竹本 幸夫(たけもと ゆきお、1954年〈昭和29年〉2月2… 竹本 幸夫(たけもと ゆきお、1954年〈昭和29年〉2月22日 - )は、日本の政治家。愛知県豊川市長(2期)。 愛知県豊川市出身。豊川市立南部中学校、愛知県立豊橋東高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、立命館大学理工学部卒業。1978年(昭和53年)4月、豊川市役所に入庁。 2007年(平成19年)11月、企画部政策調整監に就任。2008年(平成20年)7月、副市長に就任。 2019年(令和元年)10月6日に行われた豊川市長選挙に自由民主党・公明党の推薦を受けて立候補し、初当選した。投票率は過去最低の33.0%を記録した。10月20日、市長就任。※当日有権者数:148,637人 最終投票率:33.00%(前回比:-4.24pts) 2023年(令和5年)10月1日、任期満了に伴う豊川市長選挙は前回と同じ顔ぶれで竹本と中村の一騎打ちとなり竹本が再選。
山脇 実(やまわき みのる、1944年(昭和19年)9月5日… 山脇 実(やまわき みのる、1944年(昭和19年)9月5日 - )は、日本の政治家。元・愛知県豊川市長(3期)、元・豊川市議会議員(3期)。 愛知県豊川市出身。豊川市立三蔵子小学校、豊川市立東部中学校、愛知県立国府高等学校卒業。1967年(昭和42年)3月、同志社大学経済学部卒業。同年4月、東愛知日産自動車株式会社に就職。1988年(昭和63年)9月、富士火災海上保険株式会社に転職。 1995年(平成7年)4月の豊川市議会議員選挙に出馬し初当選。以後、議員職を3期務める。2004年(平成16年)5月、豊川市議会議長に就任。 2007年(平成19年)9月30日に行われた豊川市長選挙に出馬し初当選。
多田 正見(ただ まさみ、1935年(昭和10年)10月27… 多田 正見(ただ まさみ、1935年(昭和10年)10月27日 - )は、日本の政治家。元東京都江戸川区長(任期:1999年4月27日 - 2019年)。 愛知県豊川市出身。早稲田大学第二政治経済学部卒業。 1956年、東京都に移住。江戸川区役所に入庁。区民部区民課長、政情報室長などを経て、1995年、江戸川区教育長に就任。 1999年4月の江戸川区長選挙に立候補し、宇田川芳雄前東京都議会議員を破り初当選した。4月27日、区長に就任。 2007年、江戸川区長3選、特別区長会会長に就任。2015年、江戸川区長5選。2019年4月26日、任期満了をもって5期20年にわたり務めてきた江戸川区長を引退。
近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、… 近藤 豊(こんどう ゆたか、1935年7月15日 - )は、日本の政治家、外務官僚。元衆議院議員(4期)。 愛知県豊川市出身。1957年、外交官領事官採用試験合格。1958年、東京外国語大学スペイン語科卒業。同年、外務省に入省。アルゼンチン、オランダ、韓国の日本大使館に勤務する。1978年に退官。 1979年の第35回総選挙に旧愛知5区から無所属(公明党・民社党・新自由クラブ・社民連推薦)で立候補して初当選。民社党との統一会派「国民連合」に加入した。以後、1980年の総選挙も、1983年の総選挙も無所属で立候補し当選を果たした。後に会派離脱した。 1986年6月の第38回総選挙では自民党公認で立候補し、落選。
近藤 重三郎(こんどう じゅうさぶろう、1852年3月5日〈… 近藤 重三郎(こんどう じゅうさぶろう、1852年3月5日〈嘉永5年2月15日〉 - 1910年〈明治43年〉3月6日)は、明治時代における愛知県岡崎市の実業家・政治家である。 味噌・醤油醸造業「伊勢屋」を営む傍ら、有志とともに同地の電力会社岡崎電灯を起業し、同社を中心に電気事業に関わる。政界では岡崎町会議員・愛知県会議員を歴任した。死後は養嗣子が2代目近藤重三郎(1886年 - 1953年)を襲名している。 近藤重三郎は、嘉永5年2月15日(新暦:1852年3月5日)、三河国御油(現・愛知県豊川市御油町)の中村家に生まれた。幼名は安吉。生家の中村家は東海道の宿場御油宿で味噌・醤油醸造業と旅籠「大津屋」を営む旧家で、7代目当主の慶蔵は名望家として知られた。
小林 仲次(こばやし なかじ、1850年3月21日(元治元年… 小林 仲次(こばやし なかじ、1850年3月21日(元治元年3月1日)- 1944年(昭和19年)2月29日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、愛知県宝飯郡御津村長。 三河国宝飯郡西方村(愛知県宝飯郡御津村、御津町を経て現豊川市御津町西方)で、小林仲三郎の長男として生まれた。御馬村の石黒須賀雄に学んだ。素封家・小林伝八郎の養子となり1883年(明治16年)家督を相続した。農業、金融業を営んだ。社会公共のため、御油海水浴場の開設、港湾修築、道路開削などに私財を提供した。 1884(明治17年)西方村戸長に就任した。山本三太郎の死去に伴い1897年(明治30年)3月に実施された第4回衆議院議員総選挙愛知県第10区補欠選挙で初当選し、その後、第9回、第12回総選挙でも再選され、衆議院議員に通算3期在任した。