大林 賢一(おおばやし けんいち、1969年〈昭和44年〉8… 大林 賢一(おおばやし けんいち、1969年〈昭和44年〉8月8日 - )は、日本の政治家、実業家。兵庫県養父市長(1期)。 兵庫県養父市出身。兵庫県立八鹿高等学校、近畿測量専門学校測量学科卒業後、大阪府の測量会社に勤務する。 2001年、母親が体調を崩したのを機に帰郷し、測量会社オーシスマップを創業。2003年に法人化。2011年には同社のシステム企画課が独立する形でWEB制作会社ピーナッツを設立し、同社の役員に就任。 2016年10月、養父市長選挙に立候補したが、現職の広瀬栄に敗れ落選。 2024年6月27日、同年10月の市長選への立候補を表明。10月20日の投開票の結果、462票差で広瀬を破り、初当選した。
藤原 勉(ふじわら つとむ、1948年〈昭和23年〉1月2日… 藤原 勉(ふじわら つとむ、1948年〈昭和23年〉1月2日 - )は、日本の政治家。岐阜県本巣市長(5期)。 兵庫県養父市出身。1972年(昭和47年)3月、岐阜大学教育学部卒業。同年4月、岐阜県庁に入庁。議会事務局長、西濃振興局長などを歴任。2007年(平成19年)4月、岐阜県産業経済振興センター副理事長に就任。 2008年(平成20年)2月17日に行われた本巣市長選挙に出馬し初当選した。3月7日、市長就任。 2012年(平成24年)、無投票で再選。2016年(平成28年)、無投票で3選。2020年(令和2年)、無投票で4選、2024年(令和6年)、無投票で5選。
佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月… 佐々木 良作(ささき りょうさく、1915年(大正4年)1月8日 - 2000年(平成12年)3月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。雅号は良素。 民社党委員長(第4代)、衆議院議員(12期)、参議院議員(1期)を歴任。 元鹿島建設副社長鹿島新吉は岳父に当たり元中央大学総長の升本喜兵衛は実兄、甥に初代養父市長の佐々木憲二がいる。 兵庫県養父郡伊佐村浅間(八鹿町を経て現養父市八鹿町浅間)生まれ。旧制豊岡中学、旧制松本高校文科乙類を経て、1939年(昭和14年)京都帝国大学法学部を卒業。創立間もない日本発送電に入社し、1946年に日本電気産業労働組合協議会(翌年電産労組として単一化される)が結成されると、初代書記長兼副闘争委員長となる。
西村 淳蔵(淳藏、にしむら じゅんぞう、1864年(元治元年… 西村 淳蔵(淳藏、にしむら じゅんぞう、1864年(元治元年3月) - 1939年(昭和14年)2月14日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。勲7等 但馬国養父郡八鹿村(のち兵庫県養父郡八鹿村→八鹿町、現・養父市)に生まれる。普通学を修め、上京し、慶應義塾に入り、1888年に卒業する。農業を営み、八鹿村長、同町長を長年にわたって歴任する。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において兵庫9区から憲政党公認で立候補して当選する。1902年の第7回衆議院議員総選挙では兵庫県郡部から憲政本党公認で立候補したが落選した。1939年に死去した。 妻、小静は、但馬国歌詞柏原町の名家、田艇吉の長女、内助の功多く婦人会長として活躍した。
北垣 国道(きたがき くにみち、1836年9月17日〈天保7… 北垣 国道(きたがき くにみち、1836年9月17日〈天保7年8月7日〉- 1916年〈大正5年〉1月16日)は、幕末期の志士、明治時代の官僚、政治家。幼名は捨蔵。通称は晋太郎。号は静屋。 高知県令(第4代)、徳島県令(第7・8代)、京都府知事(第3代)、北海道庁長官(第4代)、貴族院議員(勅選)、枢密顧問官を歴任した。 1836年(天保7年)、但馬国養父郡能座村(現:兵庫県養父市)に生まれる。6歳の時の1841年(天保12年)、池田草庵の私塾「青谿書院」で学んだ。1863年(文久2年)、公卿澤宣嘉を主将とし、河上弥市、平野国臣らと生野銀山にて挙兵(生野の変)するも敗れ、進藤俊三郎(原六郎)らと因幡(鳥取藩)、ついで京都、江戸(桶町千葉道場→赤坂桧町の長州藩邸)を経由し長州へ潜伏した。