スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は… 平田 大樹(ひらた だいじゅ、2005年8月25日 - )は、滋賀県大津市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 滋賀県立瀬田工業高等学校では1年秋からベンチ入りし、2年春には4番を務めた。しかし、同年秋に新型コロナウイルスに感染すると、後遺症に苦しみ長期離脱。3年春の大会後から復帰した。同年夏は滋賀大会2回戦で彦根総合に敗れ、3年間で甲子園大会出場はなかった。高校通算21本塁打。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから育成2位指名を受け、支度金300万円、年俸260万円で入団した(金額は推定)。背番号は112。 2024年はイースタン・リーグ38試合に出場。
森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は… 森山 修斗(もりやま なおと、1996年4月13日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード。B3リーグの徳島ガンバロウズ所属。 瀬田工業高校から明治大学を経て、2019年に広島ドラゴンフライズに加入。 2021年、滋賀レイクスターズに移籍。 2025年、徳島ガンバロウズに移籍。
ムーディ勝山(ムーディ かつやま、本名:勝山 慎司〈かつやま… ムーディ勝山(ムーディ かつやま、本名:勝山 慎司〈かつやま しんじ〉、1980年6月11日 - )は、日本のお笑いタレント。滋賀県草津市出身。吉本興業所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校23期生。 かつてはお笑いコンビ・アイスクリーム(旧・勝山梶)の一員(ボケ担当)だったが、2010年6月19日をもって解散。「ムーディ勝山」(ムーディかつやま)の芸名はコンビ時代にピン芸人としてムード歌謡ネタを披露する際にのみ使用していたが、解散してピン芸人になる際にそのまま正式な芸名になった。 歌詞のレパートリーは10近くあるが、基本的にメロディはほとんど同じで、城みちるの「イルカに乗った少年」に似たものである。
小畑 篤史(おばた あつし、1973年(昭和48年)12月1… 小畑 篤史(おばた あつし、1973年(昭和48年)12月15日 - )は、2000年シドニーオリンピック男子軽量級かじ無フォア日本代表選手、現在はトヨタ紡織ボート部監督。 1973年(昭和48年)12月15日出生は京都府だが、幼少時より大津市にて育つ。1986年(昭和61年)4月大津市立瀬田中学に入学しボート部に入部し、中学2年生で全国中学選手権で優勝し3年次には2連覇を達成する。1989年(平成元年)4月瀬田工業高校に進学しボート部で活躍、同校を卒業後1992年(平成4年)4月三洋電機に入社し滋賀工場ボート部に属した。 1997年(平成9年)以降2001年(平成13年)まで5年連続世界選手権代表に選ばれる。
三本 和明(みもと かずあき、1972年(昭和47年)3月2… 三本 和明(みもと かずあき、1972年(昭和47年)3月20日 - )は、バルセロナ、1996年アトランタオリンピック男子ボート競技(ローイング競技)日本代表選手、現在はデンソーボート部監督(フィールドマネージャー兼テクニカルコーチ)。 三本和明は、1972年(昭和47年)3月20日に滋賀県守山市に生まれ、中学までは剣道部に在籍、1987年(昭和62年)瀬田工業高校に入り朝日レガッタを見てボート部に入部した。1991年(平成3年)引き続きボート競技を続けるために日本大学に入り、1995年(平成7年)東レに入社し同社ボート部で選手活動を継続した。 東レ時代に、バルセロナ、アトランタオリンピックに日本代表として参加、また2000年から2003年まで世界選手権・ワールドカップにも参戦し2000年世界選手権では軽量級舵手なしクォドルプルで優勝し、2001年世界選手権では軽量級舵手なしクォドルプル3位となった。
西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )… 西崎 幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は野球解説者、野球指導者、タレント。長女は女優の西崎あや、次女はタレントの西崎莉麻。 滋賀県立瀬田工業高等学校に入学し、1年夏にチームは第62回全国高等学校野球選手権大会に出場。県大会ではベンチ入りするが、本大会ではメンバー外となっている。この時、2学年先輩には橘高淳(元阪神捕手ならびにプロ野球審判員)がいた。3年の時に第54回選抜高等学校野球大会に出場し、この大会は背番号「10」ながらも投手の2本柱としてマウンドを踏んでいる。 当初は就職(社会人野球)を希望していたが愛知工業大学へ進学。
内林 久徳(うちばやし ひさのり、1963年11月28日 -… 内林 久徳(うちばやし ひさのり、1963年11月28日 - )は元競輪選手、競輪評論家。滋賀県出身。旧日本競輪学校第62期卒業。ホームバンクは大津びわこ競輪場。初出走は1988年9月1日の大垣競輪場で初勝利は同開催の9月3日。血液型はA型。愛称は「ウッチー」。 滋賀県立瀬田工業高等学校時代の1981年、全国高等学校選抜自転車競技大会のポイントレースで優勝。同校卒業後、当時実業団チームの名門であったマエダ工業に入社。マエダ工業時代には1986年23歳のとき、世界自転車選手権に出場するなどアマチュア自転車界のトップクラスの選手であった。しかしその後、指導者と練習方法等を巡って対立したことが原因となって退社。
橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は… 橘髙 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県大津市出身の元プロ野球選手(捕手)、元プロ野球審判員。審判員袖番号は9。 瀬田工業高では、捕手として布施寿則(豊橋技科大)とバッテリーを組み、3年次の1980年夏の甲子園にチーム初出場を果たす。3回戦でエース高山郁夫を擁する秋田商を降し、準々決勝では浜松商に大勝。しかし準決勝で早実高の荒木大輔に完封を喫する。 同年オフに、ドラフト外で阪神タイガースに入団。しかし、一軍公式戦に出場のないまま1983年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。ブルペン捕手として球団に残るが、1年で退団。 1985年からブリンクマン審判学校を経て、セントラル・リーグ審判部入局。
橘高 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は… 橘高 淳(きったか あつし、1962年12月17日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員(クルーチーフ)。旧名は橘高 敦。
佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )… 佐野 浅太郎(さの あさたろう、1948年3月30日 - )は、滋賀県栗太郡栗東町(現在の栗東市)出身で朝日山部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代の四股名は日吉山(ひよしやま)で、最高位は序二段62枚目。本名は佐野 実(さの みのる)。身長186cm、体重90kg。 瀬田工業高校卒業後、大相撲の朝日山部屋に入門して1965年5月場所に17歳で初土俵を踏む。入門同期に花田満(のちの貴ノ花利彰)がいる。同部屋には兄弟子に三重ノ山(柴田勝久)や二瀬海(サムソン・クツワダ)が在籍し、さらに当時中学2年の鶴田友美も入門しているが、初土俵を踏むことなく辞めている。翌1966年5月場所に四股名を佐野から日吉山に改名したが伸び悩み、勝ち越しは1場所のみにとどまり1967年1月場所限りで廃業する。
小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年… 小林 敬生(こばやし けいせい、本名読み:たかお、1944年1月26日 - )は、日本の版画家。 極薄で半透明の雁皮紙(和紙)に、木口木版で作成した精密な複数の版木を組み合わせた、空間表現が特徴。「鏡貼り」の手法等を駆使することにより、書籍の挿絵や絵本の印刷に用いられていた「木口木版」の作品の大型化を実現した。 と続き、一貫して、多様な生命と文明の調和への壮大なストーリーを描き出している。
君野 健一(きみの けんいち、1934年7月10日 - )は… 君野 健一(きみの けんいち、1934年7月10日 - )は、滋賀県出身のプロ野球選手(一塁手、外野手)。右投右打。 滋賀県立瀬田高等学校では、エースとして1952年夏の甲子園予選京津大会決勝に進むが、山城高に敗退。 1953年に近鉄パールスへ入団し野手転向。1954年には8月から一塁手として起用され、11試合に先発出場を果たす。同年は1試合ながら四番打者も務めた。1955年はウエスタン・リーグで14打点を記録し、初代打点王に輝いた。1956年には武智修と併用され32試合、1957年には自己最多の51試合に先発する。しかしその後は故障もあって出場機会が減少、1958年限りで引退した。