後藤 悦治(ごとう えつじ、1904年(明治37年)5月31… 後藤 悦治(ごとう えつじ、1904年(明治37年)5月31日 - 1980年(昭和55年)9月28日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 兵庫県有馬郡中野村(広野村、三田町を経て現三田市)で生まれる。尼崎実業補習学校英語科、同商業科で学び、1921年(大正10年)に卒業した。 家業の米穀商を継承。直木三十五に師事して創作活動を行う。日本硝子釦工業社長、旭商会取締役会長、昭和化学取締役会長、近畿サルベージ社長、後藤産業社長、後藤建設社長、全国釦工業組合理事長、トヨタオート阪神社長、(株)「紙ふうせん」監査役、尼崎商工会議所常議員などを務めた。 政界では、尼崎市会議員(1932年-1939年)、兵庫県会議員(1939年-1947年)を務め、同県参事会員にも在任した。
白洲 文平(しらす ふみひら、1869年6月7日(明治2年4… 白洲 文平(しらす ふみひら、1869年6月7日(明治2年4月27日) - 1935年(昭和10年)10月23日)は日本の実業家である。 現在の兵庫県三田市に生まれた。父は白洲退蔵、子に白洲次郎、孫に牧山桂子がいる。 幼少期よりアメリカ人の家庭教師にも学び、1882年(明治15年)にバラの築地大学校に入塾。築地大学校卒業後、ハーバード大学、ボン大学に留学。このときの留学仲間に、近衛篤麿や新渡戸稲造、樺山愛輔らがいた。帰国後は三井銀行や大阪紡績に勤めるが中途で退社。 その後、兵庫県神戸市中央区栄町に貿易会社白洲商店を創業し綿貿易により発展して巨万の富を築いた。豪放ながら傲慢な性格で、周囲からは『白洲将軍』と畏れられた。
大西 善太郎(おおにし ぜんたろう、1857年11月26日(… 大西 善太郎(おおにし ぜんたろう、1857年11月26日(安政4年10月10日)- 1918年(大正7年)5月7日)は、明治から大正前期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県有馬郡三輪村長、同郡道場村長。 摂津国有馬郡田中村(下田中村、兵庫県有馬郡三輪村下田中、三輪町、三田町を経て現三田市下田中)で、農業・大西利右衛門の息子として生まれる。普通学、和算学を修めた。農業を営む。 1880年(明治13年)有馬郡西組選挙郡農会員に就任。以後、全国米麦外三品共進会審査員、下田中村会議員、有馬郡連合会議員、摂津5郡連合農談会員、同会長、摂津5郡連合勧業会員、有馬郡連合町村会議員、同郡全町村勧業委員などを歴任。
白洲 退蔵(しらす たいぞう、1829年8月14日(文政12… 白洲 退蔵(しらす たいぞう、1829年8月14日(文政12年7月15日) - 1891年(明治24年)9月10日)は、江戸時代から明治にかけて活躍した日本の役人、実業家である。神戸女学院の創設者の一人。白洲文平の父で、白洲次郎の祖父。 退蔵は1829年(文政12年)に、三田藩の儒官、すなわち三田藩で儒学を教授している人物の子として、三田藩内(現・兵庫県三田市)の薬師寺町で生まれた。幼名は純太郎。諱は良弼(りょうすけ)。 篠崎小竹、古賀謹一郎から学び、藩校「造士館」の教授になる。 1862年(文久2年)町奉行兼郡奉行になり、財政再建に取り組む。1863年(文久3年)に藩主九鬼隆義に請われて藩重役、大参事として藩政に加わる。