平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は… 平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は、滋賀県大津市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 滋賀県立瀬田工業高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年春には4番を務めた。しかし、同年秋に新型コロナウイルスに感染すると、後遺症に苦しみ長期離脱。3年春の大会後から復帰した。同年夏は滋賀大会2回戦で彦根総合に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算21本塁打。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから育成2位指名を受け、支度金300万円、年俸260万円で入団した(金額は推定)。背番号は112。 2024年はイースタン・リーグ38試合に出場。
水口 創太(みなくち そうた、1999年8月9日 - )は、… 水口 創太(みなくち そうた、1999年8月9日 - )は、滋賀県大津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 大津市立晴嵐小学校時代から「晴嵐スポーツ少年団野球部」で軟式野球を始め、大津市立北大路中学校では同校の軟式野球部に在籍する。 高校は市内の滋賀県立膳所高等学校に進学。2年生の秋からエースとなり、3年生の夏は第99回全国高等学校野球選手権滋賀大会でベスト16に進出するも、滋賀県立水口高等学校に10対2で敗れた。 1年間の浪人を経て京都大学医学部人間健康科学科に進学。3年生時の2021年10月13日に行われた関西学生野球連盟秋季リーグ戦、対同志社大学戦において、自己最速の152km/hの速球を計測し注目される。
加藤 徹(かとう てつ、1997年10月26日 - )は、滋… 加藤 徹(かとう てつ、1997年10月26日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(外野手)。 大津市立真野中学校卒業後に進学した滋賀県立膳所高等学校時代は投手としてプレー。3年夏、滋賀大会の初戦で大津商相手に6番・投手として先発出場するも、投手としては打ち込まれて1回2/3で降板、打者としては2打数無安打で、結果的に14対3で5回コールド負けを喫した。 高校卒業後は筑波大学体育専門学群に進み、野球部に所属した。大学入学時も投手だったが、のちに外野手に転向した。首都大学野球連盟のリーグ公式戦への出場は3年の春季リーグ戦のみで、2試合に代打で出場してノーヒットだった。それでも野球部ブログの文章に「プロ野球選手志望」を記し、4年生の10月にプロ志望届を提出する。
本郷 宏樹(ほんごう ひろき、1976年9月14日 - )は… 本郷 宏樹(ほんごう ひろき、1976年9月14日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(内野手)。
西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )… 西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は野球解説者、野球指導者、タレント。長女は女優の西崎あや、次女はタレントの西崎莉麻。 滋賀県立瀬田工業高等学校に入学し、1年夏にチームは第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。県大会ではベンチ入りするが、本大会ではメンバー外となっている。この時、2学年先輩には橘高淳(元阪神捕手ならびにプロ野球審判員)がいた。3年の時に第54回選抜高等学校野球大会に出場し、この大会は背番号「10」ながらも投手の2本柱としてマウンドを踏んでいる。 当初は就職(社会人野球)を希望していたが愛知工業大学へ進学。
橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は… 橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(捕手)、元プロ野球審判員。審判員袖番号は9。 瀬田工業高では、捕手として布施寿則(豊橋技科大)とバッテリーを組み、3年次の1980年夏の甲子園にチーム初出場を果たす。3回戦でエース高山郁夫を擁する秋田商を降し、準々決勝では浜松商に大勝。しかし準決勝で早実高の荒木大輔に完封を喫する。 同年オフに、ドラフト外で阪神タイガースに入団。しかし、一軍公式戦に出場のないまま1983年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。ブルペン捕手として球団に残るが、1年で退団。 1985年からブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。
都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )… 都 裕次郎(みやこ ゆうじろう、1959年2月25日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)、スコアラー、野球指導者。 当時の滋賀県滋賀郡堅田町(現大津市)真野で出生し、農業を営む父が映画スターの石原裕次郎ファンであったため、「裕次郎」と命名された。当人によると、最初は祖父が名付けた「定成」(さだなり)に決まっていたが、役所に届ける寸前で父が独断で急遽、裕次郎に変えたという。 大津市立真野小学校時代は野球は近所の仲間と遊びでやったり、町内会でソフトボールをやったりする程度だったが、大津市立堅田中学校時代に本格的に野球を始め、滋賀県立堅田高等学校時代は、硬式野球部に所属しエースとして活躍。
間柴 茂有(ましば しげくに、1951年11月15日 - )… 間柴 茂有(ましば しげくに、1951年11月15日 - )は滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。旧名は富裕。愛称は「ケロヨン」。
畑矢 敬治(はたや けいじ)は、日本の元アマチュア野球選手(… 畑矢 敬治(はたや けいじ)は、日本の元アマチュア野球選手(捕手)。 平安高校では、3年生の時に、エースの門野利治とバッテリーを組み、1966年の春の選抜に捕手として出場。しかし、準々決勝で土佐高校に敗退する。同年の夏の選手権に出場し、準々決勝に進出するが、報徳学園高校に敗れた。 同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから3位指名を受けたが、入団を拒否し、高校卒業後は京都大丸に入社した。 京都大丸では、エースの清水正輝とバッテリーを組み、都市対抗野球大会にも出場した。 引退後は定年まで社業に就き、母校の指導やグランド整備に携わっている。 昭和41年10月24日大分県佐伯市佐伯球場で天覧ホームランを打つ。