角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1… 角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1月〉 - )は、日本の農家、政治家、銀行家。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられているため、角替 九郎平とも表記される。 静岡県小笠郡土方村会議員、静岡県小笠郡土方村長、株式会社内田銀行頭取などを歴任した。 静岡県小笠郡土方村で農業を営んでいたが、政治家に転身し土方村会の議員に就任した。さらに土方村の村長に就任するなど、公職を歴任した。その後、内田銀行の頭取に就任するなど、銀行家としても活動した。 1866年(旧暦慶応2年1月)に角替九郞次の長男として生まれた。静岡県小笠郡土方村で農業を手広く手掛けており、角替家は豪農として知られていた。
岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、天保10年10… 岡田良一郎(おかだ りょういちろう、雅号淡山、天保10年10月21日(1839年11月26日) - 大正4年(1915年)1月1日)は、日本の農政家、報徳運動家、実業家、政治家、衆議院議員。遠江国報徳社社長、掛川信用金庫(現島田掛川信用金庫)創業者。 二宮尊徳の弟子として報徳思想の普及に尽力し、地域の振興に努めた。 遠江国佐野郡倉真村(現在の静岡県掛川市倉真)出身。雅号の淡山は、掛川にある粟ヶ岳(淡ヶ岳)にちなんでいる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岡田 佐平治(おかだ さへいじ、文化9年7月10日(1812… 岡田 佐平治(おかだ さへいじ、文化9年7月10日(1812年8月16日) - 明治11年(1878年)3月3日)は、幕末-明治時代の農業指導者、報徳運動家。名は清忠。字は至誠。号は無息軒。 遠江国佐野郡倉真村(現:静岡県掛川市)の豪農。15歳で家を継ぐ。二宮尊徳の報徳思想を安居院庄七から学び感銘し、嘉永元年(1848年)居村に牛岡組報徳社を結社。長男良一郎と共に領内の荒地開墾、窮民救済に尽力した。明治8年(1875年)遠江国報徳社を設立し、社長となる。 大正7年(1918年)、従五位を追贈された。
河井 重高(かわい しげたか)は、日本の農家。通称は弥八郎(… 河井 重高(かわい しげたか)は、日本の農家。通称は弥八郎(やはちろう)。 遠江国佐野郡上張村庄屋、掛川藩人夫隊宰領、などを歴任した。 遠江国出身の農家であり、佐野郡上張村の庄屋(名主)を務めていた。掛川城に侵入して減租を直訴したことから、義民としても知られている。異国船の来航に際しては、掛川藩の領民で結成された人夫隊の宰領に任じられ、沿岸警備にも貢献した。 1834年(旧暦天保5年)、遠江国佐野郡上張村にて生まれた。生家である河井家は富農であった。重高は掛川藩により庄屋に任じられ、村政を預ることになった。 安政年間になると、厳しい旱魃をはじめ、地震、台風、洪水、疫病など、さまざまな災害に見舞われるとともに、掛川藩の領内は凶作に陥った。