牛尾 治朗(うしお じろう、1985年〈昭和60年〉1月18… 牛尾 治朗(うしお じろう、1985年〈昭和60年〉1月18日 - )は、日本の政治家。大阪府貝塚市長(1期)。元貝塚市議会議員(2期)、元大阪府議会議員(2期)。 大阪府貝塚市出身。貝塚市立津田小学校、貝塚市立第二中学校、開智高等学校、山口大学教育学部(中途退学)。 今井豊大阪府議会議員秘書を経て、2015年4月26日、「第18回統一地方選挙」で執行された貝塚市議会議員選挙に大阪維新の会公認候補として立候補し、初当選。以後2期務める。 2021年、今井の議員辞職を受けた大阪府議会議員補欠選挙(貝塚市選挙区)に際して市議を辞職して出馬し、初当選。以後2期務める。 2025年11月15日、大阪府議会議員を辞職し、2026年1月25日執行の貝塚市長選挙に大阪維新の会公認公認候補として立候補することを表明。
酒井 了(さかい りょう、1975年〈昭和50年〉3月28日… 酒井 了(さかい りょう、1975年〈昭和50年〉3月28日 - )は、日本の政治家、国土交通官僚。土木技官。元大阪府貝塚市長(1期)。 大阪府貝塚市出身。清風南海高校卒業。高校生の時、自分の仕事が地図上に表れていく都市計画を学べる土木工学に進路を決めた。 早稲田大学理工学部土木工学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修了。 2000年、旧建設省に入省し、都市局畑を歩んだ。 福岡県建築都市部都市計画課長、岡山県倉敷市技監、埼玉県本庄市副市長などを歴任した。 2021年12月24日、貝塚市長選挙に大阪維新の会公認で立候補すると表明。 2022年1月30日に行われた市長選で、自由民主党・立憲民主党の推薦を得た前市議の田中学を破り、初当選した。
今井 豊(いまい ゆたか、1956年9月25日 - )は、日… 今井 豊(いまい ゆたか、1956年9月25日 - )は、日本の政治家。 大阪府議会議員(5期)、貝塚市議会議員(3期)、大阪維新の会副代表、大阪維新の会幹事長(第2代)、大阪府議会議長(第109代)などを務めた他、(旧)日本維新の会副代表、維新の党副代表、日本維新の会副代表といった国政政党の主要ポストも歴任した。 大阪府貝塚市出身。貝塚市立東小学校、貝塚市立第二中学校、大阪府立佐野高等学校、奈良大学を卒業。 1991年、貝塚市議会議員に初当選。以降3期連続当選し、1999年5月17日から2000年5月19日まで貝塚市議会議長を務める。 2003年、大阪府議会議員選挙に貝塚市選挙区から無所属で出馬し初当選。
北野 弥一郎(きたの やいちろう、1899年〈明治32年〉1… 北野 弥一郎(きたの やいちろう、1899年〈明治32年〉11月23日 - 没年不明)は、日本の政治家。大阪府貝塚市長(2代 - 5代)。紀泉鉄道取締役。 大阪府泉南郡麻生郷村(現・貝塚市)出身。北野弥太郎の長男。泉南郡麻生郷村島村組合役場に勤務する。麻生郷村組合書記同収入役代理を経て1935年に貝塚町戸籍課長となる。また財務課長、戸籍兵事課長を歴任する。 1946年3月、第2代貝塚市長に就任する。1947年4月、改めて第1回市長選挙に出馬、当選を果たして初代公選市長となる。同年7月に市役所分課条例を制定し、総務・教育・経済・民生・戸籍・衛生・税務・水道・土木の9課と市内の東・西・南・北・木島・葛城に市の出張所を置く。
佐々木 仙太郎(ささき せんたろう、1885年〈明治18年〉… 佐々木 仙太郎(ささき せんたろう、1885年〈明治18年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉11月23日)は、日本の商人(米穀商、味噌商)、政治家。大阪府貝塚市長(初代)。 大阪府泉南郡麻生郷村津田(現・貝塚市)出身。仙右衛門の長男。米穀商人となり、岸和田市本町に玄米問屋を開いて江州米などを売り、堂島北浜に乗出す。玄米問屋を見切ると津田に帰り、精米所、精麦所を起す。 味噌製造販売業を営む。貝塚町助役となる。1937年3月に岡本市治郎貝塚町長が急逝、後任に町長代理助役佐々木が指名され、同年5月に貝塚町長に就任する。1941年、貝塚町長に留任する。 1943年5月に貝塚町市制を施行、市長臨時代理者に佐々木が任命され、同年7月に初代貝塚市長に就任する。
北野 清治(きたの せいじ、1883年〈明治16年〉12月2… 北野 清治(きたの せいじ、1883年〈明治16年〉12月20日 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、貝塚市有功者。貝塚市議会議員。北野織布合名会社代表社員。北野タオル工場工場主。日本浴巾取締役。岸和田タオル商会取締役。族籍は大阪府平民。 大阪府泉南郡麻生郷村大字海塚(現・貝塚市)出身。北野定治郎の長男。兵役満期後は一時祖業の農業を営む。農を廃して商業に転じ、親族関係を有する岡田伊平商店に入り、木綿仲買業に3年従事する。 独立し綿布製織を創める。父が蕩尽した家産は回復し、以前より倍の産を築く。1920年、兼松商店の浴巾製織工場が海塚に建設されると、清治はこれに賛与し自家営業を廃して同会社に投資し、役員選挙の結果、常務取締役の重任に選ばれ、就任する。