官、主計局長、大臣官房長)、古谷一之(内閣官房副長官補、国税庁長官)、中尾武彦(アジア開発銀行総裁、財務官)、鈴木正規(AFSコーポレーション会長、イオン銀行会長、環境事務次官、環境省大臣官房長)、中島秀夫(公正取引委員会事務総長)、大久保和正(武蔵野大学教授)、木村嘉秀(関東財務局金融安定監理官)らがいる。
瀬川 信久(せがわ のぶひさ、1947年12月22日 - )… 瀬川 信久(せがわ のぶひさ、1947年12月22日 - )は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1986年)。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。日本学士院会員。岐阜県高山市出身。 略歴は以下のとおり。 この他に、適格消費者団体 認定NPO法人消費者支援ネット北海道の初代理事長も務めた。 司法試験考査委員、法制審議会委員を歴任。 不動産附合法の研究にはじまり、借地法、不法行為法、金融法のほか、消費者法、知的財産法までも研究対象としている。また、法解釈方法論についても多数の研究業績をあげている。 日本学士院は、「民法の解釈論・立法論が依るべき基礎の構築に貢献した」と、同人の業績を評価した。
菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、… 菱村幸彦(ひしむら ゆきひこ、1934年11月9日- )は、日本の元文部官僚、教育行政学者、教育評論家。 岐阜県高山市出身。1959年京都大学法学部卒。文部省に入り、教科書検定課長、高等学校教育課長、初等中等教育局審議官を経て、1988年総務審議官、初等中等教育局長。1991年退任、放送大学学園監事、1993年国立教育研究所長。駒場東邦中学校・高等学校長、学校法人清真学園理事長、財団法人学習ソフトウエア情報研究センター理事長を歴任した。日本図書教材協会会長。
中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日… 中田武司(なかだ たけし、1934年10月13日- )は、日本の国文学者、専修大学名誉教授。 岐阜県高山市生まれ。1957年國學院大学文学部卒業、1959年同大学院国文学博士課程満期退学、1973年「王朝歌物語の研究」で文学博士の学位を取得。1966年専修大学文学部助教授、教授、理事・評議員。2004年定年退職、名誉教授。「武田祐吉博士記念賞」受賞。中古の和歌・物語が専門。
牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月2… 牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月20日 - 1970年(昭和45年)4月18日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は法学博士(1914年)。東京帝国大学名誉教授。東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。穂積陳重に師事。弟子に正木亮、小野清一郎、土本武司など。 1878年、岐阜県大野郡(現・高山市)の旅館主の家に生まれる。岐阜県立斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科に入学。穂積陳重から法律進化論を、梅謙次郎から自然法を、富井政章から比較法を学んだ。1903年に銀時計受領して卒業。1910年から、ドイツ、イギリス、イタリアに留学し、ベルリン大学では、リスト、フェリに師事し、1913年に帰国。
垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1… 垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1952年8月25日)は、日本の国語教育学者・国文学者。 岐阜県高山市出身。旧姓は代情(よせ)。6歳で分家の垣内雲嶙の養嗣子となった。1903年東京帝国大学国文科卒。 東京帝国大学講師、東京女子高等師範学校教授、1919年ヨーロッパ外遊、1920年東京高等師範学校講師、1924年教授。のち東洋大学教授。 筆名として「まつみ」とも読ませた[要出典]。墓所は雑司ヶ谷霊園。 垣内は国学を研究すると同時に、言語学・心理学・現象学といった西洋諸科学とを止揚する学術体系の構築を目指し、生涯をかけてこれに取り組んでいるが、その渉猟する学術領域の広さ、探究する対象群の深さ、そして独創的な発想と理想の高さは、いずれにおいても他の追随を許さないものとなっている。