森 由起子(もり ゆきこ、1971年〈昭和46年〉9月29日… 森 由起子(もり ゆきこ、1971年〈昭和46年〉9月29日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)を務めた。 三重県鈴鹿市生まれ。名古屋大原学園情報処理科卒業。三菱UFJニコス株式会社社員を経て、機械整備会社の株式会社トーカイ代表取締役社長、ミニトマト生産販売会社の株式会社エーワイファーム代表取締役社長を務め、この他、自由民主党三重県支部連合会党紀委員などを歴任。 2021年10月31日に行われた衆議院議員選挙では、比例東海ブロックから自由民主党の比例単独候補として立候補し(名簿順位33位)、落選。 2024年4月、女性問題を週刊誌で報じられた宮澤博行衆議院議員が、同年4月23日に額賀福志郎衆議院議長に議員辞職願を提出し、同年4月25日に衆議院本会議で全会一致で辞職が認められた。
末松 則子(すえまつ のりこ、1970年〈昭和45年〉11月… 末松 則子(すえまつ のりこ、1970年〈昭和45年〉11月14日 - )は、日本の政治家。三重県鈴鹿市長(4期)。元三重県議会議員(2期)。父親は三重県議会第90代議長をつとめた末松充生。 本籍地は三重県鈴鹿市。鈴鹿市立神戸小学校、鈴鹿市立神戸中学校、三重県立神戸高等学校、名古屋造形芸術短期大学卒業。1991年4月、造園会社に就職。 2003年4月13日執行の三重県議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。2007年4月の県議選においては、自由民主党公認で出馬。2期目の当選を果たす。 2011年4月24日執行の鈴鹿市長選挙に無所属で出馬する。同じく無所属新人の明石孝利、杉本信之らの候補者を接戦の末破り初当選を果たした(末松:34,889票、明石:31,394票、杉本:20,750票)。
北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年〈昭和19年〉11… 北川 正恭(きたがわ まさやす、1944年〈昭和19年〉11月11日 - )は、日本の政治家、政治学者。 三重県知事(第4代、2期)、衆議院議員(4期)、三重県議会議員(3期)を歴任。早稲田大学大学院公共経営研究科名誉教授、および早稲田大学マニフェスト研究所(プロジェクト研究所)顧問・前所長。富士通株式会社社外取締役。四日市大学客員教授。 1944年(昭和19年)11月11日、三重県鈴鹿市に生まれた。三重県立神戸高等学校、早稲田大学商学部卒業。学位は商学士(早稲田大学)。大日本印刷に勤務した。 1972年(昭和47年)、補選で三重県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選した。
杉本 龍造(すぎもと りゅうぞう、1913年(大正2年)1月… 杉本 龍造(すぎもと りゅうぞう、1913年(大正2年)1月8日 - 1997年(平成9年)2月10日)は、日本の政治家。三重県鈴鹿市長を務めた。位階は正五位。勲等は旭日中綬章。鈴鹿市名誉市民。 河芸郡箕田村(現在の鈴鹿市)出身、家業は代々続いた造り酒屋で屋号は箕田屋と言われていた。夫人も四日市市の造り酒屋から輿入れしている。 1942年6月、河芸郡神戸町議会議員、翌1943年2月に合併により鈴鹿市議会議員に就任。1946年に33歳の若さで鈴鹿市の2代目市長に就任。翌1947年、公職選挙法施行による市長選挙に立候補し、無投票のまま公選市長として就任。 1957年5月三重県市長会会長、1970年6月全国市長会副会長、1971年7月全国市長会相談役を歴任。
伊坂 秀五郎(いさか ひでごろう、明治11年(1878年)1… 伊坂 秀五郎(いさか ひでごろう、明治11年(1878年)12月17日 - 昭和15年(1940年)12月17日)は、衆議院議員(4期)、鉄道実業家。昭和会所属。 三重県河曲郡、のちの河芸郡若松村(現鈴鹿市)出身。慶應義塾で学ぶ。 若松村長、三重県会議員、三重県参事官、三重県議会副議長を経て、三重県会議員議長(26代)を歴任。鉄道会議員となり、伊勢鉄道会社社長、その後の伊勢電鉄株式会社取締役。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙に立憲政友会からの推薦を受けて当選(以降3回当選)。のちに昭和会の結成に参加し、所属する。 他には、「開国曙光碑」の発起人となる。 五私鉄疑獄事件で贈賄罪で公判に付される。