田中 雄大(たなか ゆうだい、1999年7月9日 - )は、… 田中 雄大(たなか ゆうだい、1999年7月9日 - )は、滋賀県野洲市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・福島ユナイテッドFC所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 地元の野洲JFC、FC湖東でプレーし、膳所高等学校を経て京都大学農学部応用生命科学科に進学し、同大学の体育会サッカー部でプレーした。京大卒業後、当時関西サッカーリーグ1部のおこしやす京都ACに加入。2024年、東北社会人サッカーリーグ1部のみちのく仙台FCで公式戦15試合に出場。 2024年12月24日、J3リーグの福島ユナイテッドFCへ完全移籍での加入が発表され、これによって京都大学卒業生で初のJリーガーが誕生した。また、Jリーグで通算4人目となる「田中雄大」選手の誕生であり、最初に選手登録された「田中雄大」とは出身地が同じ滋賀県野洲市、2人目の「田中雄大」とはポジションが同じゴールキーパー、3人目の「田中雄大」とは誕生年が同じ1999年生、と偶然が重なっている。
山本 悠樹(やまもと ゆうき、1997年11月6日 - )は… 山本 悠樹(やまもと ゆうき、1997年11月6日 - )は、滋賀県野洲市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 野洲JFC、SAGAWA SHIGA FOOTBALL ACADEMY ジュニアユース、FC湖東を経て、草津東高校へ進学。高校年代屈指の司令塔として注目を集め、高校3年次にはセレッソ大阪の練習に参加したが、山口蛍らにレベルの差を見せつけられ、プロ入りを断念。関西学院大学へ進学し、大学では3年次の秋にトップ下からボランチへとコンバートされた。2019年6月、2020年からのガンバ大阪へ加入が内定。同年7月には、ユニバーシアード日本代表に選出されて、ユニバーシアードで金メダルを獲得した。
荒堀 謙次(あらぼり けんじ、1988年7月31日 - )は… 荒堀 謙次(あらぼり けんじ、1988年7月31日 - )は、滋賀県野洲市出身のサッカー選手。ポジションはMF及びDF。 滋賀県立野洲高等学校2年時に第84回全国高等学校サッカー選手権大会で滋賀県勢初の全国優勝を果たし、一学年上の楠神順平、青木孝太、同期の乾貴士らとともにセクシーフットボールを合言葉にした同校の主力メンバーとして活躍した。 2011年、同志社大学から横浜FCへ入団。2011年4月30日、J2第9節の湘南ベルマーレ戦でプロ初ゴールを決めた。 2012年、栃木SCへ移籍。 2013年、湘南ベルマーレへ移籍。 2014年8月、古巣栃木SCへ期限付き移籍で復帰。シーズン終了後に完全移籍。
安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、… 安藤 淳(あんどう じゅん、1984年10月8日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF、MF。 関西大学在籍時の2006年、京都パープルサンガの特別指定選手となる。2007年に京都に入団。元々はボランチを務めていたが、大木武が監督に就任した2011年からは中盤に加えてセンターバックやサイドバックまでこなすユーティリティープレイヤーとして開花した。2013年より主将に抜擢される。 2014年よりセレッソ大阪に完全移籍。しかし出場機会が少なく、2015年6月に松本山雅FCへの完全移籍が発表された。2017年シーズン末、松本山雅FCより契約期間の満了が発表。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場した 2018年、愛媛FCへ完全移籍。
前田 雅文(まえだ まさふみ、1983年1月25日 - )は… 前田 雅文(まえだ まさふみ、1983年1月25日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。愛称は前さん、前ちゃん。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。 地元のセゾンFC、野洲高校(同期に田中大輔らがいる)を経て、2001年に関西大学に進学。在籍時の2003年には、特別指定選手として名古屋グランパスエイトへ選手登録され、公式戦出場はなかったがサテライトリーグに出場した。また同年8月にはユニバーシアード・大邱大会の日本代表メンバーに選出され、中盤のポジションで活躍し、日本の大会連覇に貢献した。 大学を卒業した2005年にJ1・ガンバ大阪に加入。初めてベンチ入りした第7節・FC東京戦にて途中出場で公式戦デビューを果たす。
高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )… 高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。2026年からはIKOMA FC 奈良の監督を務める。 野洲市で生まれ育ち、小学校3年生のときにサッカーを始める。高校時代は滋賀県立草津東高等学校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。3年生からセンターバックとしてプレーする。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に当時、関西学生リーグ2部であった京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーを辞める予定だった。
北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1… 北村 春吉(きたむら はるきち、旧姓:藤井、1897年3月1日 - 1996年12月19日)は、滋賀県野洲市出身の数学者、旧制専門学校校長、予備校講師、サッカー選手。 1897年、滋賀県野洲郡野洲町(現:野洲市)富波甲に生まれた。滋賀師範学校(現・滋賀大学)在籍時に恩師の落合秀保と出会い、サッカーを始めた。1916年3月、滋賀師範学校卒業。 その後、東京高等師範学校に入学し、蹴球部(現:筑波大学蹴球部)に所属。在学中の1917年に第3回極東選手権大会の日本代表に佐々木等や武井群嗣らと共に選出され、2戦目のフィリピン代表戦で2得点を決めた。なお、この得点が日本代表の初得点となった(試合は2-15で敗れ、日本代表の最大差敗戦試合となっている)。