スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森林 永理奈(もりばやし えりな、1988年〈昭和63年〉1… 森林 永理奈(もりばやし えりな、1988年〈昭和63年〉12月16日 - )は日本のタレント、女優。以前は森林恵理奈の名前で活動していた。 岐阜県高山市出身。岐阜県立斐太高等学校卒業。身長159cm。血液型はA型。特技はスキー。 芸能界に憧れ始めたのは小学3年生の時で、その頃から オーディションを受け始めた。月刊『De☆View』(オリコン・エンタテインメント)2001年6月号に掲載されていた「映画俳優特別オーディション」に応募して、芸能事務所のZONEに合格。初仕事はフォトブック『キスしていいですか。』の撮影とトレーディングカードの撮影。 (株)サンミュージック所属。1児の母。
川内 侑子(かわうち ゆうこ、1985年5月24日 - )は… 川内 侑子(かわうち ゆうこ、1985年5月24日 - )は、日本の女子長距離走・マラソン選手。旧姓・水口(みずぐち)。岐阜県高山市出身。三重大学教育学部スポーツ健康科学コース卒業。1児(長男)の母。 岐阜県立斐太高等学校時代には1500mと3000mでインターハイに出場。三重大入学後に実力が開花し、大学3年次には日本学生女子ハーフマラソン選手権で優勝。 大学4年次の日本インカレでは10000mで4位入賞。2008年には、ニューカレドニア国際マラソンに参加し、後に夫となる川内優輝と出会った。 大学卒業後は実業団のデンソーに10年間所属。 2010年に日本代表として、世界クロスカントリー選手権に出場したほか、 2013年 - 2015年のクイーンズ駅伝では主要区間を担い、チームの3連覇に貢献した。
谷澤 智文(たにざわ ともふみ、1981年9月24日 - )… 谷澤 智文(たにざわ ともふみ、1981年9月24日 - )は、日本のシンガーソングライター。本名は同じで、2013年までの旧芸名はカタカナ表記の「タニザワ トモフミ」。 岐阜県飛騨市神岡町出身。身長185cm。 15歳からギターを始め、間もなく自作曲の制作を開始。 2000年4月には大学進学とともに上京し、2001年6月にバンド「パンプ・ストック」を結成した。 2002年の春に大学を中退する。精力的なライブ活動、自主制作盤を2枚発売したのち、2002年11月にバンドを解散し、「タニザワ トモフミ」として、ソロ活動を始める。 2003年からは FIRST AID NETWORK に所属し、渡辺等のプロデュースにより2004年に1stミニアルバム『陽炎』、同じく2005年に2ndミニアルバム『七色』を発表。
谷澤智文(たにざわともふみ、1981年9月24日 - )は、… 谷澤智文(たにざわともふみ、1981年9月24日 - )は、日本のシンガーソングライター。2013年までの旧芸名は「タニザワトモフミ」。
ちゅうえい(1978年7月29日 - )は、日本のお笑いタレ… ちゅうえい(1978年7月29日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。お笑いコンビ・流れ星☆のボケ担当。本名は中島 仲英(なかしま ちゅうえい)。 岐阜県下呂市出身。相方はたきうえ。浅井企画所属。 岐阜県立斐太高等学校で瀧上伸一郎(現:たきうえ)と出会う。高校の文化祭で他の同級生とネタを披露した。 東京で予備校生を送った後、拓殖大学に進学。 2000年、大学在学中に瀧上と流れ星を結成。 2013年12月18日、一般女性と入籍していたことを発表。 2019年2月22日、第1子女児が誕生したことを報告。
米澤 穂信(よねざわ ほのぶ、男性、1978年 - )は、日… 米澤 穂信(よねざわ ほのぶ、男性、1978年 - )は、日本の小説家。岐阜県出身。岐阜県立斐太高等学校、金沢大学文学部卒業。 物心ついた頃から漠然と作家業を志すようになる。11歳でH・G・ウェルズ『宇宙戦争』の続篇という形で二次創作を書き、中学2年生あたりからオリジナルの小説を書き始めた。金沢大学文学部の2年生から、ウェブサイトでネット小説サイト「汎夢殿」(はんむでん)を運営し、作品を発表し始める(デビューが決まった後「汎夢殿」は一旦閉鎖され、これらの作品は現在読むことが出来ない)。様々な種類のエンターテイメント作品を書いていたが、大学時代に北村薫の『空飛ぶ馬』、『六の宮の姫君』(東京創元社、1992年)を読み衝撃を受け、ミステリーへの方向性を決める。
都竹 悦子(つづく えつこ、1977年3月17日 - )は中… 都竹 悦子(つづく えつこ、1977年3月17日 - )は中京広域圏を拠点に活動するディスクジョッキー、CMナレーター、イベントMC、心理学コミュニケーター。岐阜県高山市出身。岐阜県立斐太高等学校、立教大学文学部ドイツ文学科卒業。 大学在学中にイギリスへの交換留学を経験。卒業後地元のコミュニティ放送局『Hits FM』での活動を経て、2001年にZIP-FMのDJオーディション「第7回ミュージック・ナビゲーターコンテスト」で準グランプリを獲得し、同年4月より同局のミュージック・ナビゲーターとなった。2015年3月末をもって、ZIP-FMを卒業することが発表された。 2014年、NPO法人日本次世代育成支援協会認定・心理カウンセラーに。
下手 大輔(しもて だいすけ、1976年 - )は、日本の… 下手 大輔(しもて だいすけ、1976年 - )は、日本の映画監督、脚本家。岐阜県生まれ。 日本大学藝術学部、早稲田大学大学院で映画を学び、早稲田大学大学院客員研究員として小津安二郎と日本映画の国際化について研究をする。 2012年、長編映画『はなればなれに』でデビュー。同作品において、第25回東京国際映画祭 日本映画・ある視点部門、第8回大阪アジアン映画祭、第15回台北映画祭International New Talent Competition部門(台湾)、イーストエンド映画祭Best Feature Competition部門(イギリス・ロンドン)、ハイファ国際映画祭(イスラエル)、ペタルーマ国際映画祭(アメリカ)、ワルシャワ国際映画祭 Competition 1-2部門(ポーランド)、ヒホン国際映画祭Rellume部門(スペイン)など多数出品。
中西 忠司(なかにし ただし 1973年(昭和48年) … 中西 忠司(なかにし ただし 1973年(昭和48年) - )は、TBSテレビ技術本部美術センター美術デザイン部所属のデザイナー兼美術プロデューサー。テレビ番組やイベント、舞台美術のセットデザイン、プランニングが主務。岐阜県高山市出身。岐阜県立斐太高等学校卒業。1997年に日本大学芸術学部インダストリアルデザイン科卒業後、TBSに入社。 新国立劇場で行われた、輝く!日本レコード大賞2004で、第32回 伊藤熹朔賞本賞受賞
清水 イチロウ(しみず イチロウ、1971年12月25日 -… 清水 イチロウ(しみず イチロウ、1971年12月25日 - )は、日本の飲食店経営者、俳人。 岐阜県高山市出身、岐阜県立斐太高等学校、早稲田大学卒業。血液型AB型。 姉はタレントの清水ミチコ。 実家は1969年に開店した高山市初のジャズ喫茶。自身は東京で映画監督を目指していたが、従業員不足により実家に呼び戻され、そのまま後を継いだ。 細野晴臣や高田渡のモノマネをこなす。細野のモノマネは細野本人にも気に入られており、細野や矢野顕子、姉ミチコのコンサートにたびたびゲスト出演をしている。矢野顕子の40周年記念コンサートでは、細野晴臣役として姉と共に出演した。 小学校のときのあだ名は、いっちゃん。中学校、高校ではハンドボール部に所属しておりエースだった。
都竹 淳也(つづく じゅんや、1967年〈昭和42年〉3月2… 都竹 淳也(つづく じゅんや、1967年〈昭和42年〉3月2日 - )は、日本の政治家。岐阜県飛騨市長(3期)。 岐阜県古川町(現・飛騨市古川町弐之町)出身。実家は大正時代から続く自転車店。古川町立古川小学校、古川町立古川中学校卒業。1985年(昭和60年)3月、岐阜県立斐太高等学校卒業。1989年(平成元年)3月、筑波大学第一学群社会学類卒業。同年4月、岐阜県庁に入庁。1994年(平成6年)10月、自治体国際化協会に派遣される。1999年(平成11年)4月、知事公室秘書課に異動。2001年(平成13年)4月、梶原拓知事の随行・政策秘書となる。2005年(平成17年)2月、古田肇知事の随行秘書となる。
岡田 浩樹(おかだ ひろき、1962年 - )は、日本の文化… 岡田 浩樹(おかだ ひろき、1962年 - )は、日本の文化人類学者。学位は、博士(文学)(総合研究大学院大学)。神戸大学教授。東アジア、特に韓国・朝鮮半島の研究調査から、近代化、グローバル化における社会・文化の再編成の問題、特に移民、移住者、社会の多文化化の問題、地方地域社会の変容の問題にとりくみ、日本、ベトナム、ブラジルへフィールドを広げている。さらには宇宙開発(先端科学技術)と社会・文化の問題(宇宙人類学)についても業績を残している。岐阜県高山市生まれ。 1962年岐阜県高山市生まれ、1980年に岐阜県立斐太高等学校卒業、1986年に金沢大学文学部(文化人類学)を卒業し、1991年に広島大学大学院博士前期課程社会科学研究科を修了した。
田中 明(たなか あきら、1961年〈昭和36年〉2月14日… 田中 明(たなか あきら、1961年〈昭和36年〉2月14日 - )は、日本の政治家。岐阜県高山市長(1期)。 高山市出身。岐阜県立斐太高等学校、東海大学文学部卒業後、商社の日邦産業株式会社勤務を経て、1987年に高山市役所に入庁し、企画部長、海外戦略部長を務めた。2021年に市役所を定年退職し、同年4月にインバウンド誘客事業を手がける旅行会社「シージェット」を立ち上げたほか、2022年5月からは飛騨・高山観光コンベンション協会専務理事を務めた。 2022年6月、高山市長の國島芳明が、同年8月21日告示・28日投開票の市長選に立候補しない意向を表明。翌7月には地元の自民党関係者から出馬要請を受けた田中が立候補の意向を固め、同30日に正式に出馬を表明した。
上林 三子雄(かんばやし みねお、1960年12月 - )は… 上林 三子雄(かんばやし みねお、1960年12月 - )は、日本の公認会計士である。EY新日本有限責任監査法人シニアパートナー。 全世界で250カ所以上訪問している。 日本の鉄道の約99%に乗ったことがある。また、世界30カ国の鉄道に乗ったことがある。 特にアントニン・ドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの第九はよくコンサートに行く。 秩父宮ラグビー場に年10回以上行く。
茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )… 茂住 修身(もずみ おさみ、1956年〈昭和31年〉 - )は、日本の書家・内閣府職員。号は菁邨(せいそん)。 岐阜県吉城郡古川町(現・飛騨市古川町)にて生まれ育つ。1974年(昭和49年)、岐阜県立斐太高等学校卒業。1980年(昭和55年)、大東文化大学経済学部経済学科卒業。 大学時代は書道学科ではなく経済学部に在籍し、書道部に入部して部長を務めた。元々書道を志して入学したわけではなく「たまたま入部して書道という好きなものを見つけてしまった」と述べている。 1980年(昭和55年)4月、総理府(現、内閣府)に入府、2005年(平成17年)内閣府大臣官房人事課辞令専門官となる。これまでに国民栄誉賞の賞状や内閣総理大臣表彰の揮毫(手書きの筆文字の指導)のほか辞令などを担当し、2016年(平成28年)3月に定年退職。
村尾 信尚(むらお のぶたか、1955年〈昭和30年〉10月… 村尾 信尚(むらお のぶたか、1955年〈昭和30年〉10月1日 - )は、日本の経済学者、関西学院大学教授、シナネンホールディングス取締役、ジャパン・プラットフォーム顧問。 元財務官僚で、大蔵省主計局総務課課長補佐、三重県総務局長、大蔵省主計局主計官、日本テレビ『NEWS ZERO』メインキャスター等を歴任。 岐阜県高山市出身。実父は郵政省技官を経て、妻の実家に養子入りし、高山で製材業を営んでいた。岐阜県立斐太高等学校を経て、1978年3月に一橋大学経済学部卒業。大学ではスキー部に所属。 1978年4月に大蔵省に入省。同期入省に真砂靖(財務事務次官、主計局長、大臣官房長)、古谷一之(内閣官房副長官補、国税庁長官)、中尾武彦(アジア開発銀行総裁、財務官)、鈴木正規(AFSコーポレーション会長、イオン銀行会長、環境事務次官、環境省大臣官房長)、中島秀夫(公正取引委員会事務総長)、大久保和正(武蔵野大学教授)、木村嘉秀(関東財務局金融安定監理官)らがいる。
今井 康雄(いまい やすお、1955年 - )は、日本の教育… 今井 康雄(いまい やすお、1955年 - )は、日本の教育学者。日本女子大学人間社会学部教授、東京大学名誉教授。専門は教育哲学。 1955年岐阜県生まれ。1973年岐阜県立斐太高等学校卒業。1977年広島大学教育学部教育学科卒業。1982年広島大学大学院教育学研究科教育学専攻博士課程単位取得退学。1994年「ヴァルター・ベンヤミンの教育思想 -メディア概念と教育との関係を中心として」で博士(教育学)の学位を取得。ドイツ・ゲッティンゲン大学にてクラウス・モレンハウアーに師事。さらに、ハノーファー大学、ベルリン自由大学にも留学経験あり(客員研究員)。 1984年広島大学教育学部専任講師、1987年東京学芸大学教育学部専任講師、1990年同助教授、1997年東京都立大学人文学部助教授、2000年東京大学大学院教育学研究科助教授、2007年同教授。
津田 弥太郎(つだ やたろう、1952年5月5日 - 202… 津田 弥太郎(つだ やたろう、1952年5月5日 - 2026年4月6日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)で、参議院厚生労働委員長、厚生労働大臣政務官(野田内閣・野田改造内閣・野田2次改造内閣)などを務めた。 岐阜県大野郡丹生川村生まれ。岐阜県立斐太高等学校、神奈川大学法学部卒業後、ゼンキン連合(現・JAM)に入局し、本部副書記長を経て、2004年の第20回参議院議員通常選挙で比例区から初当選。2010年7月の第22回参議院議員通常選挙で再選。労組専従からの典型的な連合組織内候補であった。 2015年1月に行われた民主党代表選挙では、元幹事長・細野豪志の推薦人に名を連ねた。 2016年の第24回参議院議員通常選挙には出馬せず、任期限りで政界を引退。
西尾 章治郎(にしお しょうじろう、1951年〈昭和26年〉… 西尾 章治郎(にしお しょうじろう、1951年〈昭和26年〉10月20日 - )は、日本のコンピュータ科学者。主な研究内容は、データベース・マルチメディア工学・分散システム。学位は、工学博士(京都大学・1980年)。大阪大学工学部教授等を経て、第18代大阪大学総長。 その他、官庁、地方自治体等の多数の役職を歴任している。
国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和… 国島 芳明(國島 芳明、くにしま みちひろ、1950年〈昭和25年〉1月15日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元岐阜県高山市長(3期)。 岐阜県高山市西町出身。高山市立南小学校、高山市立松倉中学校、岐阜県立斐太高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、愛知大学法経学部法学科卒業。同年4月、高山市役所に入庁。 2008年4月、高山市副市長に就任。 2010年の高山市長選で、市長の退職金廃止、副市長を2人から1人に削減、斎場建設の着手、JR高山駅西側の総合交流センター計画の見直しなどを公約に掲げ、前市長が推した対立候補を破って初当選した。 2022年5月28日、同年8月に予定されている市長選挙に「持つべき集中力や胆力といった資質を次の4年間も持ち続けられないと判断した」として立候補しない意向を表明した。
杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )… 杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )は、日本の数理工学者。東京大学名誉教授。明治大学先端数理科学インスティテュート研究特別教授。 1948年岐阜県高山市生まれ。高山市立西小学校、高山市立中山中学校、岐阜県立斐太高等学校を経て、1971年東京大学工学部計数工学科卒業、1973年東京大学大学院工学系研究科計数工学専門課程修士課程修了、工学部助手、7月通商産業省電子技術総合研究所研究官、1980年東京大学より工学博士の学位を取得。1981年名古屋大学工学部情報工学科助教授、1986年東京大学工学部助教授、1991年教授、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻教授、2009年4月より明治大学研究・知財戦略機構特任教授。
瀬川 信久(せがわ のぶひさ、1947年12月22日 - )… 瀬川 信久(せがわ のぶひさ、1947年12月22日 - )は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1986年)。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。日本学士院会員。岐阜県高山市出身。 略歴は以下のとおり。 この他に、適格消費者団体 認定NPO法人消費者支援ネット北海道の初代理事長も務めた。 司法試験考査委員、法制審議会委員を歴任。 不動産附合法の研究にはじまり、借地法、不法行為法、金融法のほか、消費者法、知的財産法までも研究対象としている。また、法解釈方法論についても多数の研究業績をあげている。 日本学士院は、「民法の解釈論・立法論が依るべき基礎の構築に貢献した」と、同人の業績を評価した。
谷口 智治(たにぐち ともはる、1947年1月1日 - )は… 谷口 智治(たにぐち ともはる、1947年1月1日 - )は、日本の実業家、社会活動家。全国経営者団体連合会(全経連)理事長。岐阜県高山市出身。 岐阜県立斐太高等学校を経て、大阪商業大学を卒業。大学卒業後、マックスファクターに入社。営業現場で1年間、徹底した対面調査と販売の実践を積み、相手に喜んでもらうことを優先する「ゴールデン・ルール」を身につける。 1975年、社会人の自己啓発・能力開発を目的とした株式会社にじゅういちを設立し、代表取締役に就任。 1983年、野田一夫(多摩大学名誉学長)らと共に、異業種交流や経営者教育を目的とした任意団体「全国経営者団体連合会」を設立し、事務局長に就任。現在は同団体の理事長を務める。
真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、194… 真崎 守(まさき もり、本名:森 柾(もり まさき)、1941年3月10日 - )は、日本の漫画家、アニメーション映画の演出家、脚本家、監督。 神奈川県横浜市生まれ。5歳で岐阜県高山市に移る。ディズニー、フライシャーといった短編アニメや杉浦茂、手塚治虫などの漫画作品、貸本劇画などに没頭する少年時代を過ごす。 1959年に岐阜県立斐太高等学校卒業。様々な職業に就いた後に、1960年に劇画短編誌『街』(セントラル文庫)に『雨の白い平行線』『暗い静かな夜』が掲載されて貸本漫画家デビュー。だが、漫画家を続ける意思を持てず1963年に虫プロダクションに入社、『佐武と市捕物控』などのTVアニメーションの演出に携わる。
高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - … 高井 和伸(たかい かずのぶ、 1940年12月13日 - 2025年7月30日)は日本の元政治家、弁護士。元連合参議院参議院議員(1期)。愛知県名古屋市出身、岐阜県久々野町(現高山市)育ち。 岐阜県立斐太高等学校卒業後、名古屋中央郵便局にて働きながら愛知大学法経学部二部を卒業。郵政大学校本科などを経て、1969年郵政省入省。1974年司法試験合格。1976年司法修習修了(29期)。高知地裁、浦和家裁各判事補を経て、1981年高井和伸弁護士事務所開設。東京弁護士会所属。 1989年第15回参議院議員通常選挙に連合の会公認で岐阜県選挙区より出馬し初当選。以後1期途中まで務める。その後、1993年第43回衆議院議員総選挙岐阜県第2区で日本新党公認で落選。
蓑谷 千凰彦(みのたに ちおひこ、1939年12月 - )は… 蓑谷 千凰彦(みのたに ちおひこ、1939年12月 - )は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は計量経済学。 1939年12月に岐阜県高山市に生まれる。1958年に岐阜県立斐太高等学校、1962年に慶應義塾大学経済学部を卒業する。その後三菱電機株式会社に入社、1965年に退社し慶應義塾大学経済学研究科修士課程に入学する。1967年に修士課程を修了し、1970年に同博士課程を修了する。博士学位は1995年に取得している。1985年から1989年の間には早稲田大学、東京大学、お茶の水女子大学で非常勤講師として勤務している。2005年に慶應義塾大学を定年退職し、日本大学大学院総合科学研究科教授に着任している。
蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 201… 蓑谷 穆(みのたに たかし、1932年10月7日 - 2016年4月17日)は、日本の実業家。株式会社みの谷取締役会長で、高山商工会議所会頭、一般財団法人金森公顕彰会理事長も務めた。 岐阜県出身。岐阜県立斐太高等学校在学中に家業の「みの谷」を継ぎ、1951年に同校を卒業後、1953年に同社代表取締役に就任した。[要出典] 1982年から飛騨高山観光協会(現・飛騨・高山観光コンベンション協会)会長を30年間務めた。観光と商工業が一体となったまちづくりを目指し、高山市の国際観光都市としての発展を推進した[要出典]。 1998年から15年間、高山商工会議所の会頭を務める。 2004年[要出典]、国土交通省が制定した「観光カリスマ百選」に、「外客受入」類型の一人として選任される。
木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年… 木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年8月4日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1964年)。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。 人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。 1931年、朝鮮慶尚南道生まれ。旧制岐阜県斐太中学校、三高を経て、1955年に京都大学医学部卒業。1964年、京都大学より医学博士の学位を取得。
宮川 量(みやかわ はかる、1905年 - 1949年9月3… 宮川 量(みやかわ はかる、1905年 - 1949年9月3日)は、日本の園芸指導者。全生病院国立療養所多磨全生園、国立療養所長島愛生園、沖縄県の国立療養所沖縄愛楽園(初代事務長)、国立療養所星塚敬愛園に勤務した。園内の緑化に努め、また、ハンセン病の歴史を研究した。 1905年1月26日岐阜県高山市の寺に生まれ、後得度した。1922年岐阜県立斐太中学卒業。第三高等学校に受かるも体格検査ではねられる。1927年本間俊平牧師の本に感激、後キリスト教徒になる。1928年千葉県立高等園芸学校卒業。1929年全生病院勤務。全生の5人男の一人として活躍する。農園指導などを行った。1931年国立療養所長島愛生園勤務。
荒垣 秀雄(あらがき ひでお、1903年7月19日-1989… 荒垣 秀雄(あらがき ひでお、1903年7月19日-1989年7月8日)は、昭和期の新聞記者・コラムニスト。岐阜県吉城郡(現在の飛騨市)出身。 1926年、旧制斐太中学(現岐阜県立斐太高等学校)を経て早稲田大学政治経済学部卒業。東京朝日新聞に入社。1930年(昭和5年)に飛行家の東善作がロサンゼルスから東京へ三大陸横断飛行を達成した際には、朝日新聞紙上に連載された本人名義の紀行文のゴーストライターを務めている。その後満州事変の従軍記者として活躍し、1937年のジョージ6世戴冠式に特派され文名を高めた。1939年に東京本社社会部長になる。その後、リオデジャネイロ支局長やマニラ総局長を歴任する。 太平洋戦争終結後の1945年11月に論説委員となり、「天声人語」を17年半にわたって担当してその名を高め、1956年に第4回菊池寛賞受賞(「天声人語」の執筆により)。
古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3… 古池 信三(こいけ しんぞう、1903年(明治36年)4月3日 – 1983年(昭和58年)10月7日)は、昭和期の日本の政治家、官僚。位階は正三位。郵政大臣、国際電信電話(KDD、現KDDI)会長及び社長。 岐阜県大野郡高山町(現高山市)に生まれた。広瀬末吉の二男。古池喜代次郎の養子となった。古池家は清和源氏村上氏流の庶流で、美濃国恵那郡を本拠としていた一族だといわれている。 旧制斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、逓信省に入省する。京都中央電話局加入課長、簡易保険局弁済課長、名古屋逓信局庶務課長、広島逓信局規画課長、電気局検査課長、電力管理準備局評価課長、電気庁第一部監督課長、官房総務課長、総務局需品課長、運輸省官房会計秘書各課長、札幌逓信局長、商工省電力局長、名古屋商工局長などを歴任。
9代 岡村 利右衛門(利右衞門、おかむら りえもん、1900… 9代 岡村 利右衛門(利右衞門、おかむら りえもん、1900年(明治33年)10月29日 - 1965年(昭和40年)12月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。幼名は良守。 岐阜県吉城郡国府村広瀬町(国府町広瀬町を経て現高山市国府町広瀬町)で、8代利右衛門の息子として生まれる。斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)を経て、1928年(大正14年)早稲田大学政治経済科を卒業。その後、アメリカ合衆国に留学し、ベイツ大学、コロンビア大学を経て、ニューヨーク大学大学院を修了しマスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーションの学位を受けた。 逓信省嘱託、牧野良三逓信政務次官秘書官、電気協会(現日本電気協会)弁理課長を経て、1938年(昭和13年)北支那開発に転じたが、終戦により解散となり帰国。
江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12… 江馬 修(えま しゅう、または えま なかし、1889年12月12日 - 1975年1月23日)は、日本の作家。本名の読みは「なかし」で、筆名は「しゅう」とすることが多かったが、一定しない。
牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月2… 牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月20日 - 1970年(昭和45年)4月18日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は法学博士(1914年)。東京帝国大学名誉教授。東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。穂積陳重に師事。弟子に正木亮、小野清一郎、土本武司など。 1878年、岐阜県大野郡(現・高山市)の旅館主の家に生まれる。岐阜県立斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科に入学。穂積陳重から法律進化論を、梅謙次郎から自然法を、富井政章から比較法を学んだ。1903年に銀時計受領して卒業。1910年から、ドイツ、イギリス、イタリアに留学し、ベルリン大学では、リスト、フェリに師事し、1913年に帰国。
垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1… 垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1952年8月25日)は、日本の国語教育学者・国文学者。 岐阜県高山市出身。旧姓は代情(よせ)。6歳で分家の垣内雲嶙の養嗣子となった。1903年東京帝国大学国文科卒。 東京帝国大学講師、東京女子高等師範学校教授、1919年ヨーロッパ外遊、1920年東京高等師範学校講師、1924年教授。のち東洋大学教授。 筆名として「まつみ」とも読ませた[要出典]。墓所は雑司ヶ谷霊園。 垣内は国学を研究すると同時に、言語学・心理学・現象学といった西洋諸科学とを止揚する学術体系の構築を目指し、生涯をかけてこれに取り組んでいるが、その渉猟する学術領域の広さ、探究する対象群の深さ、そして独創的な発想と理想の高さは、いずれにおいても他の追随を許さないものとなっている。
二村 権二郎(ふたむら ごんじろう、1877年〈明治10年〉… 二村 権二郎(ふたむら ごんじろう、1877年〈明治10年〉12月15日 - 1934年〈昭和9年〉10月11日)は、明治時代後期から昭和時代戦前の実業家。 二村治左衛門の二男として岐阜県大野郡清見村大原(現高山市清見町大原)に生まれる。小学校を卒業したのち、斐太中学校に入り、1896年(明治29年)卒業後は苦学を経て、1900年(明治33年)単身で渡米する。米国ではホテルの皿洗いを皮切りに農場経営に携わった。1909年(明治42年)父の危篤を期に帰朝し大阪に移り住み、同郷の岡田喜三蔵の知遇を得て紅商に入社する。同社では孟買支店勤務、同支店長を経て、1926年(大正15年)上海支店長に就任した。
福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3… 福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3日(1869年12月5日) - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の心理学者、超心理学者。東京帝国大学助教授、高野山大学教授。文学博士(1906年)(学位論文「催眠術の心理学的研究」)。念写の発見者とされる。 岐阜県高山市の商家に生まれ、見習い奉公に出されたが商人になることを嫌い、学問に志を立てて猛烈に勉強し、岐阜県斐太尋常中学(現・岐阜県立斐太高等学校)から優秀な成績で旧制第二高等学校に進学した。実家が事業に失敗し学費に困ったが、仙台の資産家・町田真秀が援助し、1899年(明治32年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。さらに同大学院で変態心理学(催眠心理学)を研究し、1906年(明治39年)、「催眠術の心理学的研究」で文学博士の学位を授与された。
可児 徳 は、日本の体育指導者・教育者。東京高等師範学校(現… 可児 徳 は、日本の体育指導者・教育者。東京高等師範学校(現・筑波大学)の教師として校長の嘉納治五郎とともにスポーツの普及に尽力した。また、坪井玄道とともにドッジボールを日本に初めて伝えた人物である。
たむらぱん は、日本の女性シンガーソングライター、田村歩美 … たむらぱん は、日本の女性シンガーソングライター、田村歩美 によるソロプロジェクト。所属レーベルは日本コロムビア。岐阜県高山市国府町出身、岐阜県立斐太高等学校を経て、早稲田大学文学部卒業。身長148cm。
栃本 浩規(とちもと ひろき)は、日本のトランペット奏者。東… 栃本 浩規(とちもと ひろき)は、日本のトランペット奏者。東京藝術大学音楽学部教授。 岐阜県高山市出身。岐阜県立斐太高等学校、名古屋芸術大学卒業。元NHK交響楽団トランペット奏者、飛騨高山ヴィルトーゾオーケストラ顧問、国立音楽大学、名古屋芸術大学各非常勤講師、尚美ディプロマコース講師、聖徳大学講師。 1980年、名古屋芸術大学音楽学部に入学。トランペットを和久田照彦、津堅直弘に師事し、1984年卒業。1985年、東京フィルハーモニー交響楽団に入団。1990年、NHK交響楽団に移籍。1996年、国際ロータリーのスカラシップを得て、ドイツのシュトゥットガルト音楽大学に留学し、H.ヴォルフ、H.ロイビンに師事。