谷口 海斗(たにぐち かいと、1995年9月7日 - )は、… 谷口 海斗(たにぐち かいと、1995年9月7日 - )は、三重県北牟婁郡紀北町出身のプロサッカー選手。Aリーグ・メン・セントラルコースト・マリナーズFC所属。ポジションはフォワード(FW)。 Jリーグの全カテゴリーで二桁得点を達成した3人の選手のひとりであり、日本人選手初の達成者(他はレオナルドと杉本健勇)。 5歳の時、海山FCでサッカーを始めた。四日市中央工業高校では3年間Bチームでプレー。岐阜経済大学へ進学後は、入学直後からトップチームに在籍し、主戦場であったボランチから、1年次はセンターバックで出場し、2年次からはセンターバックからフォワードへ転向した。4年次には主将を務めた他、東海学生サッカーリーグ戦1部では3試合でハットトリックを達成するなど、19得点を記録し得点王となった。
伊藤 潤一(いとう じゅんいち、本名同じ、1986年12月1… 伊藤 潤一(いとう じゅんいち、本名同じ、1986年12月19日 - )は、日本の書家・芸術家。 三重県紀北町出身、松阪市在住。同市にアトリエを置く。And Japan Production所属(芸能事務所)。 みえの文化びと登録。台湾・國立故宮博物院国際正会員。日本デザイン書道作家協会会員。第16回三重県文化新人賞。第22回三重県文化奨励賞。東久邇宮文化褒賞。東久邇宮記念賞。第20回日本デザイン書道大賞優秀賞。第21回日本デザイン書道大賞。令和3年三銀ふるさと三重文化賞。 1986年、三重県北牟婁郡海山町生まれ。長男。 松阪市立松尾小学校、松阪市立西中学校、梅村学園三重高等学校、皇學館大学社会福祉学部卒業(教員免許取得)。
大田 正紀(おおた まさき、1949年 - )は、日本近代文… 大田 正紀(おおた まさき、1949年 - )は、日本近代文学研究者、梅花女子大学教授。 三重県紀北町生まれ。1974年関西学院大学日本文学科卒。80年同大学院博士課程満期退学、聖和大学助手、81年専任講師、86年助教授、87年梅花短期大学日本語表現科助教授、98年教授、2004年梅花女子大学文化表現学部日本文化創造学科教授。 近現代日本文学とキリスト教の関係を研究している。
西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月… 西田 厚聰(にしだ あつとし、1943年〈昭和18年〉12月29日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本の実業家。学位は法学修士(東京大学・1970年)。名の「聰」は旧字体のため、報道等においては西田 厚聡(にしだ あつとし)とも表記される。株式会社東芝取締役代表執行役社長、株式会社東芝取締役会長、社団法人日本経済団体連合会副会長、学校法人沖縄科学技術大学院大学学園理事、公益財団法人国際研修協力機構代表理事会長などを歴任した。 東芝のイラン現地法人にて採用され、31歳の時に東芝本社に入社。日・米・欧にまたがる東芝の海外PC事業を長く担当。海外現地法人出身・PC部門出身でありながら、PC部門における顕著な功績によって、伝統的に重電部門出身者が重用される東芝のトップにまで上り詰めるという異色の経歴を持つ。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。